ついに6000年前の鉢を手に入れた。仰韶(ぎょうしょう)文化早期の土器で、魚の紋様がある。仰韶文化と言えば、西安にある半坡(はんぱ)遺跡が有名で、この遺跡は歴史の教科書にも載っているし、西安の観光コースにも入っているから、知っている人は多いかもしれない。今回手に入れたのは、その半坡遺跡と同じ時期の土器だから、大雑把に言えば6000年前の物と言える。紋様も半坡遺跡のものと似ている。

  手に入れた経緯は半分くらいは偶然だった。北京の有名な骨董市場である潘家園に行ったら、馬家窯文化の土器専門の露天商が居て、その人物が自分の泊っているところに行けば、もっと良い物があるというので、彼のねぐらまでついていったのである。そこへ行く前から、彼のねぐらとは地下室ではないかと予想していた。何故って、土器のような掘り出したものを置いておくには、地下室が相応しいのではないかと、何となく考えたのである。行った場所は確かに団地のビルの地下室であった。そこは薄暗い倉庫と言うわけではなく、廊下の両側に小部屋がずらっと並んでいて、そこに人が大勢住んでいるようであった。勿論窓は無い。

  単なる露天商と思っていたら、ちゃんとした店を持っている商売より、品物がびっくりするくらい豊富で、綺麗な土器もたくさんあった。この売り手の隠れ家まで行く前に、見るだけで買わなくてもいいかと、念を押しておいて行ったのだが、売り手は、勿論それでは納まらない。それで私は、ここに無いものを言ってみて、そこを抜け出す算段をした。そこで仰韶文化のもので、魚の絵が描いてあるもが無いかと言ってみたのである。仰韶文化の魚の絵がある土器は、よくある図案で本で見て知ってはいるが、まさか本物があるとは思えなかった。するとその売人は、「有る有る、明日家まで届ける」という。家まで届けられても面倒だから、「ならば買わない」と言ったら、この回教徒は携帯でどこかへ電話をした。この人物は回教徒なのである。その後5分もしないうちに魚の絵の鉢を、別の男が持ってきた。新石器時代の土器や石器を扱う地下のシンジケートが確かにあるらしい。地下とかシンジケートとか書いたが、この商売は別に違法な品物を売買しているわけではない。それにしても指定した注文品をデリバリーしてくれるなんて、ちょっと驚いた。

  持ってきたものは確かに珍しいものであった。この時代の魚の絵がある土器を、骨董屋で見たのは、後にも先にも瑠璃廠で只一度あっただけである。北京中の骨董屋を覗いて見た結果の、只一度だけであるから、確かに珍しいものである。珍しいものだから高い。持って来た男もそう言った。地下室に並んでいるものとは、1000年も古さが違うのである。それでいて形が綺麗であって、絵もちゃんと残っている。しかも傷が無い。土器の製法上から見ると土器の表面を磨いた上で、絵を描いてそれから焼いたので、表面がつるつるしている。絵は昔々の大昔の職人が描いたのだろう。専門職でないと、描けない画だと思う。

  でも、高過ぎる。高ければ買えない。実は私は中国の会社で働いているので、給料はあまり高くないのである。それにこう言った物はかなり値引き交渉で負けるものなのである。それで値引き交渉した。言い値の五分の二なら買うと言ってみたが、売り手はどうしても半値までしか負けない。確かに半値位が落しどころかもしれない。しかしまだ高い。「来週またくるからその時相談しよう」と私、「実はあした故郷に帰るので来週ではだめだ」と売人、「やっぱり高いから買わない」と私、「その値段では売れない」と売人。結局元の潘家園に戻ることにして、歩き出して暫くしたら、一緒に付いてきた地下室の住人(潘家園の露天で商売をしていた人で、地下室まで案内した人物)が、言い値の46%の値段を提案したので、それで手を打つことにした。

  買ったものは偽物ではないかなどと、心配してくれる人もいるかもしれない。買った鉢は、新石器時代を解説した本によれば、甘粛省東部の仰韶文化早期のものであるらしい。この文化はBC4800からBC3800の文化で、この時期のこの地方の土器は、形は底の丸い鉢が多く、殆どの絵は鉢の外側に描いてあって、魚の絵が多いとも書いてある。魚の絵は一匹のものもあるし、二匹の魚が並列に並んでいる絵もあるとも書いてあった。買った鉢は、底の丸い鉢で外側に二匹の魚が並列に並んで描かれていた。だから本の記述と一致している。

  しかしそう言った物を、真似て作った偽物ではないかと疑う人はいるかもしれない。でも焼き物の偽物をそっくりに作るのは難しい。そっくりではない偽物はある。そして中国の陶器にそっくりの偽物が多いということは確かにあった。しかし偽物をそっくりに作るのは大変なことで、それでもそっくりの偽物を作ったと言うことは、西洋に輸出してそれが金になったからである。偽物作りにも、利益をあげなければならないと言う、経済学の原理が働くのである。

  西安にある半坡遺跡は、やはり仰韶文化早期の遺跡で、時代はBC4800年〜BC3600年頃で、甘粛省東部の仰韶(ぎょうしょう)早期の文化と殆ど同時期である。西安は陜西省で、甘粛省の隣の省であるから近い。紋様も両者とも魚の絵などが多く、共通点も多い。半坡遺跡の図案では、ユーモラスな"人面魚"が有名で、鉢や盆の内側に書かれているものが多いが、甘粛省東部の仰韶早期の彩色土器にはそういったものは無いらしい。

  また、この鉢が西安ではなくて、甘粛省から出たものであるという別の根拠は、この彩色土器を売っている露天商は、殆どが甘粛省の回教徒だからである。何故甘粛省の回教徒だと分かるか? それはどこから来たのかと聞けば、全員が甘粛省から来たと答えるし、被っている白い帽子を見れば回教徒と分かるからである。実際、新石器時代の土器が出てくるところは、甘粛省でも回教徒が多いところで、例えば、甘粛省の"臨夏"などでは、本当に沢山出るらしい。そのあたりから来た回教徒が、潘家園の骨董市場には、6人はいて白い帽子を被っている。自慢にもならないが、実はその中の何人かとはすでに顔見知りなのである。暇だとしょっちゅう潘家園に行って、新石器時代の土器を見ているからである。

  本当に自慢にもならない話なのだが、甘粛省から来た回教徒とは顔見知りだけではなく友達でもある。何故そんなに直ぐに友達になれるか? 品物を見ていると「ヘイ!、友達よ。友達だから、これを安くしておくよ」と、よく言われるのである。こんな風にして友達になった人は、中国に結構いる。去年はお茶の卸問屋のおばさんとも友達になった。帰国するときにお茶を買に行ったら、向こうから友達にしてくれたのである。その代りいろいろなお茶を買わされてしまった。

6000年前の鉢を手に入れる