結婚式で泣かない中国人
(11月10日)

  中国人は日本人よりよく泣く。普通の生活の場面ではあまり泣くのを見たことがないが、テレビではよく泣く場面が写る。インタービューを受けていて、故郷のお父さんお母さんの苦労を思い出すと泣く。家族が不幸にあった場は合日本人でも泣くが、やはり昔のことであると悲しみが薄れるのか、そうやたらに泣かないのが日本人である。しかし中国人の場合は思い出すと大声で泣く(何時もではないが)。政府とか有志が、貧しい人を助けるとかで、プレゼントするなどの報道がよくある。このようなことを放送して、政府は思いやりがあることを宣伝し、助け合い精神の道徳教育をしているのであるが、この場面で助けられた人はよく泣く。この場面では泣かなければならと、決まりがあるかのように、決め場面(こんな言葉があるかしら)では決まって泣く。

  ところで中国人は結婚式では泣かないのだとか。日本人の場合、娘が嫁に行ってしまうということで、結婚式で男親がよく泣くことがある。ある中国人に、日本人は結婚式の時に泣くと言ったら、それはおかしいと言われてしまった。結婚と言うのは親戚が増えることであって、うれしいことではないか、孫も出来るのだから、泣くなんておかしいと。うれしいことには間違いないが、娘がよそに行く、家から出て行くという感じは、私も娘がいたのでよく分る。近くに嫁にいたとしても、他所の家の人になる、自分のところから離れるということを感じるから泣くのではなかろうか。

  ところが、中国人の場合、娘がよその家の人になる、自分のところから離れるということを、感じないんではなかろうか。娘が嫁に行ったことで自分の家がもう一軒増えたと思えばどうだろう。そう思えれば泣くことない。中国人の親子の関係を見ているとどうもそう思える。例えば子育てだが、日本でも中国でも育児を親が手伝うのはよくあることである。しかし中国の場合手伝うなんてものではなくて、全部親にお任せというのがとても多い。中国は共稼ぎだからというかもしれないが、日本の場合の育児の応援とは訳が違う。日本の場合は育児の主導権は子供の親が持つが、中国の場合は主導権も全て渡してしまうのが多い。国に連れて行って、おばあさんおじいさんが育てているケースもある。このように親と嫁に行った娘が一体になっていれば、娘が嫁に行くことは悲しいことではないのだろう。

  もう一つのケースでは、我が社には地方から出て来て働いている社員が多いのであるが、北京の子供のところに親が転がり込んでくる場合が結構ある。何でも日本の場合と比較してはいけないかもしれないが、日本ではやたらに田舎から出て来て、娘のところに転がり込んでくるだろうか。中国の場合は定年が早い、田舎の生活環境は良くないという条件は日本と違うかもしれない。しかしあっさり自分の家を放り出して、東京まで出て来て住み着いてしまうというのは少ないのではと思う。日本人の方が自分の住んでいる家に対する執着が強いのかもしれない。

  そう言えば私の席の隣にいる女性の劉さんは、ご主人と別居していて、お姉さんの所に住んでいる。と言っても夫婦仲が悪い訳ではない。夫婦仲は良いのであるから、週末にはご主人と息子が二人で住んでいる大学のアパートまで、チャンと帰るのである。大学のアパートは遠いから、近くにいるお姉さんのところから通勤しているとのことである。しかし大学のアパートはそれほど遠いわけではない。それに彼女は自動車を持っている。だから通えない距離ではないのだが。

  やっぱり中国人にとっては、子供が嫁に行った先の家、子供が住んでいる家、兄弟の家などは、自分の家の延長、もしくは自分の家の一部と見えるのではなかろうか。どうもその様に思える。とにかく、中国人には結婚式で泣くなんて、理解できないことであるらしい。