新疆一人旅の記録

運が良かった新疆の旅
(11月12日)

  旅行で運が悪かったと言うのは、何らかの理由で、肝心の観光地が見られなかったなんてこともある。また、行った先の近くにいい見所があったのに、知らなかったと言うのも、後から考えると悔しい。今回は天気に恵まれたが、天気が良かったのも運がよかったうちに入るだろう。

  ほかにも運不運が有り得るが、やっぱり一人旅だと、ツアーよりは予想外の事が起こる確率が高いかもしれない。予想外のことと言っても良い事も有り得るが、運が悪い事も有り得る。例えばいい写真が撮れなかったとか。

  今回の旅行の目的の一つは、火焔山の写真を撮ることであった。北京でSARSが流行っていた頃、日本に居たのだが、その頃久保田早紀の異邦人と言う音楽がコマーシャルで流れていた。このコマーシャルに火焔山の写真が使われていた。新疆に行ったら是非この写真を撮らねばと考えていた。火焔山は新疆のトルファンの郊外にある。

  タクシーを一日チャーターして、朝早くから火焔山に向かった。ところがタクシーの運転手は火焔山の前を通り通り越して、別の観光地に行こうとするのである。おいおいと運転手に言うと、運転手は火焔山は昼間の方がいいと言う。その時、靄がかかっているようにも見え、火焔山というのは、昼間の太陽に炙られている方がいいのかと思ったので、運転手の言うことに同意した。しかしお昼頃ここに戻ってみると、太陽が正面から当たるから、火焔山の特徴である亀裂がハッキリしなくなってしまったのである。火焔山のあの赤くて荒々しい岩肌が、殆んど平面的なものになってしまっていた。そう言えば、ホテルのタクシーを予約してくれたフロントの人は、朝早いほうが火焔山は奇麗だとチャンと教えてくれていたのである。あの時タクシーを止めさせて、写真を撮っておくべきであったが、もはや遅かった。これは運が悪かったと言うべきか、判断が悪かったと言うべきか。

  写真の撮影では、午前と午後、行きと帰りとでは青空の具合とか、日光の当たり方、風の具合が違ってくる事が往々にしてあり得る。やっぱり写真は後で撮ろうなんて考えていると、チャンスを無くすようである。あるところでは、行きには風が無くて、池に雪山が逆さに、きれいに写っていたが、帰りは風によるさざなみで、池に山は写っていなかった。帰りに写真を撮ろうと目をつけて置いたのだが、これは失敗だった。これも旅の運の一つか。

  火焔山へ行くタクシーは前日に、一日の観光のタクシーを予約しておいた。予約が終わって外に出ると、ジョーンズ・カフェと言うレストランあった。実はレストランと言っても、ジョーンズ・カフェと名前にも相応しくない店なのだが、西洋的な名前を聞くと覗いて見たくなる。名前から想像して西洋料理でもあるかと期待したからである。中国の一人旅の食事では、一人分の料理が食べられる西洋料理の店は貴重なのである。しかし覗いて見ても、西洋料理らしきものは無かった。そのかわり日本語が話せる男がいた。その男が言うには観光の手配はここでも出来るというのである。もう予約をしてしまったというと、それは残念だ。こちらで手配すればいいところに行けたのにと言う。とても残念がってくれた。実はこの男が儲け損ねて残念だっだのだが。

  この男、いろいろと話しているうちに、儲ける方法を思いついたのか、翌日のコースに入っていない村に行かないかと言ってきた。そこに行ったら絶対に損をしなから、今からでも行くべきだと、結構流暢な日本語で言うのである。心が動いてタクシーのチャーターの値段を聞いてみると、ホテルで予約した一日分の値段よりずっと高い。で、場所は何処かと聞いて見ると、明日行く予定の所に近いようだった。そんなら何もわざわざ高い金を出して、夕方から出かける必要も無いし、第一この男の言う事は怪しいと思った。それで翌日の観光のついでに、その村にも行って貰ったので、そこに無料で行けたことになる。もしホテルで予約をする前にこのジョーンズカフェに来ていたら、この男の口車に乗せられて、高いタクシー代になっていたかもしれない。これは運が好かったのか、情報の収集が良かったのか、判断も好かったのか。

