中国では日本製漢語がたくさん使われている

  以前、日記に「もしも中国が日本製漢語を輸入しなかったら、毛沢東も毛沢東語録を書けなかった」と書いたことがある。その中で中国人の王彬彬という教授が書いた中国語の論文の「現代漢語中的日語"外来語"問題」 <http://www.zhaojun.com/youci/riyu.htm>を参考にさせていただいた..その中で「中国語の中で、日本語から来た外来語の数は、驚くほどの数字で、現在我々が使用している社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%は日本から輸入したものである。これらの言葉は西洋の言葉を日本人が翻訳して、その後中国に入って、中国語の中に根付いたものである」と書かれていることを紹介したことがある。その中には、「最後に私は言いたい。我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋には、永遠に日本が横たわっているのだ」と書かれていた.。

  最後の中国と西洋の間に日本があると言うことは、例えば共産主義と言う言葉が
communism(西洋)→共産主義(日本で翻訳)→共産主義(中国でも使われている)
opera(西洋)→歌劇(日本で翻訳)→歌劇(中国でも使われている)

  中国でも「歌劇」と言う言葉を使っているが、中国が使うまでに至った経過は、日本が西洋の言葉のoperaを訳して漢語に翻訳したからである。これがそのまま中国に渡って使われている。だから、中国が「共産主義」とか「歌劇」とかいう言葉を使っている限り、西洋と中国の間には、日本が確かにあるのである。上に紹介した王教授の論文は今でも見られる。
 <http://bbs.cctv.com.cn/forumthread.jsp?id=2862423> (中国語)

  ところで、中国人の中には上の70%と言う部分を見て、頭に来て、早速そんなことはあるはずがないと噛み付いてやつがいる。偉大な中華文明を貶めるような事実は気に入らないらしい。「西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものだ」などというあたりも気に食わないのだろう。他にも王教授の言葉の中に「中国人が物を考えるときに、日本人が作った和製漢語で物を考えている」とか、「日本が中国に影響を与えた」というあたりが気に入らない違いない。事実を事実として認めたくないらしい。その反論は、
 <http://column.bokee.com/88896.html> (中国語)

  この論文の書き方がとんでもない暴論で、そもそも王彬彬という人が言っているのは、「社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%は日本から輸入したものである」と言っているのであって、漢語の全体の70%などとは言っていないのである。それをよく読みもしないで、その反論の表題を「漢語の中の70%は外来語なのか?」と言う表題にして、内容でも全体の70%なんか有るはすがないと言って、王教授を攻撃している。相手が言ってもいないことを言ったと言い立てて、騒いでいるのである。

  まあしかし、「社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%」といっても結構多い数字である、それで実際にどれくらいの日本製漢語が使われているか調べてみたくなった。毛語録の内容が見つからないので、毛沢東思想について説明した「毛沢東思想概論」という文章があったので、それを対象にしてみた。一方1984年発行の「漢語外来詞詞典」(上海辞書出版社)に載っている、「日本からの外来語」を日本からの外来語の基準にして色を付けてみた。それが下である。




   なお、70%と言うのは出現頻度のことと考えるべきだろう。語彙の数で数えれば1000ぐらいでそれほど多くないと言う。しかしかなり色が付いた。そだけ重要な単語が多いということだろう。日本からの外来語が「社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%程度」もあるのかどうかであるが、社会とか人文・科学方面の名詞、術語とあるからには、その他の名詞を除いて、動詞や形容詞も除いて何%になるかが問題である。しかしとても面倒なのでやめておくが、そうして厳密に区分すれば、70%くらいは在るのかもしれない。

  なお、「漢語外来詞詞典」を厳密に適用して上の判定をしたのだが、
論述、論証、は外来語としていないが、論壇、論戦、論理学、は外来語
政権、政治、は外来語としていないが、政策、政党、は外来語
右傾、左傾、 は外来語としていないが、右翼、左翼、は外来語
としているだから、論述、論証、政権、政治、右傾、左傾、は外来語ではなかろうか。特に“政治”は日本語からの外来語として、王教授が何回も例に挙げている言葉である。

以下は別の文章の中の、日本語から来た外来語の使用例である。



  ところで上に挙げた「漢語の中の70%は外来語なのか?」と言う反論はいい加減なのだが、そのいい加減な証拠を一つ挙げれば、外来語としてどんな単語があるかを調べる時に使った資料が、1958年の「現代漢語外来詞研究」などの古い資料であることである。しかし私の手元にはもっと新しくて、日本からの外来語がたくさん載っている辞書がある。それは私が使用した1984年発行の「漢語外来詞詞典」(上海辞書出版社)である。反論するのなら私でも持っている外来語辞典くらいは使ってほしいものである。

  しかし中国では外来語辞典などは滅多に売っていなくて、私もこれを購入するのに苦労したのだけれど。中国で殆ど外来語辞典を売っていないとうのも不思議な減少である。とにかく私が持っている「漢語外来詞詞典」には日本からの中国への外来語が沢山載っている。

  他にも反論の仕方がいい加減で、幼稚なのだけれど、例えば、日本語は不成熟不完全だけれども、漢語は造語能力が高くて優れているとか、現在の日本語の外来語はカタカナで書かれていて漢字の外来語は無いとか言っている。それが事実だとしても、中国が日本から漢字を輸入しなかったとう反論にはなり得ない。

  日本には漢字の歴史が1000年とちょっとしかない。70%ではなく100%の影響を与えているのは、中国の思想文化が日本に与えている影響ではないかなどとも反論している。中国の思想文化が日本に与えた影響が多いとしても、これも日本が中国に影響を与えなかったという根拠には当然ならない。

  滑稽な詭弁の一つは、西洋の言葉を日本か中国のどちらが先に翻訳したかなどは問題ではなく、これらの漢語が、漢語の原則を使って翻訳されているから、これは漢語に属する物だなどとも詭弁を使っている。

  こういう思考方法をする人、何としてでも中国が一番と思いたい人物を、中華思想の持ち主と言うのかもしれない。