愛国歌手の顔
(2月19日)

  中国には子守唄が有るのだろうかとふと思った。子守唄を辞書で引いてみると、中国語では揺籠曲とか、催眠曲とか言うらしい。だから中国語にも子守唄は確かに有る。一方、日本語の子守唄の方を辞書で調べて見ると、"わが国には、雇われた子守女がそれに託して自己の感情を歌ったものが多い"とあった。日本語の "子守唄"という言葉を聞くと、特別の情感が伴なってくるが、中国語の"揺籠曲"ではどうなんだろう。

  中国には子守唄に相当する言葉は確かにあるのだけれども、中国ではあまり子守唄を聞いたことがない。歌の一分野としての子守歌が中国には存在しないのではないかと思った。子守唄は日本のほうがずっと多いのではなかろうか。子守唄は日本人が好きな歌の一つのような気もするのだが。

  同様に"童謡"を調べてみると中国にも、童謡という言葉もあった。しかし日本の童謡は子供の為に特別に作られた歌で、中国の唄は単なる"子供の歌"ではないだろうか。文部省唱歌の"唱歌"も中国語では単なる"歌"になってしまう。日本には童謡を歌う大人の歌手はいるが、中国にはいないんじゃないだろうか。日本ではオペラ歌手も童謡をよく歌う。

  そう言えば、日本の五木の子守唄が中国で歌われているが、祈り(祈祷)と言う意味になってしまい、子守唄の意味は無くなってしまった。いろいろ考えてみると、日本では子供のための歌がたくさん作られたが、中国では、子守唄のみならず、子供の為の歌が、日本よりずっと少ないように思える。

  上記のことは確信を持っていえることではないが、中国と日本の歌を比較して、確実に言えることは、中国には愛国の歌が多いと言うことである。日本にもかっては愛国の歌が有ったが、愛国の歌というのは何か胡散臭いことが判り、今では無くなった。中国では歌に限らず"愛国"という言葉がやたらに多い。愛国教育基地なんてのもある。愛国教育をする為の場所で、かって日本軍の侵略を受けた場所なんかが基地になっている。

  中国には愛国の歌があるだけではなく、愛国歌手というのもいる。愛国歌手という言い方、分類はないと思うが、テレビを見ていると、確かに愛国の歌を専門に歌う人がいる。中国では愛国の歌の需要がたくさんあるからである。共産党成立何周年とか建国記念日などには必ず愛国の歌と踊りが必ずある。もっと小さいイベントでも愛国、祖国賛美の歌と踊りをしょっちゅうやっている。

  それらのイベントで、中国は素晴らしいとか、中国の未来は明るいとか、故郷は素晴らしいとかを歌うのである。このように直接に国を賛美する歌も歌うし、間接的に故郷の父母への恩を歌うとか、少数民族と仲良く暮らしていることを歌って、中国は素晴らしいことを知らしめることもある。ほかに共産党も賛美するし、人民を解放した解放軍への感謝の歌もある。苦しかった時のことを思い出させて、現状の不満を感謝の気持ちに変えさせる歌もある。

  少数民族の踊りもよくやっている。中国は少数民族が多いから、小数民族の歌と踊りをやるという単純なことはなくて、中国には少数民族の問題は無いという、プロパガンダ、政治的宣伝だと思う。従って、少数民族の踊り手や歌手の需要も多い。上記の必要性から、愛国歌手も少数民族の歌を歌う。

  愛国歌手に付いてであるが、歌が上手で、女なら顔がきれいでなければならない。その他にも愛国歌手の特徴というものがあって、美人であっても、とがった顔とか影のある美人、やせた美人は駄目で、豊かそうな顔、豊穣って感じがいいようである。丸顔で目がパッチりしているのがいい。男性ならば、恰幅が良くでっぷりとしていて、金日成とか金正日タイプ(チョッと腹が出すぎているが)が祖国の豊かさを具現していていいのかもしれない。一般には若い人に、愛国歌手はいないようである。中年くらいが信頼感があっていいのかもしれない。

  衣装は、女性ならばロングドレスのなどの格調が高ものがいい。少数民族の衣装を着ることもある。奇抜な化粧は愛国歌手には相応しくない。厚化粧も良くないが、ジーパンで愛国の歌を歌うのも良くない。男も女も軍服を着て歌う人がいる。人民解放軍の専属の歌手なのであろう。

  女性は甲高い声のキーッという声で歌うので、私には頭に響く。しかし、この歌い方が伝統の発声法であるから、いいのだろう。男性はバリトンで堂々と歌うようなタイプが、国を愛する歌手として相応しいようである。そう言えば歌うポーズにも特徴があるようである。斜め上の空を見上げて歌うのがいい。いかにも未来は希望が一杯と言った感じが伝わっていい。従って、カメラワークも下から歌手の顔をとって、バックに空が写るというのも,
よく使われるテクニックである。何れも歌う時の態度が堂々としていて、且つ慈愛に満ちた様子で歌わなければならない。偉大な指導者の言葉を歌で代弁することもあるのだから。

  とにかく愛国歌手という言い方は無くても、それに相応しい、顔、衣装、年齢、歌い方に合う人が居るのは確かである。全部に合格点をつけられる人はそうは多くないから、ある歌手は、ここぞと言うイベントにはかならず出てくる。それで何時も目に付く。このような専門の歌手は日本には全く居ない。もし日本に居て、失業率が高くても、日本は素晴らしい国だ、明日には希望がある、と愛国歌手に歌ってもらうと、不景気を忘れることが出来るかもしれない。しかし日本に愛国の歌手がいて、愛国の歌をやたらに歌ったとすると、やっぱり何か怪しさを感じてしまうに違いない。何でそんなに愛国の歌ばかり歌うのと? と。