最近、私は北京の裏町観察家になっている。それに会社の近くの、報国寺の周囲の写真を撮ったりしているのだが、そこが近いうちに取り壊されるらしい。その公示が家の壁に張り出されていたが、その計画を「城中村」プロジェクトと言うらしい。報国寺の周囲は「城中村」であるらしい。

  「城中村」を説明するには「城」と「村」の説明しなければならない。中国語で「城」といえば街のことである。「城中村」とは街の中にある村という意味である。中国語の本来の「村」の意味には、乱雑なとか、汚いとか言う意味は、含まれていないと思う。だから「城中村」の「村」は「都会に残されたのどかな農村」などを想像してしまいそうだが、実はスラムのような場所を言っているのである。プロジェクトの名前としては綺麗な方がいいから、スラムではなくて「村」という字を使ったのだろう。だから本当の意味は、街の中に取り残されて、スラムのようになってしまった場所と言う意味である。さらにタイトルからは、そこを撤去するとか改築するという意味が読み取れないが、この「城中村」プロジェクトの実態はスラムの撤去と再開発である。

  私が住んでいる牛街の周りを散歩していたら、「危改」プロジェクトという看板が残っていた。これは危険家屋改造プロジェクトとい言うのが正しい名前であるらしい。「危改」プロジェクトなら意味がよく分る。古くて危険な建物を撤去して、私が今住んでいるような新しいて建物を作ったのだろう。私が住んでる辺りの以前の地図には、糖房胡同と言う名前の、細い路地が書かれていた。胡同といえば雑居家族が住んでいる平屋の街だから、危険な家屋があったのかもしれない。だから危険家屋改造プロジェクトという名前は解かりやすい。しかし危険な建物ばかりだったということも考えられない。その理由で全部取り壊さなければならないと言うところに疑問がある。「城中村」プロジェクトのネーミングの中にも取り壊すという意味が無いけれど、本当の目的が取り壊しであるように、「危改」プロジェクトの目的も、改造といいながら住民を立ち退かせて再開発するところに目的があるのではないだろうか。スラムのような所の住民には、身分証を持たないような怪しげな人も多いから、立ち退きには、そう言う輩を追い出す効果もある。

  北京の古い町を新しくて便利な建物にすれば、ずっと土地の利用効率はあがるだろ。更地を再開発地として売りに出せば、莫大な金になるだろう。その点から北京の古い町など壊してしまった方がいいのかもしれない。しかし壊してしまった方がいいとする口実は、「城の中に村が出来てしまった」とか、「住宅が危険である」という言い方で行っているのである。危険家屋改造プロジェクトの改造といっても、危険な家屋だけを改造するのではなくて、目的はその地域の全体の再開発である。再開発するとは言わないで実は再開発をしているのである。中国の再開発は日本と違って、地域全体を一斉に立ち退かせて取り壊すところが凄い。日本ではこうは簡単に、取り壊しなど出来ない。

  日本の街の中にも古くからの民家や屋敷がたくさん残っている。しかしその建物がスラムになることはならないし、日本の古い民家に倒潰の危険が出てくる、などのことはめったに無い。しかし北京ではそうなっている。その理由はなんだろうか。

  「城中村」すなわちスラムは、どうして出来るか。豊かでない人がある個所に集中して入り込むと、そのようになるのではないだろうか。住むとか、泊まるとかする場所が無ければ、スラムは出来ないはずである。その点、中国の平屋というのは実に簡単に部屋を増設したり、部屋を仕切ったり出来る。材料のレンガは、他所で取り壊したレンガを拾って使えばいい。押入れに毛が生えた程度の部屋なら簡単に出来る。家を作るときでも、一方の壁は既にある塀とか壁を利用すれば簡単である。床は土間のままでいい。

勝手に作ったと思える増築を容易にしている理由は、中国人の土地に対する感覚ではないだろうか。日本人なら土地の私有感覚が染み付いている。軒からの雨だれが落ちる場所は、自分の土地でなければならない。しかし北京の「城中村」を見てみると、家を建てるに当たって、どこまでなら許されるのか、何をしてはいけないのかが極めて曖昧のように見える。勝手に家を建てても良いように見える。家の建築基準とか規制なども無いのではなかろうか。

  無秩序とさえ見えるのは、胡同の門の中に建てられた建築物も同じである。元々、北京の屋敷は個人の物であったのが、文化大革命の頃、大勢の人に入り込まれて乗っ取られたものらしい。権利意識がいい加減なのも、その辺の事情が影響しているのかもしれない。屋敷を大勢で乗っ取ったと言っても、そこを壊して分割したのではない。元の屋敷の門や塀は残して、そこの中に住み込んだのである。中国人には建物が重要なのであって、土地は家の付属物である(今でもそうである)。この入り口を一つだけにして、その中に数所帯が住むという形式は、中国人の嗜好にあった住み方のようである。その中に更に家を増築したのだが、その作り方は、前からある塀や壁を利用して作ったバラックみたいなものである。門の奥に数軒が固まって、一つの門を共用して住む様は、蟻が穴の中に住んでいるようにも見える

  しかしこのようにして共同で住むと、共同の門とか塀とかは、誰が修理するのだろう。二所帯が分けて住んだ建物の屋根とか、家と家の中間にある壁などは、だれが修理を負担するのだろうか。そのあたりの管理とかがちゃんとできなくて、危険な建物になるのではなかろうか。胡同を歩いていると、管理が放置されていて危険になったと思われる門などもあった。

  「危改」プロジェクトがあるなら、何故、北京の古くからの平屋が危険化したかについての調査資料などがあれば面白いのだけれど。個人の屋敷が文化大革命の頃、数所帯に分割され、そこに地方からの出稼ぎが入り込み、建物は無法地帯のように建増しされ、スラム化して危険化したと想像したのは私の勝手な想像である。  

  尚、スラム、スラムと書いてしまったが、未だにスラムとは何かについて勉強もしないままに、この言葉を使ってしまった。北京にスラムがあるなんて間違いかもしれない。知らないなら使うなと言われそうだが、やっぱりスラムのようだったので・・・・・・、それに「城中村」が街の中にある普通の村なら、何も取り壊す理由は無いわけで、立ち退かせるなら、やはりあそこはスラムかもしれない・・・・・。

再開発計画「城中村」プロジェクトとか
「危改」プロジェクトについて