中国にも西洋式便器がある。形はほぼ日本と同じである。しかし同じように見えても実は日本の物と大違いなのである。のっけから尾篭な話で申し訳ないが、中国のは排泄物が便器の壁にこびり付いてしまう。日本のものは何と言うことも無く水の中に落ちて、水と一緒に流れて行く。これは単純な便器の形状の問題なのだが、そこが歴史の違いなのか、こだわりの違いなのか、一朝一夕には日本と同じ物はなかなか作れないようである。

  中国にも銀行カードがあって、ATMの機械がある。銀行カードが商店でも使えるのは日本より便利かもしれない。しかしある日レストランで食事をしていざ銀行カードで支払おうと思ったら、そのカードが使えない。現金が無いものだから慌ててしまった。仕方が無いのでご馳走するはずの人から借りて支払った。その後近くのATMで現金を出そうとしたらオンラインが止まっていることが分かった。こんなことでは困るのだけれど、中国ではオンラインが止まっても問題にならないらしい。北京銀行のカードは他の省では使えない。

  北京の SOGOに言ってワイシャツを買おうとして、値段を見たら5000円位もした。デパートで買うと日本より高い。それなのにデパートでもサイズが揃っていない。首のサイズは数種類ある。しかし首を合わせると、腕が合わなく、袖丈をあわせると首が合わない。同じような商品が並んでいるように見えても、実はよく見ると日本とは大分違うのである。

  天気の予報においても同じである。中国の天気予報も何気なく明日は晴れ、などと予報を出しているが、台風の進路予想ともなると、これは経験もお金に掛け方においても、日本とは格段に違いがあるのではなかろうか。中国にはあまり台風が来ないと言うものの中国の台風情報はいまだに台風の進路予想図が出せない。

  8月の始めに中国にも台風が上陸して北京のほうに向かった。この台風は中国語で「麦莎」と名前が付けられた。北京気象台は、この台風の影響による大雨の予想を出した。予想では8月8日の朝、北京を大暴雨が正面から襲い、局地的には100ミリの大雨の可能性もあり、雨は36時間も続くかもしれない。そして平均降雨は60ミリにも達するという予報だった。10年で最大の大暴雨だという言葉も出てきた。8日の朝の新聞には、北京の歴史上初めての暴雨紅色警報が出るかもしれない、市民は十分煮注意するようにと載った。

  実は北京の気象局は一年前にも雨の予想が出せなくて大恥をかいた。一年前の大雨とは昨年の7月10日のことであった。一時的な集中豪雨であるのに、北京は殆ど全域に渡って交通が麻痺して、おりしも週末であったので、平均渋滞時間は5時間以上にも及んだ。地下鉄の駅に水が入るは、地下道や地下商店街に水は溢れるは、十ヶ所以上の立体交差点の橋の下では2メートル以上も水が溜まり、小さい車は頭まで没し、バスは半分の高さまで水に漬かった。まるでSF映画の世紀末のようだったと新聞は伝えている。

  そのときの気象局局長の言い訳は、「暴雨の一時間前に各部門に強雷雨警報を出したので間に合っていた。しかし雨量が多いことの予測が不足だった」と言うものであった。しかも警報は北京の大部分の人達までには届いていなかったのである。

  それに懲りて、今回は先回の恥をそそぐ良い機会と捕らえて、今回は万全の準備を整え、数日前から台風を待ち構えていたのである。大雨予報においても改善がされたようで、数日前から予報を発表していた。

  新聞の表現によれば、この度の"麦莎"の"戦役中"で、全北京を総動員し、72個の防洪水指揮部を設置し、土石流の危険地区や、危険なダム、水門等の156もの重点地点に対策を講じ、30万人もの洪水阻止隊を組織し、その中の3.5万人は北京に駐在する部隊であった。その上居民委員会、隣組等の組織を加えると100万人もの"雄兵"であったとか。(ちょっと表現が大げさなような気もするが。特に30万人もと言うと、○○大虐殺の大げさな数字を思い出す)

  前日の7日の晩には、北京の水瓶である大きなダム二つの水を放水して、水位を下げで備えた。17の危険なダムも空にした。土砂崩れの恐れのある地区の住民4万には、前もっての避難を要求した。ある会社では土嚢まで用意した。危ない街路樹や看板、郊外の野生動物園でも何らかの対策を取ったらしい。居民委員会はベランダの鉢を取り込むよう指示したところもある。

  胡同の住民もいろいろ対策を講じた。しかしもともと胡同の住宅と言うのは、排水も万全ではなく、危険な家屋が多かったので、眠れぬ夜を過ごした人も多かったらしい。何しろ10年で一度も出会ったことのない大雨が、36時間も続くとの予想であったのだから。更に新聞の表現によれば、「北京中が万全の準備を整えて、"麦莎"を待ったと言ってもよい」と言う状態だった伝えている。

  眠ることもできない30万もの"大軍"は7日の夜の12時から臨戦体制に入った。そして8日の朝になった。多くの人は大雨のことが気になっていたから、ベットから飛び起き、10年一度の大雨とはどんなものかと、窓から覗いた。しかしあたりは静かであって何の変化も無い。どうしてこんなに静かなのか? "麦莎"はまだ来ていないらしい。どうしたんだろう。このとき北京人の心理状態は恐れや緊張から、だんだんと"麦莎"を待ち望む気持ちになってきた。どうせ避けることができないなら、どんなものかよく見てみようではないかと言う気持ちになってきたとか。
  
