黄土高原の上にある村

        黄土高原の上にある村の  写真1  写真2 
   (この写真は是非拡大してみてください、1600ピクセルにまで拡大できます)

  この写真は飛行機から撮ったものです。偶然撮れたというものではなく、ある程度狙って撮ったものです。北京から青海省の西寧に飛行機で行くときに、多分黄土高原の上を飛ぶのではないかと想定していました。飛行機のチェックインのとき、窓際の後ろの方の席を要求しました。しかも右側の席を指定しました。何故かと言うと、右側なら窓飛行機が西に飛ぶ場合、右側が北側になります。そうすれば写真に窓の反射が写り込まないからです。勿論翼の上の窓は地上の写真が撮れないので、避けなければなりません。

  そして本当に典型的な黄土高原が見えてきました。窓の横の席を確保したからといっても必ず黄土高原が見えるとは限りません。窓の下に黄土高原が見えたのは偶然かもしれません。見えたのはほんの僅かな時間で、3,4枚撮るのがやっとでした。この写真が撮れたのは西寧に近づいて頃だと思うので、甘粛省から青海省に入ってからだと思います。撮った写真を後で見てみると、空気がガスっていて、もやもやとしていました。とても、綺麗に撮れたとは言えない写真でした。

  しかし撮ったのはデジタルカメラです。コントラストを思い切り強くすると、黄土高原の山の凹凸がハッキリ見えてきました。更にアンシャープネスマスクを掛けると耕地の縁の線が、更にハッキリとしてきました。村は山の上の、高い部分にあるようです。この写真は是非最大限まで拡大して見てください。1600ピクセルの原画まで拡大できるはずです。等高線状の耕地の状態を、拡大してみていただければ、感動も違うと思います。

  感動するかどうかは、人によって違うと思いますが、自分では凄いところが撮れたなぁと、自ら感心しているのです。このあたりの大きな町は全て谷の底にあります。例えば西寧の空港に降りるとき、飛行機は侵食された山を横に見ながら、谷の間に降りていきます。大な町が谷の底にあるのは水があるからだと思います。しかしこの写真の村は黄土高原の高い部分に村があります。耕地は村より上にも下にもあるように見えます。山をずっと下に下ると傾斜が急になり、耕作に適さないようです。谷に降りてしまうと、ここはもう狭くて生活はできないように見えます。

  この写真を大きくして見ても、あまり岩のような物が見えませから、この山は全部黄土の堆積物かもしれません。それで、平らな畑に作り替え易いのかもしれません。ここにこれだけ黄土が積もっているかと考えると、それも凄い風景です。黄土の堆積は数mから100mあり、深いところでは400mも有るといいます。この写真を典型的な黄土高原と書きましたが、ここの黄土は多くの黄土地形と違うような気もします。多くの黄土地形とは、本来雨が少ない処にある日どっと雨が降り、その雨は垂直に染み込んでいき、黄土を底からパカッと割るそうです。ですから黄土地形の特徴としては、縦に裂けた深い亀裂ができます。地面が割れているという感じで、絶壁ができます。しかしここにはそう言う地形は見えません。他の地区と雨の降り方が違うのかもしれません。そのかわり、なんだか風が削った地形のように見えます。実は数年前、春に青海湖に行って猛烈な風に遭いました。この村も春には猛烈な砂嵐に襲われるのかもしれません。もしかしたらこのあたりが黄砂の発生地かもしれません。

  ここに水はあるのでしょうか。生活するに足る最小限の水はあるのしょう。しかし写真からは乾ききった大地のように見えます。この時期(4月29日)でも全く緑が見えないようです。こんな処に人が住んでいるかと思うと感動的でもあります。また等高線状に延びる畑を見ていると、山を削ってこれだけの耕地にするのには相当時間が掛かったのではないかと想像できます。人間の営みにも圧倒されます。

  中国の南には凄い水田の段々畑があって、そこを世界遺産に申請したと聞いたことがあります。そこの水田も、祖先が営々と長い時間を掛けて築いた水田だとのことです。しかし南の方の水が有り余っている水田と違って、ここには灌漑設備などは全く無いようで、たまに降る雨だけが頼りではないかと思われます。しかしこの写真の畑もまた、これだけ山を刻むには、世界遺産に値するだけの、長い間の人間の営みが有ったのかもしれません。しかし水の少ないこの場所に、何故住まなければならなかったのか、どんな歴史があったのか、聞いてみたくなります。

  この近くの甘粛省出身の社員に聞いてみましたが、こう言った村では、水は何時も不足していて、ゴミも出ないといっていました。そもそもビニール袋なんか無いらしいです。元々スーパー何か無いわけですから。カンブラーというところに行った時、チベット族の村を通過したのですが、運転手は下の村には水が無いのだと言っていました。丁度上の村から下の村まで水を運んでいるチベット人の女性を見たとき、運転手が説明してくれました。やはりこの村でも水運びは重要な仕事なのでしょう。同じ中国人であっても、北京に住む人々とはあまりの落差です。

  こういう処にも行ってみたいものですが、北京での飽食生活で太ってしまった体では、とても山の上迄は登れそうにもありません。それとも連絡が取れれば、ロバでも迎えに来てくれるでしょうか。ロバに乗って登るとしても大変そうなところです。もしそう言うことが可能ならば、ある種の人にとっては、感動的旅になるかもしれもしれません。でも私にはもうチャンスはないのではないかと思います。