人に教えるということ
(5月11日)

  教える事に余裕が出来てくると、人に教える事は面白い。ある作家が書いていたが、その人は小説が売れるようになってからも、どこかの大学かで、講師か教師かを続けているのだとか。その理由は、自分が知っていることを、人に教えるのは、こちらが優位に立ててそれが楽しいので、止めるつもりはないと言う意味のことを書いていた。知っている事を知らない人に教えるの確かに面白い。

  私は会社で、日本語も教えている。教える相手は日本語が全然解らない人から、かなり上手い人まで、レベルが様々なのであるが、いずれにしても、相手が知らない日本語を教えることであるから、教える側が優越感を持って、"これは前回教えたでしょう。もう忘れちゃったの?"と言えるわけである。そう言う時に、確かに小さな楽しいみも感じる。質問をして相手の答えが間違っていると、"それじゃ駄目駄目"なんて言うのだが、それもなんだか楽しい。

  しかし優越感を露にしたり、相手を馬鹿にしたのでは、嫌われてしまうから、顔には出さないようにしている。以前、妻からは相手を馬鹿にしているのが顔に出ていると言われた事もあるから、心しなければならない。

  告白すると会社の中国美人に教えるのも楽しみである。会社の美人が、大きな目で教えた通りに答えられた場合、こっちもうれしくなる。この際大きな目は、関係が無いのであるが。話が美人の方に行ってしまったが、美人でなくても、男性であっても、教えたことをドンドン吸収してくれる事はうれしい。教え甲斐があると言うものである。

  "それじゃ駄目駄目"なんて言って、それが楽しいのだが、いくら教えても覚えない人には、教えることが楽しみだなんて言っていられない。語学に関しては20人に1人くらいは、覚えるのが極端に不得意な人(大学卒業の学歴がある若者でも)がいて、これは大体男性が多いようである。このような人には、いくら繰り返して教えても覚えられない。"それじゃ駄目駄目"が言えれば、それだけで楽しいなんてものではなくて、やはり教えたことを相手が吸収して、それで日本語がだんだん上手くなってくれなくては、困るのである。

  相手にちゃんと教えたのに、覚えていない場合、"これは教えたでしょう?"と優位に立ったようないい方ができるが、反対にこの"ちゃんと教える"と言うことが結構大変で、突然、質問を受けて答えられないと、優位のはずの立場が逆転してしまったりする。知っている事と、知っていることを教えられる事は同じではない。私は長らく、今で言うIT産業にいて、人にプログラムの作り方を教える事をやった事もあるが、日本語を教えるとなると、プログラムの作り方のなどより、もっと教え方について知っていなければならないように思う。日本語が話せるというだけでは、日本語を教えるのは難しい。日本語が話せても、何故そうなるのかは、教えられないからである。

  日本語の文章の書き方に付いて質問されるのも楽しい。この会社で日本語が上手く表現できるのは私だけだけからでもある。こんな事を書くと、この私が書いた文章を見て、人に教えるほど文章が上手くないじゃないかと言われそうである。まあしかし、やはり日本語の会話が上手くても、母国語でない人が書いた日本語の文章と言うのは何にかおかしいのである。先日、青島、煙台、大連の四、五星のホテルに泊まったが、そこにはホテルの部屋の使用ガイドみたいなものがあって、日本語でも書いてあった。そのどのホテルの日本語もかなり怪しいものであった。やっぱり日本で育った私には、直してあげられる部分は多いのである。

  美人の女部長に、日本語の婉曲な断り方を聞かれるのも嬉しい。私がいる会社は日本の会社と日本語で盛んに日本語でメールを交換しているから、その中には断るとか、日本側に要求する、などが必要な場合がある。それを婉曲にして丁寧に、しかし確実に伝えなくてはならないとなると、日本語の手紙の書き方を教えるようなものだが、やっぱり表現が難しい。それでも、日本人の私にとっては、中国人が日本語を書くよりずっと簡単に出来る。極めて当たり前の事で、自慢にもならないのだけれど。

  しかし、日本語が解かるといっても、日本語のメールがいつでも簡単に書ける訳ではない。実はとても難しい場合がある。メールを日本語で書いてくれと言われても、自分は何を言いたいのか解かっていない場合がある。問題を理解していないこともある。会社の中国人が、日本語でメールを書くことが難しいのは、日本語の能力の問題もあるが、実は語学の問題ではなくて、問題点の理解の仕方や把握能力に問題がある場合がある。そんな状態で日本語に表現するなんてことはできないから、相手が言いたいことをうまく聞き出して、整理してやる必要もある。だから難しい。聞き出したことを原因と結果、根拠と意見としてまとめてやり、文章に組み立てるのも結構難しい。

  考えてみると、何で中国の会社で、日本語の文章を直して上げるなんてことが、仕事になってしまったのだろう。日本語を直してやる癖がついてしまって、先日の旅行の際、日本語のガイドの日本語を、そこは違うと指摘していたら、家族にここでそんことまでしなくもいいのにと言われたしまった。

  教えている生徒(社員)が突然会社を辞めるなんてのは、中国では日常茶飯事なので、これは教える側としては誠に残念である。ニコニコして日本語を習っていたのが、突然来なくなって、会社を辞めたことを後から知ることになる。