5000年の壺
(4月1日)

  もし5000年前の壺が簡単に手に入るとしたら、買ってみたいと思わないだろうか。それも泥にまみれた瓦のカケラのようなものではなく、奇麗な彩色があり、形も整った壺が買えるのです。妻にそう言ってみても何の関心も示さないので、誰でもがそう思うわけではないのは確かである。

  5000年前の土器なのであるが、それでも5000年前のものとは思えないくらい奇麗なものである。その美しさもさることながら、やはり5000年前のものと言う、圧倒的な古さに感激する人は多いと思うのだが。妻にそう言っても偽物だろうと即座に断定されてしまった。5000年前と言うと、その頃は新石器時代の晩期であり、青銅器文化が始まる前で、歴史に記録が残る前の時代である。古くて古くて古い、遥か歴史の彼方の時代の壺が実際に手に入るとなれば、どうしても買いたくなる人もいるのではないだろうか。

  古い土器と言うと泥にまみれているような感じを持つかと思うが、床の間に飾ってもおかしくない位奇麗なの物なのである。美しいと言う事がこの土器の特徴である。この土器は彩色がされていて、その上形が整っている。土器の色は黄土の黄色で、その上に黒や赤黒い色の線で模様が描かれている。紋様も近代的な感じの図柄である。それに土器の作り方が優れている。中国では5000年以上前から既に窯があって、高温で焼いたものである。だから薄くて硬い。そして土器の表面を皮で磨いてから焼いたらしく、表面がつるつるしている。だからほんとに床の間にも飾れるくらいのものなのである。表面が磨かれているのもこの土器の特徴である。

  この彩色土器には特別の名前が付いていて、スエーデンの地質学者であるアンダーソン博士が発見したので、アンダーソン土器と呼ばれている。アンダーソン博士は地質学者で、周口店で北京原人の骨の発見のきっかけをつくった人でもある。日本の骨董屋では今でもアンダーソン土器と言われているようであるが、中国ではこの名前を使わず、馬家窯文化の彩陶と言っている。アンダーソン博士は甘粛省の馬家窯などで、彩色土器を発見したからである。また、中国では土器と言う言葉が無く、土器であっても陶器と言って、彩色がある土器は彩陶と言う。

       アンダーソン土器(馬家窯文化)の写真

  この土器についての知識を披露するのがこの文章の目的ではない。一番言いたい事は、5000年前の土器を自分の物にすることができるということである。亀甲文字の時代より古くて、青銅器時代より古い物、歴史が始まる、遥か昔の5000年も前の物を、買おうと思えば買って、自分の目の前におい置けるのである。

  ある骨董屋で、この美しい土器を見つけて以来、その骨董屋の親父さんにいろいろ教えて貰ったり、無謀にも中国語の"彩陶"の歴史の本を買ってきて読んだりして、少しはアンダーソン土器のことが少し分かってきた。この土器が作られたのは今から5000年前から4000年前のかけてで、その後は青銅器の文化の歴史時代に入る。このアンダーソン土器の前にも彩色土器があり、その後も彩色土器があるが、青銅器時代に入ると"彩陶"はなくなってしまった。色彩の美しさから言えば、アンダーソン土器(馬家窯文化)の真ん中位(馬家窯半山類型)が一番奇麗である。一口に5000年前の土器と言っているが、実際は4000年くらいの物まで様々の時代と様式のもがある。

  骨董屋の親父さんに教えてもらい、本も買って読んだと書いたが、私の中国語はたいしたことがないので、分からないことも多い。その疑問の一つがこの土器が、何故かたくさん出土すると言う事である。沢山出ると言っても何処でも売っていると言うものではないが、北京のあちこちを探してみると、これを専門に扱っている店が数軒はある。骨董屋に流通しているくらいに出土するのである。骨董屋の親父さんに教えてもらったのだが、出土するところから定期的に卸しに来るルートがあって、少なからぬ量の供給があるらしい。そしてもう一つ不思議なことなことは、完全な形をしたものが売られているということである。この土器が観賞用か趣味の品として作られた様である。この土器はあまり実用品として使われた形跡がない。
この時代の、といても5000年も前なのだが、その頃の芸術品であったらしい。大型テレビ位の大きさの、彩色がある壺は、美術館に飾ってもおかしくない。

