中国に来た妻に、ちょっと怒りぽっいといわれてしまった。その理由は外国にいるからだろうとの推測であった。

  以前は確かにそうであった。中国の非能率さや製品の悪さに腹を立てたこともあった。たとえば机を購入したらそれは手作りの机みたいなもので、机の角が尖っていた。そこにズボンを引っ掛けて、破いてしまった。こんなことは日本では有り得ないから、本当に頭に来た。机の販売店に文句を言いたかったが、中国では当たり前の事のようなので、誰にも文句が言えず、不満が内攻していらいらした。最も頭にくることは、中国人の経営の仕方で、人間関係の管理とお金の管理だけしか頭に無くて、人間関係と言っても自分と関係のいい人に、いい地位を与えることとだけしかしない経営者がいた。お金のほうも使途不明になったお金が沢山あったらしい。しかし使途不明になったお金を発生させた本人は、未だに何のお咎めもなく北京の郊外で生活している。

  でもこんなことは十年以上も前のことである。今では、反日デモがあったとしても日々平穏に暮らしていて、腹を立てるようなことはあまり無いのである。

  しかし妻が北京に来たものだから、「また上からゴミが落ちてきた」と言ってみたり、「全く中国の道路は平じゃあないのだから」とぼやいたかもしれない。高層の集合住宅の窓から紙くずを投げ捨て済ます輩もいるし、道路にしても、平坦さが維持できない工事だから、雨が降るとすぐ水溜りができるのである。でも普段はぼやく相手がいないし、周りの中国人にこんなことを言ってみても、嫌味に聞こえるだけだからぼやくことはない。

  腹を立てる事は無いけれでも、心の中では、日本ではこんなことは無いなぁ、と密かに比較していることは結構ある。結構あるじゃなくて、毎日ある。部屋から一歩外に出るとそこはマンション(?)の廊下なのであるが、そこは砂だらけ。掃除人は大きいゴミは拾い上げるが、沙や埃などは掃き取らない。埃が多すぎて諦めているらしい。掃除をする人は、マンション(?)の廊下などこのくらいでいいと思っているに違いない。日本人から見れば相当汚いのだけれど。そう言えば、窓を開け放して出勤して、帰ってみると部屋が埃だらけになることがある。この原因は空気中の埃のことだから、だれに文句を言えばいいのか? 部屋の窓を明け放しにした自分を責めるしかない。

  マンション(?)の建物から一歩外に出てら、そこはもうゴミだらけ。このゴミは台所のゴミじゃなくて建材ゴミである。このマンション(?)は建設されて未だ一年なので、内装工事が多い。それで沢山の建材ゴミが出る。出るのはいいのだが、それをマンション(?)の敷地内に捨ててもいいらしい。捨てた後誰も回収しない。いや回収しているのかもしれない。ゴミはそれ以上は増えないので、時々は誰かが回収しているらしい。回収されるから、マンションの敷地内に便器の破片を捨ててもいいということなのだろうか。回収の制度はあったとしてもゴミを放置しておいてもいいなんて、やはりこれは日本違うと比べてしまう。この状態は出勤のとき毎日目にすることになる。で、「全くゴミが多いなぁ〜」と思わず独り言を言ってしまう。ここは高層ビル群のある団地であるがやはりマンションと言うには相応しくなくて、牛街団地と言った方がいいのかもしれない。

  家に帰るときにいつも通る道なのだが、焼肉屋の前で、行く手をふさがれる。焼肉屋の前には広い歩道があるのであるが、何故か焼肉屋の前だけ、お客の車を停めてもいいようになっている。公共の歩道であるのに、専門の自動車整理係を置いて、車を二重にも三重にも停車させている。歩道上の駐車の権利をお金を出して買ったのだろうか。不正なことが行われているのだろうか。何で焼肉屋が歩道を占有できるのだろうかなんて、少し腹立たしい気持ちでここを通る。

  そういえば北京のSOGOの金券があったので鍋を買おうとしたら、その金券は今は使えないという。何時なら使えるのかと聞くと分からないとの返事。しかし二三日後のゴールデンウイークになったら、使えることが分かった。再び鍋の購入に挑戦する。この鍋は日本製の特別な鍋なので、この金券では買えないのだと言う。この金券は、大売出しのときに100元買うと80元の金券を戻してくれるというものであった。それを使おうとしたら制限が多くて、有効に使えないのである。妻がいたので「大体100元買うと80元の金券を戻すなんてことが、そもそもおかしいのだ、使えない金券をもらったって意味が無いじゃないか」と妻に言ってみた。確かにこのときはいろいろとぼやいた。

  腹を立てることなどは、最近はあまりないはずなのに、と思ってこの文を書いていたら、結構ぼやくことがあることを思い出してしまった。でもぼやく程度で、腹を立てるなどはやはり少ない。例え隣の住人(9階)が窓からポイとゴミを捨てたとしても、「また捨てている」と独り言を言う程度である。

  実際に普段は穏やかな顔をして暮らしているのである。その証拠に街を歩いていると、よく道を尋ねられる。どうもほかの中国人より尋ね易いように見えるのかもしれない。ある人は私がやさしそうに見えるからだろうといっていた。こんなことを自分で書くのは気恥ずかしいのだけれど。

  よく考えてみれば道を尋ねられることが、やさしそう顔をしている証拠になるだろうか。案外、地元の物知りの中国人のおじいさんに見えるのかもしれない。そう見られても。、私は物知りではないので、殆ど答えられない。答えられないのは日本の住所表示と比べて、北京の住所表示が階層的になっていなからでもある。日本でならば港区の銀座何丁目の○○通りと聞けば大体の方向が分かる。北京では宣武区の○○ビルはどこか? なんていきなり聞かれても分かるはずはない。北京の住所表示はハイアラキー、つまり階層構造になっていないのである。

  話が逸れてしまった。北京の住所表示が階層構造になっていなくても、日本人にとってはどうでもいいことである


外国にいると怒りっぽくなるか