前出の松崎哲さんのホームページの中央に、奇妙な動物が書かれた壺の写真がある。これと同じ図案の壺を、北京の琉璃廠の骨董屋で見つけたのが騒動の始まりである。上のページの真中あたりにある、奇妙な動物が描いてある壺を見て頂きたい。本当は中国の考古学の分類では瓶だそうである。

  この虫のような、トカゲのような動物は実は山椒魚らしいのだが、この絵が書かれている壺は、馬家窯文化の初期の代表的な動物の図案である。このことは中国語の考古学の本(甘青地区史前考古、謝端?著、文物出版社)に、馬家窯文化石嶺類型の図案としてチャンと載っている。これを見たからには是非買わなければと思った。これは貴重なもので、もし、日本に持って行けば、博物館に飾ってもおかしくないのではと思った。それに私は既に馬家窯文化の土器を買って持っているが、それは馬家窯文化半山類型の4300年位前のものである。馬家窯文化石嶺類型ともなればそれより1000年以上も古い、5500年位前のものである。私は、中国人がよく言う中国5000年の歴史と言う言葉に引っかかっていて、5000年前と言うからには4000年前よりは5000年前の土器がほしかったのである。

  女の店員にこの動物は何かと聞くと、英語でドラゴンだと言った。しかしこれはちょっと怪しい。龍や人面蛇、トカゲという説もあるらしいが、例の考古学の本には山椒魚と書かれていた。この土器が出る甘粛省の中部には山椒魚がいるそうである。しかしドラゴン説の方が面白いかもしれない。もしこの頃からドラゴンを敬う習慣があったと証明できたら、一大発見である。何故なら、中国の皇帝のシンボルは龍であったのだから、龍という架空の動物が5000年の前から存在して(架空にでも)いて、それを敬う伝統が清朝まで続いていたとすれば、ドラゴン伝説が5000年も前に遡れる事になる。

  まあしかし、5000年以上も前のことだから山椒魚だかドラゴンだかハッキリしないのは仕方がない。この女店員は私が外国人だと分って、英語でぺらぺら説明したが、アンダーソン土器のことについては、結構知っているほうだった。他の店にもアンダーソン土器はあるのだが、この土器については知っている人は少ない。それは仕方が無い事で、新石器時代の土器なんて、中国の長い歴史の中では、ほんの片隅の歴史なのである。中国の歴史、文化というのはなんと言っても、中国のまっとうな由緒正しい文化を代表する黄河中流の青銅器文化以降が中心と考えられていた。青銅器文化以前に新石器時代の文化が在ったとしても、それは中華思想から見れば野蛮人の文化であって、石器なんて、まさに野蛮人が使う道具と思われていたらしい。

  この女店員の説明によれば、この土器は馬家窯文化石嶺類型だとのことで、本の記述とも一致する。であればますます買わなければと思う気持ちが強くなった。何とっても5000年以上も前のものである。しかし琉璃廠でこの土器を見つけても、直ぐには買うようなことはしなかった。一回目に行った時は見ただけであったが、二回目に行った時は更に念入りに手にとって調べてみた。絵の部分が鮮明過ぎるような気もするが、この時期の絵は黒が主で、鮮明なのが特徴なのである。絵の部分は後から描いたものではないか、と聞くとそんなことはないと言う。

  二回目に行ったときに、買うか買うまいか迷ったが、買いたいという気持ちを顔に出さず値段を聞いてみると、前回の答えと同じだった。感じではかなり負けるのではないかと思った。今お金が無いから次に来た時に買うと言ったら、これは珍しい物だから、次に来たときには無くなっているかもしれないなんて店員が言う。幾らなら買うかと聞かれたから、思い切って半分以下の値段を言ってみた。店員は少し考えるそぶりをして、それで売ると言う。それならば買わなければならない。こんなものを買う人がいるなんてあまり考えられないが、もし売れてしまったら、大変なチャンスを逃してしまったことになる。しかも言い値の半値以下になったのである。それで手付金を打って、次の時に店に行ったこの壺を時に買うことにした。

