安徽省の古民居の旅ー4
(2月16日)

○ 文化財を破壊し尽くした文化大革命
  今度の旅で、門票が要る古鎮は全部で9箇所入った。その門票は結構高くて、15元から55元、平均30元くらいだったろうか。高いのであるが、全てガイドが付くから、道案内としても、有り難かった。その9箇所のうち、3,4箇所のガイドの説明の中で、文化大革命の時に多くの文化財が破壊されたと、説明があった。

  こんな田舎でも、紅衛兵が来て、仏像や、先祖の絵などを持ち去り、川に捨てたりしたそうである。そう言えばこの辺りの観光地には、仏像や祖先の像は一体も見なかった。この地方はもともと寺廟が少ない地方のように思えたが、それにしても一体も仏像などが残っていないのはすざましい破壊があったに違いない。

  しかし、大きい鳥居のようなもの(牌坊)や、古民居自体は大きすぎて、壊せなかったのだのだろう。考えようによっては、牌坊などは金持ちが作ったものだから、悪のシンボルにも思えるのだが。壊せないのが幸いであった。

  大金持ちと言っても、文化大革命の頃(1966年以降、35年以上も前のこと)は既に大金持ちも居なくなったはずなのに、昔は紛れもなく大金持ちだったと言う証拠(古民居に住んでいる)も残っているものだから、過去をほじくり出して大迫害の対象になったのだうだろう。あるところで聞いたたのだが、文化大革命のころ古民居は元の住民は追い出されたが、今では、元の住民、以前のお金持ちの子孫が住んでいるとのことであった。

  呈坎の由緒ある橋では、以前は黒かったので、それが紅衛兵の気に入らなかったのか赤旗橋とかに名前を換えてネームプレートも換えたらしい。しかし今では赤旗の色が剥げ落ちて、昔の名前が現れていた。黒と言うのは、以前のお金持ちを含めた悪い階級のシンボルで、赤は、いや中国語では"紅"は、旧悪を倒すシンボルだったのでだろう。

  毛沢東の時代に、このようなばかばかしい大破壊が有ったことが、ガイドの口からでも、語り継がれている事は、良い事だと思う。中国自らが時々歴史に学べと言っている位だから、歴史は大切にしなければならないのである。

  私としては、ここを近代に文化破壊があった遺跡として、愛国教育基地に推奨したい。一般には日本の侵略の跡などが愛国教育基地となっている。そう言えばこの村の壁にはまだ、"マルクスレーニン主義万歳"というスローガンも残っていた。観光地にこんなスローガンを残しておくのも、日本人から考えると相応しくないとも思えるが、反面教師として、愚行があった証しとして村に残しておく事は、大いに意味のあることだと思う。何しろ"歴史に学べ"、であるから。

  そう言えば、別の村に"大塞に学べ"なんてスローガンもまだあった。大塞なんて地名は、今では誰も知らないのではなかろうか。

○ゴミを捨てないでほしい。
  許村という所に行きった。ここはまだ観光化されてない古鎮で、屋根付きの古い橋や牌坊、勿論古民居もたくさんあった。その観光化されていないところが良いとこでもあるのだが。そして村の裏には清い川が流れていた。水は確かに透明で、これは中国にしては珍しいとも言える風景であったのだが。

  裏の川にはゴミを捨て放題なのである。川がゴミ捨て場になっているようだった。ビニールも練炭の滓も紙くずも何もかも、川に捨てている。馬桶という携帯便器もここで洗うようである。馬桶は毎日洗い、日に乾すようで、道端に並べてあった。特にビニールはヒラヒラと目立ってとても汚い。そう言えば、この川を遡って許村に行った途中の川岸にもビニールのヒラヒラが見えた。これは上流の許村が流したものとばかりは言えないようで、ほかの村でも、ゴミを川に捨てるようだった。

  これは本当に、何とかならないものかと思った。観光料を取って、ゴミ処理の費用に当てたらいいのではなんて考えたが、問題はそう簡単ではないかもしれない。他に世界文化遺産で有名になった村があるのだから、こんな山奥の、行き止りの村には観光客が来ないかもしれない。そう言えば、この辺りでは燃料に柴とか木を大量に使うようである。これも山の環境を破壊しているのではないだろうか。新しい燃料として練炭が使われているが、これを使えば山の環境破壊の問題は少なくなるだろう。しかし練炭の滓の処理が出来ないのである。これは川に捨ててあった。

