随分長いこと中国で働いているが、不思議な事に中国では"鯉の唐揚"が容易に食べられない。中国で働いていると言っても、私が以前居た所は東北地方であるし、今は北京なので、上海や広州で働いたことは無いのだが。

  "鯉の唐揚"とは、正確には"鯉の唐揚の甘酢餡掛け"のことである。何故、"鯉の唐揚"に拘るかと言うと、私の中国料理の原点は"鯉の唐揚"だったからである。小さい時、母親が食べさせてくれた、始めての本格的中国料理が"鯉の唐揚"だった。母親の思い出と共に、とても美味しかったので記憶に残っている。母親は、"鯉の唐揚"は中華料理のメイン料理で、最後に出てくるものだと言った。更に、最後に出る"鯉の唐揚"が食べらる為には、先に出されるもので、満腹にしないようにと、親切にも教えてくれた。しかし中国に来てみて分かったのだが、中国料理にはコースとか、メインディッシュとか言う考え方が無くて、料理がドカッと出てきたり、バラバラに出てくるから、最後に出てくるのがメインディッシュとは言えない。しかし西洋料理風に考えれば、メインディッシュに成りえる美味しい料理である。

  それはともかくとして、母親がこう言った"鯉の唐揚"についての知識を得たのは、戦後、世の中が落ち着いて本格的な中国料理が食べられるようになってからか、もしかしたら娘時代に東京の学校の寄宿舎に入っていた頃かもしれない。いずれにしろ、"鯉の唐揚の甘酢餡掛け"という料理は、かなり前から日本にあった中華料理で、その名前を聞けば、料理の内容が分かると言うくらいの料理に成っていたはずである。

  念の為、インターネットで"鯉の唐揚"を検索してみたが、結構情報が出てくるから、日本においては普遍的な料理である事には違いない。ただ"鯉の唐揚"と言うと、鯉をぶつ切りにして、ケッタッキーフライドチキン風に油で揚げた料理もあるから、これは私が食べたい本当の"鯉の唐揚の甘酢餡掛け"とは違う。"鯉の唐揚の甘酢餡掛け"は皮までカリカリと食べられるやつである。出来れば骨までカリカリと食べられればなお良い。

  因みに、ケッタッキーのフライドチキンは、日本語で言えば唐揚である。唐揚なら"唐"だから、中国に元からある料理法の様に思えるが、実は中国料理には元々無かったのではないだろうか。中国の料理理教室の広告で、ケッタッキーフライドチキン風の作り方を教えると言う宣伝を見たことがあるし、中国料理店で見る同じような料理は、ケッタッキーフライドチキン風を真似た様に思える。中国料理にも衣を着けて揚げる料理は前からあるが、あのカラッと揚がった食感を狙った料理方法は無かったのでは。中国には"ふんわり揚げた"という言葉の料理は確かにある。一般に中華料理の食感はグチャッとしている物が多い。

  もし、唐揚が中国の料理方に無かったとすると、何故あの料理法に唐揚と名前が付いたのだろう。日本人が勝手に唐風と思ってしまったのだろうか。ちなみに中国のケンタッキーの"フライドチキン"の名前には、"フライ"に相当する言葉も、"唐揚げ"に相当する言葉も無い。"辛くて味が良い鶏"と言う風に名前が付けられていた。名前からでは、揚げたものか焼いたものか分からない名前だった。このことは豚カツ(ポークカツレツ)にも言えることで、中国の西洋風の店で豚カツを食べたようとすると、料理の名前にカツレツ(cutlet)の意味が消えてしまっていて無い。だから肉にパン粉が付いているのかどうか分からない。これだから中国で料理を注文するのは難しい。

  それはそれとして、"鯉の唐揚の甘酢餡掛け"の方は。小さい頃の思い出もあって、中国にいるのだから、是非本場の料理が食べられないものかと拘っているのである。しかし、中国で食べようとしたら、"鯉の唐揚"が食べられない。全く無いわけではいが、10年前くらいに、中国の結婚式で食べた覚えがある。しかし長い中国の生活でただ一回だけであった。

  ところで、私が食べたい方の"鯉の唐揚"は、中国語で何と言うのだろう。日本に帰国した時に、普通の中華料理屋に行って"鯉の唐揚"は出来るかと聞いてみたら、甘酢餡掛けでしょうと、打てば響くように答えが返ってきた。この料理は料理時間が長く掛かるらしいから、前もって注文しておかなければならないらしい。そのとき中国語で何と言って注文するのだろうか。

