豚肉も売っていないスーパー

  私が住んでいるところは、北京の中心部とは言えないが、第二環状線の中であるから、れっきとした北京市内に住んでいることになる。それなのに私の家の近くのスーパーでは豚肉も売っていない。豚肉を売っていない理由は簡単で、周りの住民が回教徒だからである。豚肉を食べないと言うだけではなく、豚は回教徒にとって穢れたものだからである。だから “豚”と言ってもいけないのだそうである。だから豚肉を売っていない。

  豚肉が無いと言うことは、豚肉のハムも売っていないと言うことで、私にとってはハムもベーコンも買えないのではやっぱり不便である。それに何故か新鮮な牛乳も売っていることが少ないので、あまりここには行かない。

  羊と牛の肉は売っている。スーパーの肉の売り方と言えば、パックに入れられて売られている、と思われるかもしれないがそうではない。大きな肉の塊を台の上に、どーんと乗せて売っている。牛や羊の腿が鉤にぶら下げられていたりする。そこから必要な分だけ切り出してもらって買うのである。買う人は、この肉は新鮮かなんて、肉に直接触ってみたりしている。私から見ると少し不潔っぽい。いやかなり不潔っぽい。

  豚肉は食べないが、日本と違って、羊肉はたくさん食べるようである。羊肉の食べ方はいろいろあるが、肉を薄くスライスして、しゃぶしゃぶにして、胡麻ダレで食べる食べ方が多いようである。

  このスーパーで売られている肉は、羊や牛にしても、普通の肉と違って特別な肉なのだそうである。よくは分からないが、特別なお祈りとかお祓いをしてあるのか、賭殺方法が特別でるのか、穢れを払ってあるらしい。これを清真肉と言う。「清真」はイスラムのことである。でもってこのスーパーの名前は「牛街清真超市」と言う。これは牛街回教スーパーとでも訳すのだろう。超市はスーパーのことである。住んでいる街の名前は牛街である。

  回教スーパーは肉だけでなく、お菓子でも清真食品と言われるものがある。お菓子の清真食品とは、多分回教徒の為のお菓子という意味だと思うが、回教徒的に穢れてはいないと言う意味もあるのかもしれない。

  このスーパー「清真超市」のほかにも、近くに羊牛肉専門の市場があって、個人の羊肉の店、牛肉の店がずらっと並んでいる。ここでも牛の腿がぶら下っていたり、戸板のような台の上に肉の塊のまま、どーんと載せて売っている。このような同じような店がずらっと地下に並んでいる様子は壮観とも言える。こう言った混沌とした様子が好きな人には、一見の価値があるかもしれない。

  もちろんこっちの市場の肉も、特別にお祓い(?)がされているのか、殺し方が特別であるらしい。それで比較的厳格な回族とか、ウイグル族などの回教徒が宗教上からも安心できる肉を買いに来るようである。

  私が住んでいるところは牛街と言って回教徒が多いのであるが、正確に言えば回教徒と言っても回族が多いのである。回教徒と回族とは意味が違う。中国政府は回族を、一つの民族としているが、実は正確には民族ではないようで、ウイグル族などの本当の民族を取り除いて、残った漢民族の回教徒を回族としたらしい。だから内陸部の回族と沿岸部の回族とはあまり共通点がなく、習慣も違い回教徒というだけが共通点であるらしい。

  その回族にしても北京のあたりの回族はイスラム教の本場からすれば、あまり厳格ではない。青海省や甘粛省の回族ともなると、酒もタバコもやらない人が多く、断食の習慣もある。しかし、北京に長く住み着いている回族は、一日数回のお祈りなどはしない。酒も飲むしタバコも吸うようである。しかし青海省の回族の食堂ではビールが飲めなかったし、ウイグルのカシュガルでも飲めなかった。

  この牛街には古くからイスラム寺院があって、元々はこのイスラム寺院の周りに回教徒が集まって牛街ができたようである。この寺の名前も清真寺と言い、イスラム寺院のことである。この寺院の前にバス停があるが、このバス停にバスが来ると、ウイグル語での車内放送がある。ウイグル語の案内があるのは清真寺と牛街のバス停だけである。

  牛街にはウイグル人はあまり住んでいないようであるが、このイスラム寺院に礼拝にくるコーカソイド系(ウイグル族など)の回教徒は多いらしい。金曜日が礼拝の日であるから、金曜日にこの寺院に行けば、ウイグ美人を見かけることがあるかもしれない。異教徒でも寺院の境内には入れるが、礼拝の為の寺院の内部には入れない。

  以前の牛街は、雑然とした平屋の町並みで路も細く、羊肉串(シシカバブー)を焼く煙がもうもうと煙っていたような街であったらしい。しかし今では路は広くなり、住宅は29階もの高層ビルになってしまった。小食堂は全て通りから消えてしまって、回教徒用の食堂として、ビルの二階の一箇所に集められている。

  今では他の街とあまり変わりがない通りになってしまった牛街であるが、胡同(路地)の名前は今でも残っている。しかし胡同の名前からはここが回族の街であることは分からない。牛街には確かにイスラム寺院がある。回教徒のシンボルの円い帽子(多くは白い)を被った人がいる。回教スーパーの看板も見える。その看板の色も郵便局の色も、他のレストランの色も緑色である。緑色は回教のシンボルカラーである。

  だから良くみれば回教徒の街であるとが分かるのだが、ほかに回族の街であることを示すものは・・・・・、  そうそう民族協和とか民族団結などのスローガンの絵看板がある。「民族団結」と言っても、「回族」に団結しようなん呼びかけているわけではない。漢族と他の少数民族とが団結して争いを起こさないようにしようと言う意味である。今の牛街は、中国では民族問題が何も無く、少数民族が平和に仲良く暮らしているという中央政府の宣伝に相応しい、シンボルのよう街である。

  他に回教徒の街らしい様子とは・・・・、 このあたりに何時も乞食がいるのだが・・・・、その乞食は回教徒の帽子を被っているから回教徒であるらしい。回教スーパーの前にも、回教寺院の前にも物乞いをする人が何時もいる。この地区が特に貧しい人が多いというわけでもなさそうであるが、ここに乞食が多いことと、回教徒とは何か関係があるのだろうか。この辺りの乞食は、何故か他のところの乞食より服装が酷い状態ではない。特に回教スーパーの前に何時も陣取っている老人の乞食は、回教の黒っぽい帽子(白い帽子より位が上と聞いたような)を被り、立派なあごひげも生やしている。回教徒もしくは回族には、乞食とか貧しい人に施しをするという習慣でもあるのだろうか。この疑問はまだ解けない。