私の髪の毛はだいぶ薄くなってしまって、額もずっと後退してまった。こんなにならなければもっと若々しく見えるのにと思うときがある。日本語を教えるとき、「暑くなりました」という文型を教えることがあるのだが、「形容詞+なりました」は、〜に変わった、と言う意味だと教える。その意味を良く分からせるために、自分の頭を指して、「髪の毛が少なくなりました」となどと言って、以前と状況が変わったときに使うというとうことを教える。

  また「お金を失くしてしまいました」と言う言い方を教えて、「〜てしまいました」は自分のチョッと残念な気持ちを表すときに使うのだと教えたりする。そのときも自分の頭を指しながら、「髪の毛が少なくなってしまいました」ということは、残念な気持ちを表しているのだと教えたりする。

  そうすると中国人の反応は、ハゲている人は、頭がいいのですよと言う。ハゲいると頭が良いとは、日本ではあまり言わないが、中国では禿げていると頭が良いという見方があるらしい。私のことを頭が良いと見てくれるのであれば有り難いが、このことは私を気遣って言ってくれているのかもしれない。中国人は老人を大切にするようである。

  私の体重は徐々に増えて、今では80キロを超えてしまった。それでたまに日本に帰ると、妻から、そんなに太ってしまってどうするのよ、と一日に何回も言われる。全く自覚が足りないのだから! と。一日に何回も言われると辛いので、もっと痩せたいのだがなかなかままならない。私は大食いではないし、普段は油っ気の多い中国料理の外食はしないのだが、減量はなかなかできない。

  中国に戻って、「私は太っているから減量しなければ」なんて、日本語を教えている中国人の前で言うと、先生は全然太っていませんよ、なんて言われる。太って困ったと言うと、先生は元気そうで丁度いいです、とも言われる。別の中国人に、あなたのお父さんは元気ですかと聞いたところ、本間さんと同じ位に痩せてもいなく、太ってもいなくて、元気ですとの答えだった。

  でも私のウエストは90cm以上で、会社では一番ウエストが太いのは確かである。会社の社員は殆どが若者ばかりで、中年太りの人が居ない。でも私を太り過ぎという中国人は殆どいない。これって老人に対する思いやりなんだろうか。中国人が私のことをデブと言わないのは、私への思いやりなんだろうか。どうもそうではなさそうで、日本ではデブでも、中国ではこのくらいが標準的と思われている為かもしれない。中国では中高年の私くらいの肥満は、健康的と言われ恰幅がいいと言う程度のことになのかもしれない。

  これらの点、つまり頭が禿げていると聡明に見える点、日本ではデブでも中国的見方では普通であると見える点においては、中国に居るほうが居心地がいい。なにしろ日本の家に居れば一日一回は妻から、太り過ぎとか、節食しろだとか、運動しろだとか言われるのだから。

 中国人の、老人や子供津れのお母さんへの思いやりは、バスの中で席を譲ることではっきり見える。これは日本でなどよりずっとよく席を譲る。子供連れのお母さんは、殆ど席を譲ってくれるものと思って、満員のバスに乗り込んでくる。そんな中国の状況だから、私も相当歳なので時々席を譲って貰える。これは私の頭を見て判断するからからかもしれない。しかし私に席を譲るべきかどうか躊躇する人が結構いる。私の姿は、頭の割にはまだ現役のように見えると思う。背広を着てネクタイを締めてバスに乗るからである。

  中国ではネクタイを締める人が少ない。60歳以上で働いている人も少ない。中国では50代から退職になってしまって、60歳代働いている人は殆ど居なくなる。という訳で私に対して、老人らしいがまだ元気そうにも見えたりするので、席を譲ろうか、それとも無視しようかと上目使い見たりする人もいる。しかし、車掌には、あの席が直ぐ空きますよ、などと時々言われるので、私も確かに中国人からは思いやりを受ける歳になってしまったのである。

中国人の思いやり