  それで"唐揚"を辞書で調べてみたら"干炸"と出てきた。ならば"鯉の唐揚"は"干炸鯉魚"と言ってもいいはずである。しかし"干炸鯉魚"と言っても通じないのである。あるレストランで聞いてみたのだが、小魚の"干炸"はあるが、鯉では出来ないという。多分皮までカリカリに出来ないのだろう。

  実は、最近飛行機に乗ったとき、雑誌の広告で、"鯉の唐揚"らしき料理を見た。やっぱり"鯉の唐揚"があるじゃないかと思ってその料理の名前を見たが、料理の名前からでは、材料も作り方も想像できない名前だった。この料理の名前を忘れてしまったが、何だか有り難そうで、かっこいい名前が付けられていた。一般に中国の高級料理店の料理は、勝手に有り難そうな名前を付けるのである。こう言った料理を食べれば、有り難くて幸せな気持ちになるのかもしれないが、再びこの料理を食べようとした時は、この特別の名前を覚えていなくては、注文できないはずである。恐らく普通の人は再びこの料理を注文出来ないのではなかろうか。

  "鯉の唐揚"についていろいろと考えていたら、この料理には、中国語の固有名詞が無いのではないかと思えてきた。つまり、リピーターの便利のために人口に膾炙した名前が無い? またその必要も無い? 何故なら、"鯉の唐揚"はあまり有名な料理ではないし、これは宴会用の料理である。中国の宴会と言うのは、いろいろ変わった料理を出すというのが基本だから、"鯉の唐揚"は、そうした美味しそうな料理の一つに過ぎないと言う事ではなかろうか。日本で、酢豚定食を食べたい場合には"酢豚"という固有名詞が必要であって、ターゲットは酢豚である。しかし"鯉の唐揚"はターゲットではないから、固有名詞が必要ない? それとも中国人は料理の名前に拘らない?

  実際、大きいレストランともなると、調料理の注文をする時、メニューを見ながら、スープはこれ、肉料理はこれと、調子よく注文する事は出来ない。料理の名前が勝手に付けられているし、名前が分かっても味付けや作り方が別だったりするから、いちいち料理の作り方とか味とかを聞かなければならない。そう言った所で"鯉の唐揚"が食べられるとすると、ウエイトレスの説明の中に、偶然に"鯉の唐揚"があれば、そこでやっと食べられると言うくらいのものなのではなかろうか。

  こう考えているうちに、中国のレストランで、"鯉の唐揚の甘酢餡かけ"を注文するのは大変な事のように思えてきた。"鯉の唐揚"というような誰でも分かる料理の名前も無いとすると、代わりに作り方を縷縷と説明しなければならない。鯉の内臓を取って、二度揚げして、カラリとした皮と、ほわっとした白身に仕上げて、その上にとろりとした餡かけをかけ、甘酸っぱく仕上げる、とでも説明しなければならなくなる。これを私が中国語で言うのはとても困難であるから、誰か通訳でも連れて行かなければならない。しかしこれを通訳に上手く言わせるのも難しい。実際、通訳が食べた事も無い料理の作りを説明するのは難しいと思う。

  それでも、一度北京で通訳を連れて行ってでも、本場の"鯉の唐揚の甘酢餡かけ"を食べてみたいものである。

  そう言えば、酢豚も食べてみたいが、これは中国語でなんと言うのだろう。誰にでも分かる名前が付いているのだろうか。それからエビチリソースも食べてみたい。以前中国で酢豚やエビチリソースを食べたことがあるが、これは積極的にそれを注文したのではなくて、偶然に宴会料理の中にあったものか、見本を見て注文したのかもしれない。エビチリソースには固有の料理の名前があるのだろうか。

  中国に来てみて、中国のラーメンやチャーハンが意外に美味しくないと始めて気がつく人もいるかもしれない。中国のラーメンやチャーハンが美味しくないのは本当である。はっきり言えば中国のラーメンというのは引っ張って作った麺というだけで、日本のラーメンとは別のものである。チャーハンも余ったご飯を利用した料理に過ぎないような気がする。中国における焼き餃子もまた余った水餃子を鍋で焼き直した料理である。ラーメン、チャーハン、焼き餃子は日本に来て、更に洗練され美味しくなった料理であるが、"鯉の唐揚"もそうであるかもしれない。そうして"鯉の唐揚"でも、酢豚でも海老チリソースでも、日本でならばその名前を言うだけで、期待通りの味の料理が出てくるまでに進化したのではなかろうか。

鯉の唐揚についての勝手なこだわり