全部死んでる!?
(2月29日)

  昼休みの散歩に路地の奥に入って行ったら、"全部死んでる"、と言われた。何のことだ!? とチョッとの間、頭が混乱したが、しばらくして状況が分り、よく見てみると確かに全部死んでいた。北京の胡同でのことであるが、中国語に堪能な人なら、ビックリしないかもしれない。"全部死んでる"の次に、"通り抜けられないよ"と聞こえたので、この先は行き止まりであることが、暫くしてようやく分った。"死んでいる"とは道が塞がっていると言う意味の様である。胡同は路地のことであるが、後で調べてみたら、袋小路のことを"死胡同"と言うらしい。

  会社の昼休みの散歩に、会社の裏の胡同に入ってみたのである。胡同の奥に進んでいったら確かに死んでいた。それも一つだけではなくて、全部死んでいた。つまり枝分別れしている道が、全て抜けられない袋小路だった。それを"全部死んでる"と言って、住人が教えてくれたわけである。

  私が働いている会社の裏には、ごちゃごちゃした胡同がある。これは優雅な四合院の前を走ってる胡同と違って、違法建築すれすれの家が、スラムのようにして並んでいる所にある胡同である。建て増しした家とその間の胡同が、生き物の様に増殖して行って、ついに壁にぶつかって止まり、それで死んだ胡同ができたようなところである。

  北京の胡同を散歩するというツアーがあるが、もし私がいる会社の裏の胡同を散歩したら、観光客向けの胡同とは別の感慨を受けると思う。ある意味では凄いところである。狭い、暗い、窓が無いか小い、風が通らない。土間だけの家である。道が狭いから、消防車は絶対に近づけないところである。胡同の末端の幅は1mの幅まで狭まる。

  トイレは屋外の共同トイレ。水道と下水の排水は室内にある様である。暖房は練炭らしい。電気は来ている。壁はレンガを積み上げただけ。既にある隣の壁を自分の家の一方の壁としているような建て方である。そして道は迷路のようなとまではいかないが、枝分かれしていて、末端は道だか庭だかわからにような袋小路であった。

  そんな所にネクタイ姿で入って行ったら、じろじろ見られるかなと思ったが、意外に住民は無関心だった。そんな胡同にスタイルのいいおしゃれなお姉さんが居た。ここには地元の北京人が住んでいるのだろうか、それとも地方から出てきた人が住んでいるのだろうか。豊かではない感じから北京人ではないかもしれない。と言って、その住み慣れた様子からで出稼ぎの人が一時的に住み着いた様でもない。なんか訳ありの人たちなんだろうか。ここの住民がどの様にして、ここに住み着くようになったのか、各家庭の物語を聞いてみることが出来たら、興味深い話が聞けるかもしれないなんて思った。