  その村に付いてであるが、地図で見るとその村は、火焔山の切れ目・すなわち溝に位置する吐峪溝であるらしい。ホテルのフロントの人に聞いてみると、そこは非開放地区だと言う事で、行ってはいけない所だと言う。しかしジョーンズカフェの男が勧めたのだから、行ってはいけない地区とも思えない。行けないならば何故観光地図に載っているのだろうとも考えた。行くべきか中止すべきか判断に迷った。それでもどうしても行ってみたかったので、翌日のタクシーの運転手に強引に頼んで行って貰った。行っていると、確かに看板に非解放地区と書かれていた。ここには古い千仏洞があって、それを吐峪溝千仏洞というらしかった。看板から見とその千仏洞が非解放地区であるようにも見える。多分この溝の奥に千仏洞があって、崩れかかっているとか、整備もされていないと言うことなのかもしれない。一方、運転手の見解では、村が貧しい農村だから非開放地区なのだろうと言う見方であった。

  確かにこの村は他の村と違っていて、貧しい様子であった。火焔山の赤茶けた土で作られた日干し煉瓦を使って、家が作られていて、まさしく土で出来た家といった感じである。雨もあまり降らないのだろう。水は吐峪溝の溝を流れる用水から汲んでくるらしかった。村全体が同じく赤茶けた火焔山に溶け込んでいた。この村を見ると、中国からもはるか離れた中央アジアの異郷に来た感じが益々募った。但し中国の為政者に文句を付けられると困るから書いておくが、ここも中国である。貧しいから開放しないのが本当なのかどうか知らないが、あまりに中国的ではない村であるから、見せないというなら分かるような気がする。この村にはやはり行ってみてよかった。その村には、中国人の観光客も来ていて何も問題はなかった。もしここが本当に非開放区であったとすれば、秘境のようなところに行ったことになるのかもしれない。

  高昌故城を見物しようとして城壁の中に入ったら、客引きに、馬車に乗ってもっと奥に行かないかと、うるさく誘われた。私も体力を温存しておいたほうがいいかなと思い、何か乗り物に乗りたかった。この男は乗り物の斡旋屋みたいなものらしかった。馬車で行くことに決めたが、馬車が調達できず、今度はオートバイではどうかと言っていきた。これに直ぐ乗ることをせず、値段が下がるのを待ってようやくオートバイの後に乗った。そこを見物して帰りかけると、オートバイの運転手の他に、さっきの斡旋屋も現れて、もっと奥に良い所があるからそこまで行かなかと言い出した。そこには仏塔があって壁画も残っているというのである。また直ぐ決めないで、値段が下がるのを待って、オートバイに乗ることを決めた。斡旋屋から見ると、私は一人だけであるから、誘いやすかったのだろうか、金が有りそうに見えたのだろうか。かなりしつっこかった。

  ともかく、他の人が誰も行かない故城の奥に、オートバイの後に跨って行ってみた。そこに行ってみると、確かに崩れかけた仏塔があって、内部にはほんの一部だけ壁画が残っていた。それより良かったのはそのあたりに、ラクダが居たことである。崩れかかった城壁の後には火焔山も霞んで見えた。崩れかけた城壁をバックにラクダの写真を撮る事が出来た。只それだけのことであるが、行かないよりは行ったほうがずっと良かった。オートバイタクシーも安いわけではなく、客引きに負けて、行ってみたようなものだが、うるさい客引きが居なかったら、行かなかった所である。

  ウルムチに着いたばかりの一日目に、レストランシアターで、新疆のきれいな踊りを見る事が出来た。これはほんとに運が良かった。結果的にはカシュガルやトルファンの踊りよりずっと良かった。これが見られたのは偶然のことで、旅行社に翌日の天池旅行のツアーの申し込みに行ったら、バザーを見に行かないかと言われた。是非行きたいと行ったら、可愛い女の子が案内してくれるというのである。しかも無料で。無料に感激したわけではないが、始めは旅行社が勧めてくれた見物だから、有料かと思ったのである。

