中国の県の書記には悪者が多いのである。安徽省では、18もの県の“県委書記”が汚職事件を起こしていることが発覚した。これは、何と全省の6分の1もの県にもあたるのだとか。凄い数字である。よく事件を起こすのは県の県長ではなくて、県委員会の書記である。

  中国では、県は省の下の行政組織である。日本の県よりは小さいかもしれない。その県には県長がいるのだが、県のトップは県長ではなく、県委員会の書記であるらしい。その県委員会の書記がワルで、よく汚職事件を起こして、新聞を賑わす。

  そもそもこの書記とは何者なのか。我々民主主義国家の者には分かりにくいが、共産主義国家特有の職位であるらしい。委員会とは共産党がお目付け役として、省や県に配置したのもので、そのトップが委員会の書記と呼ばれる。実は、国にも省にも市にも、国有企業にも、大学にもお目付け役として委員会があり書記はいる。この委員会のメンバーには共産党員でなければなれない。委員会の書記の仕事は、行政の仕事はやらないが実質的な人事権などの権力を握っている。だから県ならば県のトップは県長ではなく、共産党員の委員会の書記が行政区のトップである。

  いろいろなレベルの書記がいるのだが、よく汚職事件を起こす書記としては、県委員会の書記が最近よくニュースになる。県委員会の書記は“県委書記”と略して呼ばれる。“県委書記”は先にも書いたように共産員が配置したお目付け役であるのだが、その書記が率先して腐敗の問題を起こす。その腐敗のありさまとしては官位を金で売るのである。つまり賄賂を持ってきた人を優先的に昇進させてやる。これを“売官”と言う。お客は官吏であるが賄賂を出さないと出世できないことを知っているから、積極的にお金を持って地位を買いに行くらしい。これを“買官”と言う。

  山西省の翼城県の県委書記・武保安の例で見てみると、武保安は翼城県の県委副書記、県長、県委書記と出世していったようで、賄賂を貰うようになったのは県長になった2000年からのことらしい。2004年6月に逮捕されるまでの間に受け取った現金などは29回116.3万元(1,600万円)にもなるのだとか。しかし“売官”で積極的に賄賂を貰い始めたのは、2003年の9月末に県委書記になってからで、2004年6月に逮捕されるまでの僅か8ヶ月間に、28人にもの人に官位を売って売って売りまくり、88.8万元を稼いだのだとか。県委書記の方がずっと稼げるらしい。

  県長時代を入れると、受け取った賄賂は29回にもなるが、そのうちの17回は逮捕される直前の2004年の春節に集中している。春節は中国の正月であるが、そのときは“買官”をしたい人達が、門前に列をなしたのではなかろうか。やはり県委書記になって完全に人事権を握ってこうなったのだろう。このときから賄賂は一気に加速したようである。官を売った相手は、翼城県の県長、副県長、県の副書記、多くの局長、その他の県の多くのリーダー達であった。

  武保安が逮捕されたときの、本人と夫人の現金や預金は何と901.1万元にもなっていた。日本円に換算すると、1.3億円以上の金である。この中で、賄賂と理由がわかっている金額を差し引いても、更に410万元(5700万円)の収入源が解らない金があったのだとか。中国では収入源が解らない財産があっても罪になる。この他に米ドルでも8700ドルの収入源不明の金が見つかっている。中国では家族が賄賂に荷担するのと、賄賂をドルで貰うことがあるのが中国の賄賂の特徴でもある。

  ここからが本題なのであるが、何故中国にはこうも汚職が多いのだろう。先にも書いたが腐敗は中国の伝統であるから、それで多いのだと言う説もある。人民日報の論説には、人の資質とか思想に原因があるとする説もあった。腐敗行為をする人は、道徳、良識、自尊心が欠如して、奇形な栄誉感に蝕まれているという説である。「腐敗文化の培養基となるのは一体何なのか?」という評論に載っていた。

  “奇形な栄誉感”という言葉を見て、突然思い出したのだが、カラオケの小姐が言っていたことを思い出した。「日本人は金が無いと何時でも言うが、実は金がある。中国人は金が有ると言うが、実は金が無い」のだそうである。カラオケの小姐というのは意外に人間観察が細かいのである。カラオケの小姐の言に拠れば、これは“面子”の問題で日本人は“面子”のことなど全く問題にしないから、平気で金が無いと言う。中国人は“面子”があるから金が有る振りをする。カラオケの小姐は評価では中国人は金がある振りをして人を欺く人が多いのだとか。このことと、“奇形な栄誉感”と結びつけると、どうも中国人の方が、腐敗にはまりやすいようにも思えてくる。ついでに書いておくと、カラオケの小姐の感想は、日本人の方が誠実で良いと言っているのでもなさそうで、直ぐに恥も外聞の無く「金が無い」などというのも、あまりにも拘りが無さ過ぎると感じるようであった。

