出勤する時、団地の入り口を抜けて出ると、大量の葱が売られている。トラック一杯に葱を積んできて売っている。別の日には今度は白菜をトラック一台分、積んできて売っていた。

  今の北京の晩秋の季節に、葱売りと白菜売りが表れるのが風物詩なのである。葱売りと白菜売りと言っても、普通の八百屋とは違い、葱や白菜だけを大量に売りにくる。そしてこの光景は、だんだん消えかかっていく風物詩でもある。

  葱は窓の外に積んで寒風に晒しておく。葱の外側は北風にさらされてカラカラになるが、内側は外の寒さにもかかわらず、意外にも新鮮なまま保たれる。白菜はカメに漬け込んで漬物にした。いずれも昔は、冬の貴重な保存食であった。白菜は以前は確かにカメに漬けたが、団地に住むようになった今は、漬け込まないのかもしれない。出窓に白菜が積まれているのが見える。このままで保存しても、内側は案外新鮮に保存できるのかもしれない。

  しかし今は葱や白菜はいつでも買える。スーパーでどこでも売っている。だから大量の野菜を買い込む必要は無いのだが、今の時期に買い溜めする習慣が残っていて、この季節になると、葱を買いたくなるのだろう。団地の私の部屋から外を覗くと、窓の外の棚に葱を大量に積んでいるのも見られる。

  以前の中国の東北地方にいたこことがあるが、東北地方では冬になると本当に野菜が無くなった。それほど昔のことではく、12年前くらいのことである。その頃は南から野菜を(凍らせずに)運ぶ方法も無く、温室で作る技術も無く、本当に野菜が無くなった。ナスなどは布団で保温した箱の中に保存されていたが、寒さでとろとろになっていた。そんな状態だから東北地方の今ごろは、急いで葱と白菜を買い込んで冬に備える季節でもあった。

  北国の今頃は、晩秋というよりもう初冬と言った方がいいかもしれない。もう雪が降り出していた。その頃になると街の交差点などに、一斉に葱を山のように積んだ馬車が現れる。それから少しすると今度は、白菜を積んだ馬車がたくさん現れる。白菜が現れるのが先だったかもしれない。何しろ買う量が半端ではないから、たくさん現れるのである。昔はリヤカーに半分位は白菜を買ったと言う。馬車は馬ばかりではなく、ロバもラバもいた。葱を積んだリヤカーも現れた。あの地方のリヤカーは、本当はリヤカーではなくて、荷台がフロントに付いているから、フロントカーなんだけれども。

  葱や白菜売りが現れやすい街角は決まっていて、そこに山のように白菜を積んだ馬車が、たくさん現れて、交通の邪魔になるくらいであった。もう雪が降り出すから頃であったから、馬も、白菜売りも、雪を頭からかぶって、寒そうに客を待って佇んでいた。

  その姿が今でも目に浮かぶが、雪を被って佇んでいる白菜売りと馬の姿が今でもあったら、きっとデジカメで写真を撮るだろう。あの頃でも普通のカメラは持っていた。しかしあの光景が、懐かしい光景となるとは気が付かなかった。気が付いたとしても、それが段々少なくなる光景だとは思わなかったかもしれない。

  懐かしいと言えば、冬の東北で、保存食の白菜の漬物を使った料理を食べたが、あれも懐かしい味である。白菜と豚の脂身と春雨とを混ぜて煮た料理で、「酸菜白肉」と言った。白菜は塩を入れないで漬けるので、乳酸発酵をして酸っぱくなる。それを使った料理だから、ちょっと酸っぱい料理になって、それで「酸菜白肉」と言った。白肉は脂身のことである。

  今でも北京の街角に、秋になると葱売りと白菜売りが現れる。しかし馬車などではなく、トラックに積んで現れる。これもだんだん少なくなる光景だとおもうが、トラックと白菜の組み合わせではあまり絵にならない。写真に撮るにはやっぱり馬車とか、ロバ(ラバでもいい)がとことこと引っ張ってくるのでないと絵にならないな・・・・  と思うこの頃である。

晩秋の風物詩