  これを扱う骨董屋の主人は、出土地の甘粛省の人であるか、甘粛省からのバイヤーから仕入れている。どんな所から出土して、どう言うルートで持ってくるかも知りたいところである。もし私の中国語がもっと上手かったら、この辺の話が聞き出せるのだが。会社の人間を通訳に連れて行って、詳しく聞いてみたいことでもある。

  骨董を買うときは次の二つの事について、考えざるを得ない。それは偽物ではないかということと、盗掘品ではないかと言う点である。

  偽物ではないかという点については、私が買うのは、これを専門に扱っている店であるし、私はこの壺や皿を沢山見てきたし、補修のある箇所のみ分け方を教わったので、まさか偽物はつかまされていないと思う。いつも行く骨董屋のおじさんは、偽物なら倍にして返すととも言っている。言葉だけを信じたわけではないが、このおじさんは絶対に本物だと言って、仕入れリストから仕入値段も見せてくれる。私が買う値段は仕入値に利益を20%くらい加えた値段で買うのである。

  しかしこんな例もある。別のところで皿を買ったのであるが、日本の家へ持っていて、これが5000年の皿だといったら、偽物だろうなんて言われて、そう言われてみると偽物のような気がするし(私が本物だと思うものと時代が違う)、それを買ったところに行って、前に買ったのは偽物ではないかと言うと、それなら、別の物と取り替えると言うのである。こっちの骨董屋は確信が無いらしく、こうあっさり取り替えると言う骨董屋も困ったものである。この骨董屋も顔見知りである。

  盗掘品かどうかについてであるが、このアンダーソン土器はちゃんと店に並べられて売られているものである。完全な形の奇麗な壺が店に飾られているのだから、まさか盗掘品ではないと思う。しかし歴史時代に入ってからの墓が盗掘されて、盗品が見つかって犯罪と成る事はとても多い。潘家園の骨董市場に行くと、後からいかにも怪しげな男が近づき、"旦那!良い出物があるのですが、チョッと裏の家の方に見に行きませんか"と熱心に誘われる。ここではアンダーソン土器などは売買の対象になっていないが、アンダーソン土器が地中から掘り出されるのも確かな事である。

  アンダーソン土器が盗掘品ではないという事は、それが出土する地域とも関係するのではないかとも考えた。これが出土する地区は限られていて、甘粛中部とか青海省東部、または寧夏省の南部などである。決して中国文明発生の地と言われている黄河中流地域ではない。黄河の上流で出土するもので、中国の黄河文明の発祥の地の黄河中流のものではない。だから中国の本家の文化とは認知されていないから、発掘が問題にならないのかなと想像したりしている。そう言えば、漢字の起源となる甲骨文字が書かれた亀の甲羅や骨は、まず骨董屋には無い。しかし中国周辺の文化(もしかしたら異民族の文化)である馬家窯文化の土器については、あまり感心がないというのかな、と思ったりしてる。そのお陰で私もこの土器が、気軽に買えると言うことなのだろうか。

  骨董屋の親父が言うには、日本人や華僑の骨董屋がここで仕入れて、船便で送るというから、どう考えても盗掘品であるはずがないだろう。

  最後にこの土器の値段であるが、ある程度の流通があるとことから考えても、その値段は5000年前のものにしてはそうは高くないということである。小さい物でありふれたものであれば、5000円くらいから買える。しかし高さ70cmもある大きくて、立派な奇麗な壺になると何十万円もする。大きさ、古さ、デザインの珍しさとか、精巧さ、欠損箇所の有無などによって大きく値段が違う。この土器は奇麗だと何回も書いたが、実は本当に奇麗で珍しい物は、残念ながら私には高くて買えないのである。

  だから後日私の子供が、"なんでも鑑定団"に、私が買ったアンダーソン土器の鑑定を依頼しても、とんでもない値段が付くはずはない。しかし日本では中国よりはチョッと高いかもしれない。やっぱりこう言うものは夢を買う為に買うのがいいのかもしれない。