二回病院に行ったが、金が無い為に治療を断られ、
痛い痛いと叫びながら病院のトイレの前で死んでしまった男の話

  新聞に載っていた話だが本当に悲惨な話である。大都会の有名な病院の廊下でこんな死に方をするなんて・・・・・   新聞には死ぬまでの経過がレポートされていたが、死に至るまで大勢の人が見ていたはずなのに放っておかれた。中国ではこんなことになっても仕方が無いことだと思ったのだろうか。もしかしてこれは中国の日常の光景なのだろうか。周りの人の様子から、金が無ければこれが当たり前だと思っている様子も伺える。これが当たり前だとすると、やはり異常な世界に思えてしまうが・・・・・

11日の夜
  王建民と言う出稼ぎ労働者の話である。二三日前から泊まるところが無く、北京駅の待合室で寝ていたらしいのだが、時々口から血は吐き、両手で腹を押さえて痛い痛いと叫び、ならが床を転げ回っていたのだそうである。同郷の出稼ぎ労働者が見かねて、救急車を呼び、近くの同仁病院へ送られた。救急車の記録に拠れば“吐血”と記録されていた。医者が血圧などの検査をした後、処方箋を書いたが100円もしない桂号代(受付料)さえも払えなかったので、医者との間に言い争いが起きた。医者の言うことには検査したけれど死亡の危険は無い、死ぬようなことはないから大丈夫だと言われて帰されてしまった。

  あとから記者が聞いた同仁医院の医者の説明に拠れば、生命に危険が無いときは、病院は治療代を立て替える必要は無い、もし毎回そんなことをしていたら病院は堪らない。それに患者は北京に親戚が居ると話していた、それならば親戚から金を集めてから治療を受けるべきだ、との話であった。

  王建民は腹が痛くて真っ直ぐに立つこともで出来ないので、友達に助けられ病院を出た。駅に戻る途中で別の友達に会い、その友達が病院に連れて戻してくれて、その友達が受付費5元を払ってくれて診察を受けることができたが、金が無いので、たった25円位の痛み止めの注射をしてもらっただけで、元の北京駅に戻ったのだとか。金が無いからとはいえ25円の痛み止めの薬とはどんな薬だったのだろう。

  救急車の費用さえ払えなかったと書かれていたから、北京では本来は救急車の費用は有料らしい。北京では数年前にようやく救急車の制度が出来たが、まだ救急車があるだけましな方なのだろう。そして救急車は金が無くても搬送してくれた。しかし病院は金がないと見ると、まともな診察もしない。しかも良く診察もしないで生命に危険がないと間違った診断を下している。

  同仁病院の医者とあろうものが、吐血して、腹が痛くて転げまわっていれば、胃に穴でも開いているのではないだろうかと疑わないものだろうか。私でも何か危険な兆候のように思えるが、医者だからその程度の予想はついたのかもしれない。もしかしてこの医者はもっと先のこともちゃんと予測も出来て、開腹手術の必要があるかもしれないと思ったのかもしれない。 しかしもしそんなことになれば、手術費用は回収できないことが明らかだから、医者は医術より算術を優先して、命に別状はないと診断した。それもこれも、この患者は金が払えそうにないと見立ててのことだろう。

12日の夜
  帰されて北京駅に戻ったが、12日の夜になって、痛みが絶えられなくなり、再度同仁病院に救急車で送られた。救急車の記録には吐血と書かれていた。今回のは前回のより痛みが相当酷く、地面をごろごろ転げ回るくらいな痛みだったので、駅の民警が病院まで付き添って来てくれた。しかし病院の看護婦の応対は、又来たの? であった。

  見た人の話によると、王建民は担架の上に置かれていて、腹を抱えながらイタイイタイと叫びつづけ、口には血が付いていた。しかし検査の結果、医者が民警対して言うには、やはり生命の危険は無いと言うものであった。

  王建民はこのとき、医者に今親戚から金を集めているから、先に治療が出来ないものかと、頼んだのだそうである。医者の答えは、生命の危険は無い、金が来たらば治療を始めようと言うものであったそうな。

  その後二時間後には、送ってくれて民警も病院から去り、だだ一人王建民だけが病院のホールの担架の上に残された。その後王建民は病院の者からホールから追い出され、一階の廊下に担架ごと移った。

13日の早朝
  同仁医院の多くの患者は一階の廊下で、痛い痛い、助けてくれ、と絶えず叫ぶ声が聞こえるので、眠れなかったのだとか。王建民は一階の廊下の担架にずっとおかれたままだった。しかし医者は誰も彼を構わなかった。