  何回も店に足を運ぶのは、その店に行って、他の彩色土器を何回も見せて貰う為である。その時も店の地下室まで行って、他のアンダーソン土器を見せてもらった。たくさん見ることが知識を増やすことになると思うからである。三回目に店に行ったときはお金を全額払って、馬家窯文化でも一番古い石嶺類型の彩色土器を手に入れた。このときも地下室に入って他の土器を見てきた。

  家に帰って包みを解き、テーブルに飾って、貴重なものが手入ったと喜んで眺めた。何しろ博物館級のものである。しかし落ち着いて、よく見てみると何だか絵が鮮明すぎるような気もする。それに絵の線の書き方が迷いも無く、奇麗に描かれている。だがそれが理由で疑わしいとはいえない。5000年前の物とはいえ、色が鮮明なのがこの時期の特徴であり、古代の壺といっても、これを描く人は相当の描き手なのである。驚くべき事に5000年も前の事でありながら、これらの壺や皿は実用品ではなく、鑑賞用、芸術品だったのである。既に手に入れた壺を見ても、描かれた模様は細かく、精緻であって、実際に使用されたり、弄くり回された形跡がない。やはり鑑賞用なのである。

  壺の絵はよくみると、壺に付着した土の上に絵が書かれているような気もする。これは後から絵を描き足したように思える。それに絵の描かれた側だけがいやに磨かれている。これは絵を描くところをよく磨いて、そこに絵を描いたようにも思える。しかし触ってみても絵の部分は盛り上がっていない。そこでひょと思いついて、綿棒に、いつも飲んでいるウオッカをつけて、絵の部分を拭いてみた。すると何と色が落ちるではないか。こうなると偽物であると言わざるを得ない。

  何故これで偽物と証明できるか? 馬家窯文化の彩色土器の作り方には特徴があって、土器を形づくってから表面を磨き、彩色を施してから窯で焼くのである。彩色の後に磨くのもある。いずれにしても絵を描いてから焼くので、絵は焼き付けられている。時代によっては作り方が違うのもあるが、例の中国語の考古学の本にも、馬家窯文化石嶺類型の項には、彩色後、窯で焼かれ、剥げないし、退色もないとハッキリ書かれている。だからこれは偽物だと判断した。

  土曜日に購入して、翌日の日曜日に琉璃廠に返しに行った。予想された事であるが、そこでひと騒動である。店員は当然偽物ではないと言う。買うときにその店員は偽物だったら三倍にして返すと言っていたから、それを恐れたのかもしれない。白酒(中国の臭い蒸留酒)で拭いてみろと言い返したら、アルコールで拭けば落ちるのは当たり前だと喚めかれた。他の彩色土器で試してみているのだが、絵を描いてから焼いてあるから、ウオッカで拭いても色は落ちないのである。店の主人は焼いてから描いたものだと言う。こっちの言い分の方が理屈に合っているが、馬家窯文化の彩色土器は絵を描いてから焼くのが特徴だろうと言い返すと、これは作り方が違うのだと言う。英語を話す女店員は、この時すっかり中国語になっていて、私は中国語で大分罵られたかもしれない。知識が無い素人はこれだから困るなんて言っていたようだった。
  
  結果はどうだったか? 三倍にして返せとは言わなかったが、お金は取り返してきた。このやり取りを読むと、私の中国語のレベルは相当高いと思われるかもしれないが、決してそんなことは無い。しかし限られた範囲の言葉だし、何が問題なのかが解っての会話だから私の主張は大体解ったらしい。この店は私を騙したのか? この点はハッキリ分らない。女店員自身は、日本の博物館で鑑定してもらっても問題ないと言っていたし、偽物だったら三倍にして返すと大見得を切っていたから、本物と信じていたかもしれない。店の主人はあさり引き取ると言ったところをみると、偽物であるのを知っていたか、その可能性もあると考えたかもしれない。

