中国5,000年の謎
(6月14日)

  中国では「中国5000年の歴史」と枕詞のように言う。うっかり4000年の歴史なんて言うと、5000年だと訂正されてしまう。5000年前の壺(本物であるが、多分4,500年くらい前のものらしい)を買ったので、中国の5000年前は何があったのか、調べてみたくなった。もともと「中国5000年の歴史」の根拠は何なのか興味があったので、中国人に聞いてみたが、誰も答えられない。5000年前の歴史とか文明と言うからには、それなりの定義に基づいて言うべきだと思うが、どうもはっきりしない。

  北京の大きな本屋にいてみたら、中国5000年の歴史と言うような本を何冊か見たので、その初めのほうを見てみた。表題に中国5000年と有りながら、5000年前のことは何も書いてなかった。中国の歴史の始まりは、夏であるとして、夏と言う国のことから書き始められ、その後に続く殷、周に付いて書いてあった。この最初の夏の国は伝説から知られている国で、実際にあったのかどうか確定はされていない。しかし伝説といっても数々の発掘から、夏らしい国が有ったのではないかと推定されている。その夏の国が有ったとして、その時代は青銅器時代と一致する。そしてその青銅器時代は、今から4000年位から発達した文化であることがハッキリしている。

  この手の歴史の本は、夏の伝説から書き起こしているのであるが、日本でも伝説が根拠にして、日本建国二千何年とか言っていた過去があるから、他の国のことは言えないが、伝説に基づいて、歴史を教えたり、歴史を偉大に語りたがる国と言うのは、何か問題があるような気もする。しかし日本の伝説と違って、中国の夏の伝説の方は考古学的根拠がたくさんそろっていて、夏の国(青銅器時代)から説き起こしても間違いとはいえない。

  しかし、夏の国の伝説と共に書き起こすなら、やっぱり中国の歴史は4000年前からと言う事になるはずなのである。青銅器時代すなわち夏の時代は4000年前からなのであるから。では、なんで中国5000年というか。もしかしたら、伝説の夏の国は5000前からと考えられていたのが、研究が進むに従って、青銅器時代は4000年前からと言うことがハッキリして、矛盾が生じてしまったのだろうか。それならそれで訂正して中国4000年の歴史と変えればいいのにと思うのだが。

  一方、大学の教科書を買ってきて見たのだが、これにも青銅器時代(4000年頃)以降が歴史の領域で、それ以前は"史前考古学"の領域であると書いてある。教科書のタイトルからしても、4000年以前は"史前考古学"と書かれていた。だから中国4000年の歴史と言ったほうが正しいように思う。確かに、4000年頃から、文字ができて、青銅器が造られ、都市国家ができてきたので、この頃に文明が発祥したと言えるのではなかろうか。4000年前ならば、ある人(だれだったか?)が提唱した"文明"の定義にも合致する。

  また別の疑問であるが、何故"中国5000年"の歴史の本に何故5000年前のことを書かないのだろう。何故、夏の国のことから書き起こすのだろうか。中国の4000年以前は新石器時代と言われる時代があって、4000年よりずっと以前からのいろいろな文化があった。中国の文化は、昔の仰韶文化、竜山文化、商周文化と、伝統が現在まで続く唯一の文明である。だからこの新石器時代のことを書けば、5000年前の歴史について幾らでも書けるはずである。しかし、4000年以前の新石器時代については言及したくないように見える。もしかしたらこれは中華思想と関係があるかもしれない。4000年以前の新石器時代は、野蛮人の文化として、正当な中華文明の歴史とは認めたくないのかもしれない。

  だが歴史または文明の始まりを5000年前と区切るとするとやはりおかしな事になるかも。5000年前と言うと、新石器時代の晩期で、竜山文化の頃である。石器、土器などが盛んに作られ、穀物が栽培され、家畜も飼われていたが、まだ都市国家も亀甲文字も現れていない。5000年前と言うとなんとも中途半端な時代区分である。

  文明の発祥を、文字の使用とか都市国家ができたころとすると、どうしても4000年位前と言う事になってしまうが、いっそのこと5000年に限らず、もっと以前の仰韶文化の頃としたらどうであろう。仰韶文化は由緒正しい黄河文明の母ともなった黄河中域の文化である。陝西省西安市の半坡遺跡が有名である。これを根拠に中国6800年の歴史と言ったほうがいいかもしれない。仰韶文化の初めは紀元前4800年頃だからである。何なら四捨五入して、7000年の歴史と言ってもいいかも。こっちのほうが中国の歴史が雄大であって、中国がいかに素晴らしい国であるかを知らしめることができて、愛国心の発揚にはいいのではなかろうか。

  但しこれには問題が有るかもしれない。愛国心の発揚のために仰韶文化を文明発祥の時期として書くと、都合の悪い事には、この新石器文化はスエーデン人のアンダーソン博士によって発見されたのである。外国人によって発見された文化を区切りとするのは、抵抗があるかもしれない。中国の考古学は、外国人によって初めて科学的な研究が開始されたのである。

  もう一つの問題は、4000年以前の中国の歴史について記述するとすると、黄河文明のみならず、古い長江文化、四川の文化、それに南の浙江省の米の文化について語らなければならない。実は発掘結果からすると黄河以外の実に広大な地域から色々の文化遺跡が発見されている。これはもう黄河文明とは言えなくなる。元々、中国5000年の歴史と言う言い方には、輝かしい黄河中域の黄河文明を指して言っている言葉ではなかろうか。だから黄河中域以外について語りだすと、ピントがボケてきて、本来の黄河文明の歴史ではなくなる恐れがある。だから夏、殷(商)、周と、中国の正統な王朝から話を始めたいというのが、本当の事情かな、なんて考えたりした。

  中国が4000年の歴史を5000年とサバを読むなら、日本も「ニッポン一万年の歴史」と声高らかに言ってもいいかもしれない。日本の一万年前には、世界でも一番古い土器が有ったと言われ、縄文式文化があった。しかしやっぱり、中国の黄河文明からすると見劣りがするから、こう言ってみても、虚しい感じがするのは確かなことである。中国には4000年前であっても、5000年前であっても、その前であっても日本から比べると、遥かに豊かな文化があった。

  そしてその文化は、中国が黄河中流の黄河文明として誇るよりは、ずっと広くて古いのである。今私が関心を持っている壺(アンダーソン土器・馬家窯文化)にしても、4000年以上前の文化で、沢山の美しい壺が出てくるが、これはどうやら実用品と言うより、美術品、観賞用として作られたようで、その頃から豊かな文化があった。そしてこの文化も、黄河中流域の中華文明ではなくて、黄河がまだ青いままで流れている黄河上流域の、甘粛省とか青海省にあった文化なのである。

  このようにいろいろと中国5000の歴史について考えてみたが、何故"中国5000年の歴史"なのか、謎は依然として解けない。