中国料理についての発見
(11月2日)

  発見と言うにはチョッと大げさだが、最近中国料理の特徴で分かった事がある。中国に延べ6年位居てやっと分かったことであるから、私としては発見とも言える。中国料理といっても中国料理の種類は多いから、北京あたりの家庭料理と言ったほうがいいかもしれない。発見したこととは、料理に、AとBとCとが有ったとすると、AとBが混ざっても、BとCが混ざっても、勿論AとCであっても何の違和感も無く食べられると言う事である。AとBとCと材料は同じではない、味付けも同じではない。しかし中国料理は混ざっても何の問題も無いのである。中華料理は、殆どが中華鍋一つで油をタップリ入れて炒めて、それから何かの調味料を入れて、どろっとさせた料理である。見た目も同じような感じのものが出来て、マーボ豆腐のような感じの料理ができる。魚料理も、一匹丸ごと使って、やっぱり同じようなものができる。中国の料理にも焼くとか煮るとか言う言葉が使われていて、作り方はいろいろと言われているがいるが、何故か出来た料理の味が、似たような物で、お互いに相性がいい。ちなみに中国料理には"焼"という作り方はあるが、日本語で言う"焼き物"、焼き肉は無い(北京ダックのあぶった料理、朝鮮料理の焼き肉、羊の焼き鳥は中国にもあるが)。

  これは本当である。皆さんも中国に来られたときは、出てきた料理をチョッと混ぜて食べてみて下さい。何の違和感も無く食べられます。何の問題もおきませんから。私自身は毎日会社の食堂で食事をしていて、これは家庭料理に近いものかと思うが、混ざっても問題が無いことを体験している。家庭料理と書いたが、レストランの料理でも同じようなものである。

 考えてみると中国料理では料理をわざわざ混ぜなくても混ざってしまう状況がある。何故かと言うと料理を食べる際に、日本人の場合は、大皿から取り皿へと料理を一旦取り皿に取るが、その時点で少し料理が混ざるので、その時味に違和感が生じないことを体験できるかもしれない。日本人の場合はと書いたが、中国人の場合はあまり混ざらない。中国人の場合は殆んど取り皿を経由せず、直接大皿から口に運ぶからである。それで中国人の場合取り皿はあまり汚れない。そう言えば、中国料理の場合、骨などの食べ糟が多いのであるが、あれも中国ではテーブルに捨てるからあまり取り皿が汚れないようである。日本人の場合はテーブルを汚すのはいけないと考えるから取り皿に溜まってしまう。そんな訳で取り皿は高級料理店でもなければなかなか取り替えてもらえない状況がある。

  まあ、取り皿の上で料理が混ざるなんてのはまだいい方で、料理が混ざるだけの面積が有るとう事であるが、レストランとも言えない食堂では、混ざる余地の無い小さな取り皿が出される。始めて中国にきた日本人が、中国では取り皿にコーヒーカップの受け皿利用しているのではないかと言っていたが、あれはコーヒーカップの受け皿ではなくて取り皿なんですよ。あれはあれでまだ大きい方で良い方なんです。そもそも中国料理では取り皿の役割はあまり重要ではないのです。

  取り皿の話ではなくて、料理を混ぜるとどうなるかと言う話であるが、日本料理の幕ノ内弁当なんかでは、隣の料理と混ざらないように、仕切りとか、アルミの箔なんかを使ってあるが、日本料理ではあの仕切りは結構重要なのではないかとふと思った。

  昨日たまたま自宅で食べた日本料理は、カレーライスと、かんぴょうの煮物だった。これを、あえて混ぜてはみなかったが、混ぜたら美味しくないだろう。刺身にとんかつソースが混ざっても美味しくないに違いない。日本料理は互いに混ざると美味しくないが、中国料理では混ざっても問題無く食べられるところが違う。中国料理というのは案外味の幅が少く、日本料理の方が作り方が様々で、味の変化の幅も大きいのいかもしれない。もっともカレーライスは日本の料理だと言ったら、ある中国人にあれは印度料理だろうと言われたことはあるけれども。

