中国人のアシスタント(複数の)に日本語を教えていて、ある文章の中にマザコンという言葉があったので、これはマザーコンプレックスの略語で、と教えたのだが、どうも話が噛み合わない。マザコンとは大人になっても母親から精神的に乳離れが出来ない状態でと、教えても、何故それが問題になるのかと、逆に聞かれてしまった。どうも中国人からすると母親と仲がいいことは、いいことであってむしろ良い関係ではないかということらしい。それで私は、人は大人になれば、親から離れていくのが自然ではないか、考え方も親とは別の独立した考え方を持つはずで、大人になっても親の言いなりになるのは、問題がある状態ではないかと言ってみた。すると、そうですね、自分の考え方が無いのは良くないですね、とは言うが、どうもマザコンという言葉を理解出来たとは思えなかった。念の為書いておくが、私の中国語が下手だったから理解できないと言うことではない。相手は日本語が上手な会社のアシスタント達だったから、日本語で説明したのである。 中国の家族関係は濃密であるから、中国では母親と息子の関係も、父親と娘のとの関係も、仲が良くて何が問題なのか、何故それを問題にするのかと言った雰囲気である。実際に日本の家族関係から比べると親子の絆は日本よりずっと強いよいうである。一例をあげれば、子供を育てるとき、じいさんばあさんが、両親に代わって育てている例がかなりある。まるで家族が育てるのだから、どの家族が育てても何も変わりがないというように見える。両親に時間的余裕がある場合でも祖父母が育てたりする。こういう関係から、大人になった息子が母親の言いなりになっていても、それが問題だと認識されないのかもしれない。 中国では結構大きくなった息子が、お母さんと手を繋いで歩いている(父親と娘の関係も同様にある)のを見たことがあるが、あれはただ親子の仲が良いだけで、マザコンとは関係が無いのだろう。手を繋ぐと言えば、中国では青年の女子同士はよく手を繋いで歩いている。男子青年でも手を繋ぐことがある。そればかりかいい年をしたおじさん同士が手を繋いでいるのを見たことがある。昨日は人民解放軍の兵士が手を繋いで歩いているのを見た。 実は、今日社員旅行から帰ってきたばかりなのだが、小柄な男の張さんは、今年は恋人だか奥さんなのかを連れて参加した。中国の社員旅行は恋人とか、奥さんとか、子供とかを連れて参加してもいいし、かなりの人が連れてくる。 で、その張さんなのだが、たしか昨年の社員旅行のときは、別の男の社員と手を繋いで散歩していたのを思い出した。これは張さんの嗜好が男から女に変わったわけではない。ただ仲が良いだけのことである。それにしても張さんの恋人との散歩の仕方は、抱きかかえるようにして散歩していた。日本人ならもっとさりげなく手を繋ぐ程度だと思うが。どうして抱きかかえるようにして散歩するのだろう。歩き難いのにと思うのだが。 手を繋ぐ話を書き出したついでに、夫婦間での手繋ぎについても書いておくと、中国では中年夫婦でも、老年になっても手を繋いで歩く。日本でも夫婦寄り添って歩くのはほほえましい風景ではあるが、日本の場合は、腕も組んで歩くのが多いように思う。中国の場合は手繋ぎである。 話をマザコンに戻して、日中辞典でマザコンを引いてみた。すると“恋母情結”と訳語が出てきた。ちゃんと訳語はあるのであるが、別の中国人にこの言葉はどんな意味かと聞いてみた。意味は恋人を選ぶとき、母親に似た人を選ぶような人のことだと言うことだった。どうも心理学から来たコンプレックスなどと言う意味からは、程遠い意味であるらしい。大体中国語の中には、西洋の心理学から来た言葉が少ないように思える。 日本人はフロイトか誰かが使った言葉をそのまま使って、嫁姑の問題を語ったりしている。日本人の大部分がフロイトの理論を理解しているとは思えないが、中国と比較すれば、日本には西洋の心理学が、非常に多く入ってきているのだと思う。難しい理屈はわからなくても、現実にマザコンという言葉で説明できる問題があるから、日本人はマザコンという意味を理解できる。確かに日本の社会にはマザコンで表せる問題がある。中国にもあるのかもしれないが、建前上、家族関係が濃密なのはいいことだと思われていて、マザコンはまだ中国の水面下に隠れているのかもしれない。 一般の中国人の中に、マザコンがあるかどうかは別にしても、マザコンという心理学からきた概念は存在しないようである。まだ中国は、西洋の心理学とか社会学上の研究が進んでいないのかもしれない。以前の中国の外国の研究といえば、マルクス経済学のみに偏っていたのだろう。それにしても日本は西洋の概念や学問を取り入れるのが速い。それは中国と比較した場合、外国語の概念が外国語の単語のままで入ってくることにも関係があるかもしれない。中国の場合、マザーコンプレックスと言う概念を輸入するにしても、“恋母情結”と訳したところで、従来からある言葉の意味に引きずられて、新しい西洋の心理学の概念は伝わらないのではないだろうか。それにマザコンはまだ水面下に隠れているから、隠れているものを、わざわざ西洋の心理学の概念で説明する必要も無いというところかもしれない。 その点、日本は外国の単語がそのまま入ってくるから、深い意味は解らなくても、新しい概念であることだけは分かる仕掛けになっている。しかし日本は外来語が多すぎる。私が暫く日本にいない間に、“ニート”なんていう言葉がいつのまにか日本に定着していた。この“ニート”という言葉も、今の中国では必要ないだろう。今の中国は日本の高度成長前の様子と同じで、あの頃の日本には“ニート”なんて居なかった。居たかもしれないが問題にはならなかった。 |
中国にマザコンは居ないらしい |