中国の会社で、弁当を食べる人が結構いる。去年のSARSの流行以来増加したという人もいる。その弁当を覗いて見ると、なんか日本の弁当と違う。量が多いなんてのは直ぐ分かる。量と言えば、日本へ三ヶ月出張していた中国人が、痩せて帰ってきた。日本の弁当は量が少ないと言っていたが、これは日本で売っている弁当の話である。

  中国の弁当のことであるが、こちらは家庭で作る弁当の話である。中国の弁当の構造には、仕切りが無い。弁当の構造なんて大げさな事を言うまでもなく、簡単な透明なプラスチックの大きな箱なのである。だから量は入る。しかし仕切りが無い。そのせいで、中国の社員の弁当を見て分かるのは、ご飯とおかずが混ざっていて、ご飯におかずの汁が十分に染み込んでいるのである。普通、日本の弁当は仕切りがあって、ご飯とおかずを隔てている。だからご飯とおかずが混ざらない。

  仕切りが無いから混ざり、仕切りが有るから混ざらないのは、当たり前の事である。しかし、何故一方には仕切りが無くて一方には仕切りがあるんだろう。一つの理由は弁当の文化は、日本の方がずっと古くて、昔、きこりがわっぱめしを持って行ったとか、大名の花見に弁当を持って行ったとか、とにかく歴史が古いが、中国で弁当を持っていくなんてのは最近のことで、歴史がずっと浅いのである。だから日本の弁当の容器の方が、発達していると言える。

  日本と中国の弁当の違いを、別の観点から、考察してみると(少し言い方が、格調が高くなってきたかな?)、日本に有って中国に無い物の一つに、弁当の作り方の本がある。日本では料理の本のコーナーに行けば、弁当の作り方の本は直ぐ見つかる。しかし中国では、北京の王府井の大きな本屋で捜してみても、弁当の作り方の本など、見つからないのである。

  仕切りの有無に話を戻せば、歴史の長さが理由かもしれないが、それより日本人のこだわりにもよるのではないだろうか。日本人には、ご飯におかずを混ぜたくないという心理が働いているように思える。ご飯を白いままで弁当に詰めて置きたいとか、白いご飯をおかずの汁で汚したくないという意識があるから、弁当に仕切りが必要と考えるのではなかろうか。

  ご飯とおかずの関係なんて、胃の中に入ってしまえば、どうせ一緒になるのだし、カレーライスは食べる前に、ご飯とカレーを混ぜて食べたほうが美味しいから混ぜて食べる。日本のどんぶりも、あれはご飯に汁が染みて、ご飯を美味しく食べる方法でもある。しかし、どうせ一緒に口の中に入るものだからと言っても、日本人が弁当を作る場合、ご飯に煮物の汁が染み込んでしまってもかまわない、と考えるかどうか。

  中国のおかずは結構汁が多くて、それがぐっとご飯に染み込む。中国の家庭料理のおかずと言うのは、殆どが炒め物で、材料と味付けが違うだけのものである。そして、炒め物といっても殆どがドロッとした餡かけ風になり汁っぽい。弁当に入れるおかずは、炒め物一種類らしいが、数種類のおかずをご飯の上に載せても、味の上では問題はないのである。以前にも書いたが、中国の家庭料理のおかずと言うのは、おかずどうしが混ざってしまっても、何ら違和感が無いものなのである。このことからしても中国では弁当に仕切りの必要が無いように思える。

  一方日本の弁当と言うのはいろいろなおかずを入れるが、そもそもそのおかずは、あまり汁っぽくないように思える。弁当に入れる蒲鉾、ウインナ、ポテトサラダ、鶏の唐揚げ、とんかつ、などは汁が無い。勿論幕の内弁当には煮物も入っているが、煮物に汁はあるが、それをわざわざ弁当には入れないと思う。だからご飯と煮物とがくっつきあっていて、もご飯の方にそんなに汁が染み込まない。すき焼きみたいな汁っぽいものであれば、やっぱりご飯と隔離した所に入れるだろう。例え仕切りが無い弁当箱であっても、ご飯は右に、おかずは左にと、出来るだけだけ分けるのが、日本の伝統(?)ではないだろうか。このことは、ご飯は出来るだけ白いままでおいておきたいと言う願望の表れなんではないだろうか。

  しかし中国式の弁当の作り方は違う。おかずをご飯の上に広げてしまって、ご飯とおかずが弁当の蓋を取る前から一体になっている。勿論汁もご飯に染み込んでいる。おかずとご飯が混ざってグチャットしている。

  こうなると日本人にとっては、見た目にも美味しそうではなくなる。日本の料理は、と言うよりはたかが弁当のご飯であるが、視覚的にも美味しそうと言うところが大事なのかなとも思う。その美味しそうという感覚は、白いご飯は白いご飯であってこそ美味しそうに思えるのが、日本人の感覚で、その為に弁当の仕切りがあるのではなかろうか、なんてことを考えた。

  中国式の仕切りの無い、混ざってしまう弁当では、お母さんが子供の為に美味しそうな弁当を作ることができない。また、ボーイフレンドとか、ご主人の為に、おかずをきれいに並べた弁当を作ってあげて、愛情を表現するなんてことも出来ないと思う。私が日本に帰って、東京に出てデパ地下の弁当を見た時、余りのきれいさで食欲をそそる様子に、目がくらくらした。

  中国の弁当の話を書くつもりが、いつのまにか、日本の弁当礼賛と言うことになってしまった。そしてまたもやテーマは食べるものの話である。中国の生活において、食事は大きな関心事であることに間違いはないが、それにしても、もっと違ったテーマを考えなければ。

弁当の中を覗いて見たら