日本語を教えている社員が、ポツリポツリであるが、以前よりは自分の言いたいことが、随分言えるようになった。それで自分の故郷の家のことを話させてみた。その風景はどうも私も見た風景でもあるらしい。それで5年前に車窓から撮った写真を見せると、まさしくこの風景だと言う。

  日本語教育としても、生徒に日本語で話させて間違いを訂正すると言う方法は、日本語が中級に達していれば、なかなか効果がある方法だと思う。しかし相手が話す気持ちが無いと、この方法はスムースにいかない。彼の場合は自ら故郷のことを日本語で話したかったようであった。私も見たことのある風景であるし、彼も一生懸命話したので、話の内容は良く分かった。彼も彼の故郷が都会とは全く違う風景なのだということを言いたかったのだと思う。私にとっては、とても興味深い話だった。

  彼の故郷の風景とはこんな風景である。 車窓からの風景
  このような畑を中国語では梯田というのだが、日本語では段々畑と言うのだと教えた。因みに畑という漢字は中国には無い。日本で作った漢字である。この段々畑の写真は甘粛省の蘭州から天水へ汽車で行くときに撮ったものである。そして彼の故郷も天水から北にあって、渭水という川の傍だと言うことなので、場所はほぼ同じような場所であるらしい。畑が青々としているのは小麦が植えられているからである。このあたりは黄土高原であって、渭水という川が深く黄土を侵食して、両側に残った高い部分を天まで耕したのが、このあたりの段々畑の光景である。

  こののんびりとした風景にも見える段々畑は、実は大変なところでもあるらしい。彼に、日本には地震や台風の天災があると教えたが、彼の故郷では水が無いのが天災だと言っていた。山の上の農家には生活用の水道も井戸も無いのだとか。大部分の水は雨水で賄うらしいが、その雨もあまり降らないらしい。大切な雨水を集める装置の物があるのかもしれない(聞き忘れた)。生活用水は下を流れる川の傍になら井戸があるので、山から下りて水を汲みに行くのだと言う。どこの農家も水汲みには、毎日一時間とか二時間とか掛かるのだとか。美味しいお茶を飲みたいときは泉の水を汲んで使うのだとか。泉の水は美味しいのだが、その泉が湧くところは、遥かかなたの山の間にあって、何時間も掛かるらしい。

  この大変な生活を強いられるのは、山の上の農家である。川沿の農家に井戸もあり、地味も豊かなのでもっと楽くらしいが、山の上の農家ともなると、土地も悪く、機械化は全くできず、農業機械は全然無いらしい。あぜ道はこのくらいと示した幅は1mも無い。畑の幅も机の幅くらいしかないのもあるとのことであった。収穫も少ないらしく、収穫物は売れないと言っていた。売ると自分達で食べる物が無くなってしまうのだとか。しかし今は以前よりは生活が楽になったという。収穫が増えたのかと言うとそうではなくて、地方政府からのいろいろな費用の徴収が無くなったからとのことであった。実は中国の農家はいろいろな名目に名を借りて、税金とか費用とかを徴収されるらしい。これを“乱収費”と言って新聞でも問題になるが、売るための収穫も無く、従って現金収入もないような所からも、何かと金を徴収されたらしい。それが中国全体のGDPの向上で農家から金を巻き上げる必要が無くなったということであろうか。そう言えば農業税というのが無くなったとか聞いた事がある。

  彼の山の上の家はヤオトンである。ヤオトンとは黄土を横に掘った洞窟式の住宅で、冬は暖かく、夏は涼しいのだとか。今(7月の始め)頃は、両親はこのヤオトンに住んで、小麦の収穫に忙しい頃らしい。実は彼の実家は家が二つあって、山の下の川の傍にも家があるのだとか、これはヤオトンではなく普通の家である。普通は山の下の川の傍の普通の家に住んでいて、収穫の時は山の上のヤオトンに住むのだと言う。

  彼の家はずっと以前は、山の上のヤオトンの家だけだった。それが、父親が何かの理由で工場労働者になれた。お父さんが工場勤めをするようになって、山から降りて、下の村に住むようになったのだとか。彼に、何故大学に行ったのかと聞いてみた。将来両親に楽をさせるためと言っていた。そして大学へ行くことでしか、ここから抜け出せないとも言っていた。勿論出稼ぎに行くことはできる。しかしそれはあくまで出稼ぎでしかなく、それでは私が勤めている会社(ソフト開発)などには決して就職はできないのである。

  わたしは5年前に、このあたりの山の麓の農村の写真も撮っていた。 農村の風景  
山の麓では菜の花を栽培していると聞いたが、確かに写真を見ると菜の花が栽培されていた。

  山の下の生活もまたビックリすることとばかりである。ゴミは殆ど出ないのだとか。第一、村にスーパーなどは無く、ビニール袋などは無いのだとか。各村には唯一軒の雑貨屋が在るだけらしい。だからビニールで汚染されることもないと言っていた。(実は農村にビニールが入ると実に汚い。農村部ではごみを処理する能力が無い)。それで村はきれいだし、黄土の土もきれいなのだとか。黄土がきれいだと言う意味が分かるような気もする。ゴミも無く乾燥していれば、黄土自体はきれいなのかもしれない。子供は夏の間、裸足で暮らすのだそうである。食べ残した物は豚の餌になる。だから残飯もゴミにならない。家の周りに樹があって、その木は役に立つ樹なのだが、樹を切ると良くないことが起きる、と老人達は言うのだそうな。秋の枯葉は溜めておいて、オンドルの燃料になる。オンドルとは、床下暖房のことである。当然家畜のも人間のも、排泄物は肥料になるのだろう。私から見ると「ゴミが出ない生活」というのも何か感動的でありさえする。

  何故、大学に行けたのかとも聞いてみた。彼の家は貧しそうだった(どこも貧しいと言っていた)し、今の中国の大学は無料ではなくなっている。大学へはお父さんが工場で働いて貯めたお金で行けたのだという。しかし農村では結構若いのに定年になるらしく、今は農業だと言う。両親からすれば貯めたお金で息子を大学に入れて、ホワイトカラーにし、都会に住まわせるのが、親子の夢だったのかもしれない。これから彼が結婚して北京に家でも持てば、両親は北京に出てくるのだろう。私の会社の社員の話しから想像すると、子供が北京で所帯を持った場合、地方、農村から親が都会に出てきて、子供と一緒に暮らす例は、日本の場合よりずっと多い。彼の場合でも、親子第二代にして、もう少しで黄土高原の段々畑から解放にされることになるのだろう。

段々畑のある風景