  8日11時時点での気象台の話によれば、北京の北側に高気圧があって、"麦莎"の速度を押さえている。"麦莎"は勢力を弱めたが依然として大きい。スピードが遅くなって遅れてはいるが、夕方頃には来るだろうととの話だった。

  昼になっても降り出さない。そのころからネットでの交信が加熱し始め、暴雨はどこに行ったのか? とか、こっちはまだだがそっちは降っているか? とか 朝陽区は晴れだよとか。晩なってもまだ降りださない。しかしついに翌日の9日の早朝になって降り出した。ある人が言った。「やったと降りだした。毛毛雨だ。これが10年に一度の毛毛雨かもしれない」と。毛毛雨とは小雨とか霧雨のことを言う。

  気象局はやっと9日の午前になって、市民を安心させるような予報を出した。「台風は勢力を弱め、暴雨から中雨に変わった。局地的にはまだ大雨もありうる」というものであった。そして9日の夕方5時には確かに20ミリの雨が降り出した。しかしその後の7時には暴雨対策本部を解散してしまった。

  数日たってからも、"麦莎"が北京に来なかったことで、いろいろと市民の話題になった。放水してしまったダムの水がもったいなかったとか、この話は「狼が来た」と言う話みたいで、天気予報に対する信頼が低下しだとか、8月8日をエイプリルフールの日にしようとか。最近はガソリン不足なので"麦莎"はガス欠となって来られなくなったのだとか。

  ある小話では;"麦莎"姐さんは何故北京に来なかったか? "麦莎"姐さん答えていわく。北京に来るには暫住証とか生育証とか務工証とかが必要であってとても面倒なのでやめたのだとか。北京に住むのはとても難しいのはほんとである。特に地方から北京に入ってくる者に厳しく、さまざまな証明書が無いと北京では生活できない。

  別の小話;"麦莎"が他の人に聞いた。何故、厳しい寒気や工場の廃ガスや大砂塵が北京に入れるのに、私は入れないのかと。ある人が答えていわく。寒気は高級幹部の子供だから、工場の排ガスは大儲けした商人だから、砂嵐は北京の戸籍を持っているからだと。こう言った人達なら容易に北京に入れる。

  また別の小話;"麦莎"は実は北京の西直門の立体交差点まで来たのだがそこから先に進めなくなったという話である。ここは悪名高い渋滞の名所で、おりしも"麦莎"は夕方のラッシュワーに差し掛かったので、立体交差から出られなくなって、ぐるぐる回っていたという話である。ここは設計が悪く複雑で、標識も少なく評判の悪いところであるので、本物の自動車でもうまく通り抜けられない場合がある。

  ある経済学者が"麦莎"が北京に入って来られなかった理由を分析してみた。それによると"麦莎"はある宅地開発業者が開発した団地の、広告に書いてある地図を見て北京に来たからだという。この団地は第五環状線の外であるのに、都心まで20分で行けると書かれていた。実は第五環状線というのは都心からかなり離れている上に、途中に渋滞の名所もあるくらいだから、これを信じて北京に向かった"麦莎"は、なかなか北京まで行けないので、途中であきらめて引き返してしまったのだとか。

  この後気象台は、台風の進路がおかしかったとか、経験も無いしとか、予算も少ないしとか言い訳をしたらしい。そして北京市の気象研究には確かに問題が存在するなどと人ごとのように言ったのだとか。確かに日本と比べると、経験も費用も雲泥の差が有るのだろう。それにしても「これだけ大外れで、影も形も来なかったのに、それに、これだけ大勢の人を空振りさせたのに、関連部門が一言もすみませんでしたと言わないのもおかしい」と新聞には書かれていた。中国ではこう言う場合謝らないで、やり過ごすのがいい方法なのかもしれない。

  実は、8月8日から遅れること4日後の、8月12日に「10年に一度」の大荒れの天候となった。その日は濃霧と雷と暴雨との三つが重なって訪れた。この季節にこの三つが重なったのは珍しいことで、どうもこれが「10年に一度」のことであったらしい。このときもいくつかの立体橋の下が水に浸かった。新聞によれば"敵"は,安心させておいて隙をついて現れ、狡猾であると書かれていたが、この12日の暴雨は予想できたのだろうか。多分出来なかったのではなかろうか。

  "麦莎"が来なかったので、世界の物笑いになったとも書かれているが、"麦莎"が来なくて本当によかったと書くべきではなかろうか。一年前の大雨の大混乱について新聞には、「ズボンの裾が濡れたと言ってもドロで汚れることは無く、自動車の流れが遅くなるといっても渋滞にならず、道は滑りやすくなると言っても水が溜まることは無いのが先進国だろう。然るに一陣の大雨で全身ドロだらけになり、自動車が道の穴に落ち、店先から茶壷が流れ出し、子供が街角で鍋で魚を掬うようでは世界の物笑いだ」と書かれていた。

  しかし、もし本当に36時間も暴雨に降られたら、北京中が水浸しになってしまって、一年前よりもっと醜態を晒したに違いに無い。昨年の大雨は、40〜50mm/hの雨が二時間にも満たない時間で降ったに過ぎない。もし予想が当っていたら北京のインフラの悪さがもっと世界知れ渡り、もっと笑われたのではないだろうか。外れて良かったのである。北京当局は、10年来一度も見たことのない"麦莎"姐さんが北京に来なくて、胸を撫で下ろしたに違いない。

天気予報が外れて大恥をかく