  で、返した壺は偽物であったか? 私は偽物と思ったが、壺を焼いた後に、絵を描き加える方法がまれにはあるのかもしれない。そう考えると返してしまったのがもったいないような気もする。何しろ博物館級のお宝であるのだから、何故博物館級と言えるか? 確か天安門広場の横にある歴史博物館でこれとそっくりのデザインの壺があったような気がする。だから博物館級の芸術品なのである。ほんとに博物館級か? 夢は大きいほうがいいようで。

  壺そのものは本物だと思う。考古学の本によるとその時期の土器に絵が描かれている割合は30%くらいとのことである。その絵が描かれていない壺は何処に行ってしまったのだろう。あまり骨董屋で見かけないが、絵を付け加え、価値を高めて売られている可能性は多分にある。買った壺がそのとおりの壺であれば、半分位は本物だったわけである。半分は本物と言っても、彩色があってこその彩色土器であるから、絵が無い土器ならば、その価値は10分1以下になってしまうに違いない。

  ところで、アンダーソンの壺の偽物騒動記と書いたが、今回の奇妙な動物が描かれている壺は、正確に言うとアンダーソン土器とは言えないかもしれない。アンダーソン博士はこの馬家窯文化石嶺類型の土器の発見に関わらなかったのではないだろうか。いずれにしても、今回の騒動で5500年前頃の土器を手にすることは夢に終わってしまった。しかし諦める事は無い。あの琉璃廠の店の地下室には、5000年前頃の馬家窯文化馬家窯類型の美しい彩色土器が眠っているのである。あれこそは本物のアンダーソンの彩色土器と言えるかもしれない。

  最後になるが、これらの土器が4000年前だとか、5000年前だとか言っているけれど、どうしてそんなことが、お前に解るの? と聞かれそうである。本の図録などに照らしてみると、ある程度は分かるのである。中国の新石器時代の彩色土器の文化は、形、図案、製法などから、年代、場所ごとに、その文化に名前が付けられている。例えば馬家窯文化半山類型(この時期の土器が一番美しい)などと名前付けられている。もしある土器が、その年代の文化の特徴(形、図案、製法など)をよく備えているものなら、その土器が属する文化が分かる。属する文化が分かると、その文化は何年前のものであるかが分かっているから、土器も何千年前のものかが分かる。

  各年代の文化が何年前位に存在していたかは、壺の中に残されていた穀類などから、炭素14年代測定法で年代が測定できている。また発掘された土器の、地中での上下関係からも、各年代の土器の編年が明らかになっている。ある土器の形、図案、製法が、ある文化の典型的な形、図案、製法と同じであれば、属する文化の判別はやさしい。しかし一部だけ似ているとすると、やはり判定は難しい。

  中国で発行されている、甘粛省青海省の考古学の本によれば、黄河上流域の土器の編年は図のように分類されている。この図は買ってきた本から、図式化したものである。なぜ黄河上流域なのかと言うと、この地方で彩色土器の文化が花開き、それゆえこの地方の新石器時代の研究が進み、文化の分類も細かくされているからである。そしてこの地方の典型的な文化の発掘の先鞭は、殆んどがアーソン博士が見つけたものである


  中国のホームページであるが、美しい彩陶の数々をご覧あれ。中国語では彩色土器のことを彩陶と呼ぶ。文字はメニューのエンコードの中から、簡体字中国語を選ぶと正しく見えるはずである。中にはアンダーソン土器ではない物も含まれているが、大分がアンダーソン土器である。別の彩陶のページもご覧いただきたい。次のページにも4000年、5000年前の芸術品が載っている。この中に例のサンショウオが描かれて壷もちゃんとある。このページの中の この写真はアンダーソン土器の数々。こんなにも綺麗な壷がたくさん出るらしい。

アンダーソンの壺・偽物騒動記の二