13日の午前
  この頃彼は病院の二階の廊下にいた。痛くて立てないと言っていたが、誰も彼に構うものはいなかった。

13日の夕方6時頃
  王建民は二階の耳鼻咽喉科救急室の前に横たわっていて、二人の男に助けられ牛乳を飲んでいた。その後病院の警備員と付き添いの男の間に争いがおこり、王建民は耳鼻咽喉科の患者ではないという理由で、警備員によって一階に移された。移った場所は男便所の入り口であった。そこは救急室と10mも離れていない場所であったのだとか。

13日夜7時半頃
  便所の入り口で、担架の上に横たわった王建民は、痛い痛い、助けてくれーと叫びつづけながら、大量の血を吐いた。その血は廊下の壁にべっとりと付いた。

13日夜8時頃
   一階のある看護婦が、唸り声が聞こえなくなったのを不審に思い、警備員に連絡した。警備員は医者に連絡して、二人の医者が王建民の死亡を確認した。その後警察に連絡しところ、警察が直ぐ来た。

14日早朝
  患者の家族の要求か、別の理由により、王建民の死体はずっと朝まで一階の男便所のそばにおかれたままであった。これには多くの人がビックリしていたとのことである。

14日朝9時半ごろ
  エレベーター修理工の証言によれば、死体はようやく朝9時半ごろになって霊安室に運ばれたのだとか。

14日午後
  同仁病院の救急センターの主任・王某の言い訳

  12日の晩の血圧などの検査指標は、正常であって生命の危険なかった。13日の昼頃検査をしてみたら、病状が悪化していることが分かったので、病院が治療費の立替をして治療をしようとして、12日の昼頃、王建民を見つけようとしたが見つからなかった。

  王建民はあまり話したがらないので、意思があまり通じなかった。13日の晩8時に宿直の医者から連絡をうけて、王建民が既に死亡したことを知った。王主任の推測では王建民は死ぬ前に多くの食べ物を吐き出したので、それによる窒息死かもしれない。本当の死因は王建民の家族が来て、法医学鑑定を申請して、初めて本当の事がわかる(不審死をしても家族の申請がないと死亡の鑑定はしないらしい?)と説明した。

  以上が新聞に書かれていた王建民の死亡までの経緯である。最後に警察は王建民の死亡を確認した。死因については調査中である、と結ばれていた。

  たまたま別の日のニュースで、1月8日に国家衛生部の高強部長が発表した今年の十大衛生重点工作についてのニュースが載っていた。その一つとして、「重病人を見殺しにするのは絶対に許さない」、「重病人や援助を必要としている人には、治療が先で支払いは後の原則を守れ」となどと載っていた。この言葉から推測すると、国としても金が払えないために、重病人が見殺しされてしまうことがあることを知っているらしい。「重病人を見殺しにするのは絶対に許さない」、と書かれていたが、実際には上の例の如くである。

  新聞が記事にしたのは、これでは正常な社会ではないと思ったから記事にしたのだろう。しかしその新聞も異常な光景であることは伝えているが、人一人がこんな状態で死んでしまったことについては、病院が悪いとも制度が悪いとも、全く触れていない。新聞の記事の様子では誰も罪にならないように思える。明らかに、患者が金が払えないと見て取って、死ぬことはないと診断した医者の責任は問われないのだろうか。高強部長が発表した十大衛生重点工作の中には、金が払えない場合は××援助金とか○○寄付金で払えと、具体的な方法まで書いてあった。しかし実際には見殺しの状態にされてしまうのは、やはり制度的にも問題だらけなのだろう。だから医者が医術より算術を優先させたのは仕方が無いことなのかもしれない。でもやはりせめて、こんな診断をする医者の責任を問える制度に、ならないものだろうか。

  もう一つ不思議なのは、このことを見過ごした周囲の者の中に、共産党員はいなかったのだろうか。テレビでは共産党の素晴らしさや先進性や人民の為の恩恵を何時も宣伝している。日本の自民党員にそのようなことは期待できないが、そんなに素晴らしい中国の共産党員にだったら、この患者を救うことができたはずなのではなかろうか。テレビの宣伝内容からはそう思える。近くに共産党員が居なかったのが王建民にとって不運であった。

  新聞が記事にしたのは未だ救いがある。誰の責任だとも言っていないが、暗に現状を批判しているのかもしれない。だから記事にしたのかもしれない。