  ところで何故、かんぴょうの煮物かと言うと、北京から東北に230km行ったところにある観光地の承徳に行ったとき、干瓢を売っていたので、日本風に醤油と砂糖で煮物を作ろうと思って買ってきたのである。日本風に、とは油を使わないでと言うことでもある。帰宅後煮てみたら、乾燥していた干瓢が何倍にも膨れ上がり、大量のかんぴょう料理が出来てしまった。それで毎日かんぴょうを食べる羽目になってしまった。カラーライスもカレーのルーを一箱使って作ったので、10人前のカレーが出来てしまい、これは冷凍庫から一部だけを出して、解凍して食べている。ビールを飲みながら残り物のようなかんぴょうの煮物とカレーを食べたら、ご飯の入る余地がなくなってしまい、これで食事が終わりになってしまった。

  話を元に戻して、中国料理でもう一つ発見したことは、中国では、特に北京あたりでは、あの辛い料理は、あれは流行り物ではないかと言う事である。北京あたりの料理は日本の中華料理に比べてかなり辛い物が多い。それで本場の中国料理は辛いんだなと思った。しかし会社の社員食堂などで食べる料理は、あんまり辛くないのである。北京の人などに聞いてみたのであるが、北京の家庭料理はあまり辛くないらしい。東北料理も本来は辛くないとのことであった。私は暫く中国の東北地方に住んでいたが、辛かったという印象はあまり無い。辛い料理があったとしても、日本の家庭で食べるカレーライスとかキムチとかの程度と同じくらいではないだろうか。社員食堂で食べる料理から推定するとそんなものである。

  しかしレストランで食べると北京料理も、東北料理も辛いものが多い。勿論全部が辛いわけではないが、辛い料理が取り入れられている。元々辛い中国料理は四川とか、貴州、湖南あたりの料理で、広東、上海、抗州あたりの料理はあまり辛くない。ところが今では名ばかりの広東料理であったりすると、流行りであるから、辛くないはずの広東料理にも辛い料理がある。とにかく辛い料理が流行っていることは確かである。辛いの字は"辣"という字で書く。この辣の字で表される辛さは、唐辛子だけのすっきりした辛さと違った辛さて、特に"麻辣"と書き表されると痺れる辛さも加わる。痺れさせる為に山椒とかを入れるからである。折角美味しい料理を食べているのに、口の中を痺れさせてどうするつもりなんだと聞きたくなる。因みに私は朝鮮料理のキムチのすっきりした辛さ好きである。

  今流行りの料理は、蟹やザリガニを唐辛子で真っ赤に煮たものとか、"水煮魚"とかが流行っている。水煮魚の字を見ると日本の煮魚を思い浮かべるかもしれないが、そうではなく、洗面器様の大きな入れ物(鍋より洗面器に近い)で川魚を一匹ごと入れて唐辛子とか山椒(痺れの元になるもの)を入れて煮たものである。表面は唐辛子でびっしり覆われていて色は真っ赤になっている。表面の唐辛子を掻き分けて、魚の白身をほじくり出して食べる料理である。見た目にもいかにも辛そうな料理である。

  街を歩いているとレストランの広告に、"麻辣魅惑"なんて書かれた広告もある。"辣"さに"魅惑"を感じてレストランに入る中国人が多いようである。家庭料理はあまり辛くないのにレストランの料理が辛いのは、たまに外で食べる料理だからとか、お客にたまには変わったものでも食べさせようとかいうことなのではなかろうか。一種のゲテモノ料理を食べる感覚に近いもののように思えてしまう。洗面器(のような鍋)に入れられて、真っ赤な唐辛子で覆われた"水煮魚"を見ていると特にそう思う。

  日本の中華料理を食べていて、本場の中国料理ならもっと美味しいだろうと思って北京にくると、その料理の辛さにビックリするかもしれない。日本から来るお客に、辛いものは大丈夫ですかと聞いてみるが、招待された遠慮から、大丈夫ですと言う人もいる。辛い物が好きな人もいて、この人も勿論大丈夫ですと言う。しかしこれが結構大丈夫ではないので、うっかり大丈夫ですなんて言わない方がいい。招待する中国人は珍しい物を食べさせようとしているのだから。珍しいものが美味しいとは限らない。ある日本人が言っていたが、あれは辛いだけの料理で辛さを取ったら何も残らないと。確かに辛さを取れば後には何も残らない。しかしこれは辛さが目的の料理だからこれでいいのです。なにしろ、"麻辣魅惑"なんですから、相当痺れる上に、辣いのが魅惑なんです。