  話題を元に戻すと、腐敗の原因を伝統とか習慣とか性向だけに求めるのはよくないのだろう。県の書記に腐敗が多いのを見ても、県というところに注目してみれば、ここには新しい開発などによる金と利権とが渦巻いているらしい。金と利権とが集中していれば日本でも腐敗は起こり易い。さらに県などの小さい行政区は中央からの目が届きに難いのも確かだろう。だから県という行政単位は汚職が起きやすい場所なのだろう。

  しかし他の先進国(日本もふくめたて)と違うところは、中国の場合は書記に人事権などの権力が集中しているところが違う。さらに違うところは書記は共産党員でなければならないというところも違う。最も違うところは書記などの指導者を選ぶのに、全く民衆の声は反映されず、選挙という民衆の洗礼も受けることがないというところである。つまり指導者の人選を含めて、政治的権力は共産党に独占されているところが違う。これが腐敗の原因かもしれない。

  一番最初に中国の県の書記には悪者が多いと書いたが、本当はここに悪者を集めたわけではないだろう。しかし腐敗(汚職、売官)で逮捕されるの共産党員が断然多いのも確かである。では本当に共産党員に悪者が多いのだろうか? 県の書記に悪者が多いように見えるのも、共産党員に悪者が多いように見えるのも、ここに権力を握った共産党がいて、透明でも公正でもなく、選挙という民衆の洗礼を受けないからなのではなかろうか。

  こう言う意見は、既に中国の新聞にも現れている。この程度ならば中国でも、発表しても問題が無いらしい。買官売官事件が頻発するのを受けて、人民日報の11月23日に「民主は“売官書記”の解毒剤」と言う投書があった。ここには共産党が悪いとは書いてないが、指導者を選ぶのは選挙でなければ駄目だとはっきり書いてある。

  その主張に拠れば、買官売官が頻発する核心の問題点は、誰に政治指導者を選ぶ権利があるのか、と言う問題であるという主張である。それは世界的にみれば民主的な選挙によって選ぶべきことは言うまでもないことであって、県委員書記などの個人に属するものでは決して無いと書いてある。しかるに“部保安”の事件では彼一人に高度に権利が集中していて、監察部門でさえも、まして副書記などは全く彼を監督など出来ない。そこで、指導者を選ぶ権利を民衆に与えるならば、監察部門の必要も無く、売官などの現象は無くなると言うものである。

  更に主張は続くのだが、民主とは多くの人によって指導者を選ぶと言うことであり、民衆がその権利を持っているということである。一人が選ぶより多くの人が選んだ方が、適任者を選べる。また社会を安定に保てる。上から決める欽定官吏(上で決めた)では民衆を信頼させるのは難しい。大衆は盲目ではないから多勢で選挙した方が、一人が選ぶ官吏よりずっと汚職時間が起きにくくなる。そうして選ばれた指導者は民衆の為を考えるから、公共の利益とか福利にもなる。一人とか少人数(または密室)で選んだ指導者より民衆の為のサービスをずっと考える。

  当然民主にも弊害があって、大衆の情緒に左右されやすく、能力の低い指導者を選んでしまうこともある。しかし民衆は彼を選択する権利を持っているのだから、心配する事はない・・・・・  最後に西洋の政治学者の言葉を引用して、「民主は一番良い結果を生み出せないかもしれないが、最悪の結果を避けえることができる」と結んでいた。

  中国が指導者を選挙で選ぶことをしないのは、中国の民衆が未だ愚かなので、選挙などに任せられないからなのか? 選挙を行うと共産党の独占的地位が危うくなるからなのだろうか。いずれにしろ現状では共産党員が問題を起こさないように、党員教育を盛んにやっている。不正をしない、しかも能力のある共産党であれば政権を担当するのが当然だという理屈だろう。しかし共産党員の腐敗は跡を立たない。だからこそ共産党は素晴らしいと言う宣伝を盛んにやっている。共産党こそが日本を追い出して新中国を作ったと言う宣伝が、今でも盛んになのも、共産党独裁を正当化する宣伝の一貫ではないだろうか。

  中国は共産党独裁でない! 確かに中国には私は国民党員だと言う人も居て、独裁に見えないような仕掛けがある。しかし国民党員では書記にはなれない。選抜されて共産党員になった人の中でしか書記にはなれない。一層の事、腐敗が多い県の書記と言う役職を無くしてみてはどうだろう。元々行政の実務は市長とか県長とか省長とかがやるのだから、実務を行わないで、思想とか紀律とかいうものを監視するだけの書記など要らないのではないだろうか。思想とか紀律とかを監視の為の部門なら紀律委員会とか監察部門が既にある。あってもそれらの人事権が書記の手の中にあったのでは、紀律委員会などが機能しないのではなかろうか。だから異常に権力が集中している共産党の書記などは無くした方がいいのでは。そうすれば腐敗を行う人物も少なくなる。しかし書記とは共産党のシンボルのようなものだから、無くせないだろう。かくして県委書記の汚職はなおまだ続くだろう。

県委員会の書記に汚職事件が多いわけ