  バザーとはウイグル語であって、中国語では市場、日本語(?)ではバザールと言う意味である。そこのバザールはウルムチ国際大バザーと言って、出来たばかりのバザーだった。10日前に出来たばかりなのだとか。そこに行ってみたら、やはり出来たばかりのレストランシアターがあって、新疆の踊りをやっていると言うのである。この話を聞けばどうしても見ないわけにはいかない。新疆の踊りはいいと聞いていたし、北京でもレストランシアターで何回か見ていて、これがなかなか良かったので、是非本場で見なければと思っていたからである。

  バザーの見学を終えて、まだ時間があるので一旦ホテルに帰ることにしたのだが、その間レストランシアターの席を何とか確保してくれていたらしい。出来たばかりでのレストランシアターは、国慶節の休暇の一日目で団体客で満員だった。その団体客で混雑しているレストランシアターに潜り込ませて貰えて、新疆の踊りと料理を堪能できたのはその女の子のおかげである。

  ところで案内してくれた可愛い女の子は、学生であるとのことだった。ウイグル族かと聞いてみたところ、ロシア族だと言うのである。中国のロシア族と言うのは少ないと聞いていたので、出会えただけでも運がいいと思った。後で別の旅行社の人に、この話をしたところ、中国のロシア族は一万人位とのことで、ロシア族の美少女に会えただけでも幸いであったのかもしれない。しかしこのロシア族は本当に美人であったかどうか。美人としておいたほうが話は面白いが、美人と言うより可愛いと言ったほうの部類であった。聞いてみるとロシア族には間違いないが、お母さんがロシア族で、お父さんは回族とのことであった。その少女と、レストランシアターで食事しながら、もっとお話をしたかったが、用事があるとかで帰っていってしまった。この部分はチョッと残念な部分である。まあ何時までも運の良いことが続くとは限らない。

  しかし女の子と話をしていたら、ウイグルの踊りの奇麗な写真は撮れなかったかもしれない。室内の動きのある踊りの写真(デジカメでは、シャッターの反応が遅いなど)というのはなかなか難しくて、女の子と話をしながらでは、難しかったと思う。結果的にはウイグルの踊りの良い写真が撮れたので、良しとしなければならない。

  カラクリ湖に行ったとき、ツアーに参加せずタクシーをチャーターして行ったのは正解であった。ツアーに参加するより、タクシーをチャーターするほうがずっと高いが、タクシーであれば、景色がきれいなところで自由にタクシーを止めて写真が撮れる。このとき運転手がウイグル人で中国語とウイグル語が話せるのが良かった。やはり人物の写真を撮るとき、ウイグル語で声を掛けてもらえるので、とても写真が撮りやすかった。このあたりはウイグル人ばかりだから中国語では通じないのである。

  カラクリ湖への道も舗装が完成したばかりで、これも運が良かった。3600mの高地でカシュガルから200kmの距離の所であるが、スイスイと行けた。このタクシーを予約したのは空港からのホテルに行くときに乗ったタクシーの運転手で、カラククリ湖まで幾らかと聞いたら、600元ということだった。事前の情報では、タクシー代はもっと高いようだったし、カラクリ湖に行くのに許可証が必要だとか聞いていた。そうであれば、旅行社にタクシーの手配を頼むか、ツアーに参加しなければならないのかと思っていたので、タクシーで簡単に行けるとならばと、値切らずに直ぐに決めた。

  今までは、運転手がカラクリ湖など区域外に行くには、運転手の許可証が必要であって、その為の時間も掛かったのだとか。その制度が変わったのはつい最近のことらしい。これも運が良かった。それでこのウイグル人の運転手がカラクリ湖へ行くのは初めてだったらしい。人の良さそうな運転手で、運転しながらいろいろと教えてもらえたし、親切でもあった。翌日もこの運転手を頼んで、最後には、50元をチップとしてあげた。一日中運転手と一緒にいるのだから、運転手が良いか悪いかも旅の運の一つである。

  最後に、運のいい話をもう一つ。最後にウルムチから北京に戻るときに、タクシーで飛行場に行った。飛行場までチャーターで幾ら? と聞いたら50元とのことであった。じゃー、メーターで幾らぐらい? と聞いたら、42元位とのこと。 メーターのほうが安いと聞けば、メーターにするしかない。空港に着いてみたら、なんと36元で済んだ。何でこんな事になっているのか訳が分からなかったが、これは聞いてみて運がよかった。14元得をしたわけである。たった210円位の事であるが。