難しい資本主義化への道
(11月27日)

  共産党が資本主義化を推進している中国では、何が共産主義で何が資本主義なのかよく分からないのだが、確かに中国では資本主義化が進んでいる。中国で資本主義化が進んでいるのは当たり前と言われそうだが、資本主義化の実現はなかなか難しそうである。何しろ以前は諸悪の根源と言われていた資本主義に急展開したのであるから。

  最近、家の内装設備を売っている市場を覗いて見たのだが、中国にしては変わったものを売っていた。それはきれいな暖房の放熱器である。放熱器とはお湯を通して部屋を暖める時、放熱する為の器具で、放熱のフィンがついている。中国の長江以北の集合住宅では部屋の中にこれが有るが、普通は銀色に塗られていて、色もデザインもきれいな物とはとても言えない代物である。今まではこの放熱器が市場で売れるものではなかったのである。

  何故市場に無かったかと言うと、この放熱器は部屋に作り付けであって、個人では改造も増設も出来ないものであった。共産党政府の表面的な平等の思想の為に、部屋の面積によって放熱器の数も決められていた。もっと部屋を暖かにする為に、放熱器を増やすなど許されなかったのである。それで放熱器の需要など無かったのであるが、今では放熱器が市場に表れるようになった。資本主義的な思想のおかげで、需要が出てきたのである。

  この政府の統一規格について説明しなければならないが、これもおかしなもので、放熱器、つまりお湯による集中暖房装置の設置が許されていたのは長江以北だけであった。それゆえに上海などではこの設備が無いから、いくら寒くても部屋の中で震えていなければならない。冬であれば部屋の中は北京の方がずっと暖かい。

  中国では元はといえば、住民から暖房費を取ろうと言う考えも無かった。以前の中国は暖房などの基本的設備は無料で、共産主義の平等の思想(?)にのっとり、職場が提供したものである。しかしだんだん資本主義化して、サービスの対価として費用を取るようになった。そこで決めた費用の決め方は、暖房を受ける部屋の大きさによって費用を決めるとしたのである。

  本当に合理的な考えなら、お湯の使用量に応じて、費用を決めるのが当たり前と考えるのだろう。もっと合理的にならば、お湯の温度も関係するかもしれない。しかし使用量を知る為にはメーターが必要であって、使用量をコントロールするにはバルブが必要である。しかし中国の住宅の暖房にはこれが全くと言っていいほど無いのである。集合ビルの中を上から下に数本の配管が突き抜けてだけである。我が家は5本もの管が突き抜けている。それで加熱しているのであるが、バルブもメーターも無い。このような方法では、部屋に住んでいなくて、空き家でも部屋が暖まってしまうし、空き部屋の費用も取られると言う事である。

  しかし、今年あたりからより資本主義の原則にのっとり(?)受けたサービスによって対価を払うべきだと言う考え方とか、受けたいサービスを選択できる(使わなければ、費用を払わなくてもいいということ)ように、新しい規定が出来たらしい。

  このように、より資本主義的、市場経済的な規定が発表された。それならばと言う事で、暖房器が売れるようになったのではないだろうか。自分で必要な暖房器をつけるのであれば、きれいで効率的なものを必要なだけ付けたいと言う事になる。

  新しい住宅では確かに各家庭にバルブがついていて、バルブを閉めれば自由に工事ができる(バルブが無ければ工事も出来ない)とか、使用しないときはバルブを閉めれば、使用量を減らす事ができるとか、メーターがついていて使用量が分かるようになったらしい。しかし問題なのは今までの建物である。例えば、我が家は5本もの暖房用の管が、上から下に突き抜けているのであるが、結局5本の配管を一箇所に纏めてそこから分岐する配管にしなければ、メーターを付ける意味がないし、バルブでコントロールすることも出来ないだろう。

  今までに建てられた建物の大部分は、このように共産主義的平等主義の思想(?)によって作られたのであるが、おそらく、改造は不可能ではないかと思われる。これを改造するにはとんでもない費用が掛かると思う。中国の建て物には、ダクトを設けてそこにパイプを通すと言う考え方が無かったから、修理するとなると、床を突き破って通っているパイプを何とかしないと、工事が出来ない。中国の集合住宅の暖房は殆どがこの方式である。

  一方最近新しく建てられた建物は、資本主思想に基づいて(?)建てられていて、バルブとメーターがついているらしのだが、ここにも問題があって、料金の計算方法がまだ決まっていないのだとか。今年は従来通り、面積によって使用量を払う方法になったらしい。折角メーターを付けても今は何の約にも立っていない。一方では自由に放熱器を増やしてもいいと言うのでは、不合理が拡大してしまった。まして使用していない部屋の料金まで取られるのだから、合理的ではない。

  余談だが、北京では家を二軒持っている人がかなり多い。その一軒は空き家になっていたりして、それでも暖房費を取られている。一方、空き家の暖房費を徴収するのも大変らしく、部屋の持ち主の住所などをちゃんと管理していない(出来ない)らしい。SARSが流行しているとき私は日本にいて、有線放送の費用を払わなかった(払えなかった)のであるが、この通知は大家さんのこところにも来なかったし、私の家(北京の)にも来なかった。大体殆んどの家には郵便受けも無いのだから、督促の通知など届かない。費用が払われない場合、有線放送ならば線を切ればいいのだが(本当に線が切ってあった)、暖房の場合は暖房を止めるわけにもいかない。暖房を止めるバルブも無いのだから。

  考え方は資本主義思想的になってきたが、お湯の使用量によって費用を払うと言う方法に変わるのは、まだまだ先のようである。