フートンつまり胡同は北京の古くからの路地のことである。私は今まで北京の郊外に住んでいたのでフートン(胡同)にはあまり縁がなかったが、北京の街の中に引っ越してきてみたら、意外に近くに胡同があった。私が住んでいるビルも胡同を取り壊して、その後に作った団地である。

  取り壊して団地を作ったらから、胡同はなくなったが、名前だけは残っている。直ぐ近くにも輸入胡同とか、教子胡同とかがある。その胡同は昔からのフートンの風情など全くなくなって、広い道になっているが、そこを通り越して更に奥に行くと、本物の古い胡同が残っている。休みの日にそこを散歩したり写真を撮りに行って見たりした。そうしてあることに気が付いた。

  それは、北京辺りの人の家の作り方は、門を設けてその奥に家を作りたいということである。道路から直ぐ家に入れるようなそんな開放意的な家は嫌いらしい。勿論、商売をやっている人は、路地に入り口が向いていなければ商売にならないから、入り口は胡同に向いている。しかし普通の民家だと道から直接家に入る入り口は無い。

  その結果どのような家が出来るかと言うと、胡同に向けて只一つの門をつくり、その中に家を作るのである。それならば日本の庭付きの屋敷と同じだと思われるかもしれないが、そうではなくて、門の中に数家族が住んでいるのである。数家族で一つの門なのである。まるで熊ん蜂の巣のように入り口が一つなのである。蜂でも足長蜂の巣のようではない。足長蜂の巣は入り口がたくさんある。門は一つだけだから日本の屋敷ように裏木戸はない。行き止まりである。門の中の家と言えば、庭があるのではと思われるかもしれないが、あるのは庭ではなくて通路である。

  確かに四合院と言う建て方があって、そこには庭があった。しかし今ではそこに建物が建て尽くされていて庭は無くなってしまった。これは以前あった庭が建物で埋め尽くされて無くなったと言うことであるが、最初から長屋のような家を作る場合はどうするか。その長屋の入り口にも、門を作るのである。門の中に長屋があるようにするのである。つまり胡同の風景とは門がある風景である。門と言っても、ただ一軒の家のための門ではなくて、数軒を収容する共同の門である。

  そこには自分の住処を何かで囲っておきたい、入り口は一つにしたい。家の入り口を道に向けて露出しておきたくないという、強烈な意志を感じる。家の入り口に至る前に門のような、もう一つの障害物を置いておきたいと言う気持ちの表れかもしれない。

  "強烈な意志を感じる"なんて書くと、何て大げさな、何て思われるかもしれないが、もう一つの例を挙げると、私が住んでいるビルである。一フロアに12軒があるのだが、エレベーターを降りてから、自分の部屋に辿りくまでにもう一つのドアがある。三軒の為の共同のドアである。日本人の私から見ると、只邪魔なだけで、このドアの役割がわからないが、多分胡同の門からきた発想であろう。以前胡同に住んでいた人から見ればドアが一つ余計にあるだけでも安心なのかもしれない。なにしろ元の胡同の上に建てたビルなのだから。

  自分の住みかを何かで囲っておきたい、入り口は一つにしたい。家の入り口を道に向けて露出しておきたくない、家の入り口に至る前にもう一つの障害物を置いておきたいと言う考え方を継承して作られているのが、実はこの辺りの団地なのである。

  当然団地は塀とか檻のような鉄格子で囲む。団地の入り口は一つにしたいのかもしれないが、広大な団地ともなれば、さすがに一つというわけにはいかない。しかしとても少ない。日本の団地のように塀も無く何処からでも入れると言う状態からすると、とても不便である。団地の裏の店に行こうと思うと、遠回りをしなくてはならないから、腹立たしいほどである。

  私が住んでいた団地は、夜12時になると門を締めてしまい、一つの門だけが開いていた。私は開いている方の入り口に回るのは、とても不便なので、門を乗り越えて入ったこともある。そのうち、あまりに不便と考えたのか、門の横に小さい門が作られた。しかしその小さい門が問題で、自転車は通さないようになっている。小さい門が出来てから門を乗り越えなくてもよくなったが、自転車の場合はやはり不便である。

  何故わざわざ不便な状態にするのかと聞けば、「防犯の為」と答えるかもしれない。しかし私も門を乗り越えたくらいだから、そんことをしても泥棒が入ってくる可能性があることは確かである。私にとって、不便な状態になると言うことは、腹立たしいことであったが、この辺りの中国人からすれば、防犯用として完全ではなくても、何か障害物があれば安心できるのかもしれない。確かにあの奇妙な門は障害物であった。

  できるだけ封鎖しておきたい気持ちは、団地の他の部分に表れている。外の道路に面して団地の住宅を作る場合がある。道路に面しているから、道路から家に入れるかと言うと、それが出来なくて、一旦門から団地の中に入ってから、家にようやく入れるのである。この建物の一階が商店になっている場合がある。商店だか入り口は道路に向いている。しかし、裏側、つまり団地側に抜けられないようになっている。徹底して閉鎖的なのである。

  私が住んでいた団地の近くに一つの村があった。その村に入る道路の中央にコンクリートのブロックが置いてあった。自動車は通れるが、一旦ことがあれば、このブロックで道を封鎖するぞ、という意志の表れのように見えた。実際に、かってのSARS騒動の時は、道路を閉鎖したかもしれない。

  とにかく、胡同にしても、団地にしても、村のつくり方にしても、北京の辺りの造り方は防衛的、閉鎖的なのである。このことは中国のこの辺りが、かっては混乱が多かったのか、治安が悪かったのか、そんなことと関係があるのかもしれない。もし中国人の泥棒が初めて日本に来て、日本の家の作り方を見たら、簡単に入れそうに見えて嬉しくなってしまうに違いない。

フートン(胡同)の風景