今度はご飯についてのこだわりであるが、実は中国人はあまりご飯にこだわらないと言うお話である。今回、日本に帰った時に日本からわざわざ新潟のコシヒカリを持ってきた。さすがに日本の米は美味い。味が全く違う。中国にも美味い米はあるらしいが、捜すのが大変である。中国の東北米は美味しいと言われているが、あれこれ1kgづつ買ったとしても、一人暮らしなので、美味い米に行き当たるまで相当時間が掛かる。もし中国人で米にこだわりを持っている人がいれば、ここの米は美味しいとか教えてもらえるのだが、誰も米にこだわりを持つ人がいないので、中国の米の10倍もする日本の米を持ってきた。

  中国では米のご飯に、あまりこだわりが無い。言葉の上からも中国では"米"と言っただけでは何の事か分からなくて、大米、小米、玉米などがある。日本語でいう"米"は大米である。小米、玉米はそれぞれ、粟、トウモロコシのことである。日本でお粥と言えば米のお粥であるが、中国では、米のお粥は少なくて小米のお粥や粟のお粥、それから雑穀をいろいろ混ぜたお粥などがあって、お粥が米のお粥とは限らない。

  私がいるのは北京で、中国を米地帯、小麦地帯と分けると、北京は小麦を主食とする地域である。従って、マントウなどの小麦粉製品が主食であるが、米もよく食べる。しかし小麦製品と米を両方主食とするせいか、米の味や炊き方に全くこだわりが無い。無さ過ぎる。

  中国人がご飯に拘らない理由は、分るような気がする。社員食堂での食事の仕方を見ていると、ご飯とマントウ(字は饅頭と書くが、中に餡が無い)などの小麦粉製品を同時に食べる人が大部分である。小麦粉製品はマントウだけではなくて、十種類くらいの製品があって、花巻とかナンみたいなものとか、あんこが入っている餅みたいなものから包子まで、それは沢山ある。ちなみに我が社の社員は北京人ではなくて、地方出身者がたい部分である。

  この社員食堂で米のご飯だけを注文するのは、日本人である私だけかもしれない。中には小麦粉製品だけ食べる人もいる。中には片手で箸でご飯を、もう一方の手にマントウを持って齧っている人もいる。どうも食べ方もあまり感じが良くない。とにかく、マントウもご飯も同時に食べている姿をみると、ここからはご飯にこだわりが生じるとは思えない。そして私には、ご飯と小麦粉製品を一緒に食べるというのは、奇異に感じる光景である。

  日本人も米の他に、小麦粉製品のラーメンやうどん、パンも食べるが、主食に両者を同時に食べる事は無いのではと思う。私が学生の頃、ラーメン・ライスなんてのがあったが、あれは貧しい頃に、食費を安く上げるためのものだった。しかし食堂で食べている中国人を見ると、ご飯とマントウのほかにお粥まで食べるのである。このお粥は米ではなくて、トウモロコシや粟などが多い。このお粥は食べると言うより飲むと言った方がいいかもしれない。薄くて殆んど味がしないもので、スープのようにして飲むのである。主食に類するものを同時に三種類食べて飲むなんて、チョッと驚きである。宴会ではこんな食べ方はみられないが、社員食堂では家庭料理に近い料理とか食べ方をしているようであるから、これが日常の食事の姿に近いのかもしれない。念のために付け加えておくが、これは貧しいとか、食費の節約とかでこのような食べ方をするのではない。この食堂では好きなものを好きなだけ食べてよい方式である。

  日本では言葉にもこだわりがあって、米を煮るではなくて炊くと言う。しかし中国語では米を煮るという。ご飯を煮る鍋は専用の道具として釜があった。中国にも今では専用の電気釜があるが、以前は無かったのでは。日本には電気釜ができる以前から、ご飯を炊く専用の釜があった。これは日本人の米に対するこだわりではないだろうか。

  ご飯を炊く前に米を洗うのであるが、日本語には米を研ぐという専門の言葉が有る。やっぱりご飯を作るときには、米をよく研いで、水加減をちゃんとしなければ。中国のご飯は、レストランのでも、研ぎ方も、水加減もいい加減。専用の電気釜も使っていなくて、鍋で煮ているのではないだろうか。美味しくない原因は米にもあるが作り方へのこだわりの無さにも原因がある。同じレストランのご飯が日によって硬かったり軟らかかったりで。ネチャッとしていたり、ぼそぼそだったり。ぼそぼそと言うのは、中国の南の方の長粒米のぱさぱさとは違う。短粒米でありながらもぼそぼそなのである。

  なお、中国にも米を研ぐと言う専用の言葉はあるようで、淘汰の"淘"がそれらしい。それなら米を洗うときよく研いで、糠をよく淘汰してもらいたい。以前のことであるが北京の吉野屋の牛どんのご飯が糠臭かった。実際には"淘"という言葉は、殆んど使われていないのではないだろうか。

  中国にも今では電気釜が普及しているが、日本式のと違って、餃子蒸すことができるものがある。この餃子蒸兼用の物であると、米を炊くときに必要な圧力のコントロールができない。これでご飯を作ると鍋で煮るとのと同じになってしまうのではないだろうか。しかし結構電気釜は店に並んでいるから売れているのだろう。考えてみれば自宅で主食を作るには、電気釜でご飯を作るのが一番便利なのではなかろうか。麺類も茹でるだけで便利であるが。

  中国のご飯で思い出したのだが、北京にセブンイレブンが出来た。そこでおにぎりを売っている。そこで問題なのは中国の普通の米だとは冷めると不味いはずである。それに中国人は冷めたご飯が嫌いらしい(これは不衛生からくる腐敗を恐れて、冷えたものやなま物を恐れる習慣になってしまったものと思われる)。だからおにぎりなんか嫌いなはずである。しかしセブンイレブンにはおにぎりが並べてあった。買って食べてみたが、温めるか?なんて聞かれた。中国のおにぎりは温める物なんだろうか。私は温めて貰わなかったが、冷めていてもまあまあだった。

  冷めたら不味くなるという問題点は材料を厳選することで解決したのかもしれない。もう一つの疑問だが、結構高くて(3元?)、中国人になじみが無いおにぎりを、どんな人が買うのだろうか。冷めたままでは売れなくて、温めれば売れるのだろうか。聞いてみたい事である。

  念のために書いておくが、北京のご飯は中国の南の方のご飯などよりは、ずっと美味しい。南の地方都市などに行くと、本当にがっかりするほど不味い米に当たることがある。それよりはずっと美味しい。それで私は、毎日の社員食堂での主食は、私にとって不味いマントウなどは食べず、ご飯を主食にしている。しかしあるところの日本料理屋のご飯はもっと美味しい。さすがに日本料理である。日本人ならあそこの料理屋のご飯はおいしんなんて言うかもしれないが、中国人は、恐らくあそこのレストランのご飯は美味しかったなんて事は言わないだろう

中国のご飯について考える