  しかしこのままゴミを捨て続けて良いわけはない。何とかしなければならないことなのであろうが、安徽省は中国でも貧しい方の省のようである。

○パンツに穴が無い
  この辺りは亜熱帯である。だから竹が多い。竹がたくさんあるところでは洗濯物を竹竿に乾す。北京辺りでは洗濯物用の竹竿は全く無くて、紐に洗濯物を乾すようである。この辺りでは、外の竹竿に洗濯物が乾してあるので、パンツも見える。パンツが見えるとパンツの穴があるかどうか気になる。因みに北京辺りでは洗濯物が殆ど見えない。この理由は書くと長くなるが、北京のアパートのベランダは全部一つの部屋に改造され、ガラスを嵌めて封鎖式にしてしまった。それで洗濯物が見えない。

  パンツについてはトラウマがあって、関心があるのである。その昔、中国で男物のパンツを捜そうとして、捜せなくて困ったことがあった。男物のパンツを捜せなかった理由は、中国の男用のパンツと言うのは、前が割れていなくて、しかも色物好き(柄物ではない)らしいので、女性用と似ている。もしかして共用なのかもしれない。それで長い間、中国には何故中国に男物のパンツが無いのかと、不思議に思っていた。

  そこで、この地方のパンツであるが、パンツの前は一つも開いていなかった。しかし私が見たのは男物であったのか、女物であったのか。あんまり違いが無いようなので。かくして男性が小用を足すときは、ベルトを外してズボンを下げてからでないと、用を足せないことになる。

  古い文化が残っている所へ行って、なにもパンツの話でもないのにと言われそうであるが、確かにそうかもしれない。もっと別のものを観察したほうが好かったかも。漁梁ではもっとましなものを見てきた。

○漁梁で鵜飼の鵜を見た。
  漁梁という川べりの古鎮に行ったのだが、ここで鵜飼の鵜を見つけた。実は漁梁に二回も行った。一回目に行ったときデジカメの電池が切れてしまった。それで観光の最後の日に、時間があったので、電池を十分にもって、尚且つ入場料を払わなくてもいいように、裏道から入って、漁梁を見に行った。その時は当然ガイドが居ないので、自由に歩いて回り、細い道を見つけて川縁に出てみた。そうしたら、鵜飼の鵜がいた。

  鵜を見たことと、見なかったことに、どんな差が有るかというと、大した差はないかもしれない。しかし、旅行が終わってから、あそこには珍しいものがあったなんて後から聞くとなんだか悔しいような気もする。そんな意味でも漁梁の側を流れる清流で、鵜飼の鵜を見たことは、犬も歩けば棒に当たる例かもしれない。災難に遭ったのではなくて、幸運にあったと言うほうの例である。とにかくこんな所にも、鵜飼の漁が行われているのだと、チョッと感激(?)と言うか、おぉ〜といった感じだった。

  私は旅行に行って写真を撮るのであるが、チョッと苦労しても、高い所や少し離れた所に行って、写真を撮ると、いい写真が撮れる場合がある。今回の古鎮巡りでも、有料で屋上に出れば良い景色が見えるという看板があった。そのようなところでは迷わず金を払って上ることにしてる。少しの金によって、変わった位置から西遞の良い写真が取れた

  しかし、巧くいったという話ばかりでもない。その漁梁では、川の上流か下流かに、大きな古い時代の石の橋があったはずなのだが、それも見落としてしまったし、船に乗って川から漁梁の町の写真を撮ったら、もっと良い白壁の家の写真が撮れたかもしれない。ここには遊覧船の小船があって誘われたのだが、後で気が付いてもそれこそ後の祭である。

  やはり足で稼げば良い写真が撮れるチャンスは多くなるように思う。しかし情報不足で近くにある見所を見落としてしまうのは悔しい。もう一生のうちに、そこには殆ど行かないところだと思うと、尚更である。