新疆一人旅の記録

カシュガルのポプラ並木(10月12日)

  10月の1日から中国の国慶節の休みを利用して、新疆に行って来たのであるが、カシュガルやウルムチの運転手に新疆の印象はどうかと何回か聞かれた。結構、観光客の評判を気にいているのかもしれない。答えは"異邦人の世界"だと、答えたいところだったが、そんな中国語は話せないので、好いところですね、くらいしか言えなかった。ここが異邦人の世界と思えたのは、北京でSARSが流行っていた頃、日本に避難していたのであるが、その頃コマーシャルで、久保田早紀作詞・作曲の歌が流れていた。その映像にはトルファンの火焔山と、もう一つは、ポプラのような木が高々と聳えている並木道の間を、少年がロバの馬車で通っていく場面があった。

  実は今年の五月に新疆を旅行するつもりで、計画を立てていたのだが、SARSの影響で中止せざるを得なかった。日本に帰っていて"異邦人"の音楽を聞いてコマーシャルの映像を見ていたら、やっぱり新疆は異邦人の世界なんだと思ってしまった。そうして新疆へ行って、"バザー"と言う市場に行き 中国人と全く違う顔つきの人が沢山いるのを見ると、久保田早紀のあの"異邦人"の音楽が頭の中で鳴り響いて、益々異邦人の中に迷い込んだように思えてきた。ウイグル語でバザーと言う時は"ザー"のところを下げるのでなく、"ザー"の部分を上げて言うのである。

  正しく書けば、ここも中国であって、顔つきが違うウイグル人も中国の56民族の一つで、中国人であるのだが。

  そして異邦人についてだが、よく考えてみると、異邦人というのは歌の歌詞でも、カミユの小説"異邦人"でも自分の事を異邦人と言っているのではないかと思いついた。そうであればその地に居る人が異邦人と言うのはおかしい。やっぱり旅をする自分の方が異邦人なのだろう。歌の歌詞も小説もよく知らないのだけれども。しかしあの音楽とポプラ並木を走るロバ車の映像と、"異邦人"と言う言葉が結びついて、新疆は"異邦人の世界"というイメージが離れない。

  新疆に行ったら"異邦人"のイメージを写真に残そうと思っていた。一つは異邦人の顔、もう一つは、ポプラの並木が高く長く聳える光景である。実際にカシュガルの道を走っていたら、道の両側にびっしりと密集して直立するあのポプラの並木があちこちに見えた。この高い木の並木を見ただけでもカシュガルに来た価値はあると思った。村にはどこにもこの並木があった。そしてロバ車も走っている。しかも少年がロバ車を操っている。タクシーを止めて並木道を眺めていると、スカーフをかぶった女性も、赤い服を着た少女も、ロバ車を御して、次から次へと次々と現われては通リ過ぎていった。まさに久保田早紀が歌っていた異邦人の歌のコマーシャルの映像と同じように、ポプラ並木を走るロバ車の映像とそっくりな世界があった。

  中国にはヤンシュ(楊樹)という樹があって、中国の東から西まで分布していて、北にも黒龍江省まで広がっている。勿論北京にもある。中国の南の方でははあまり見かけない。これはヤナギ科の落葉高木である。これとは別のヤンシュ(楊樹)があって、この樹が普通の楊樹と違う所は、幹の肌がすべすべしていて白っぽい。そして幹が直立して、枝も上に伸びていく。これをバイヤンシュ(白楊樹)と言うが、この幹の白い色と直立する姿がとても美しい。普通の楊樹も並木によく使われるが、並木道に使うと、空を覆うように枝が広がる。しかし白楊樹の方は枝も広がらないで直立するので、並木道から空が見えるのである。この白楊樹の方がカシュガルあたりの村に多いポプラである。

  この白楊樹であるポプラの樹は、北京では見かけない。その他の中国の地区でもほとんど見たことが無く、青海省の西寧などで見た程度である。しかしコマーシャルで見るとどうもポプラの樹はシルクロードの象徴にも思え、西域、つまり新疆に行けばどこにでもあるものだと思えた。しかし実際には、ウルムチやトルファンでもポプラの樹の並木道は少なかった。このポプラの並木道は新疆でも中国の西の果て、カシュガルに行って始めてポプラの並木道が見えたのである。この光景はカシュガル地方の特有の光景であるらしい。そしてこの樹は水の多いところに育だつというから、ポプラは水の豊かな土地の象徴でもあるらしい。汽車の車窓から見たときでも、ゴビ灘のようなところには決して生えていなくて、山すその水が流れている所だけに生えていた。多分シルクロードでこの樹が高々と育っている姿を遠くから見ると、あそこは水の豊かな土地なんだろうと思わせる樹なのではなかろうか。

  自由に写真が撮れるように、タクシーをチャーターして出かけたから、何処でもタクシーを止めて写真を撮ることができた。運転手も親切でいろいろと教えてくれた。ついでにポプラの樹は役に立つのかと聞いてみた。何でこんことを聞いたかというと、一般のヤンシュ(楊樹)は中国ではあまり役に立たないので、馬鹿にされる樹なのである。特に春に毛綿を吐き出したりして、中国人にはそれが嫌がられたりする。しかし運転手の話では、ここの白楊樹は気候のせいかもあって、とても良い樹で、建築にも使えるとのことだった。

  タクシーの運転手はウイグル族の運転手であったので都合が良かった。農村に行けば、もう全くのウイグル語の世界であるから、中国語など通じるはずも無い。そこで運転士が巻き舌のウイグル語で何か言ってくれると、ニッコリして写真を撮らしてくれる。向こうも何しに来たんだろうなんて、こちらを見ているが、ウイグル顔の運転手がいて、ウイグル語を話すと安心するのだろう。人懐っこくてカメラに対する拒否反応は無いみたいであった。

  そう言えば、小学生の低学年の子がトラクターを運転しているのを見たのでビックリして見ていたら、とても得意なようすで通り過ぎて行った。この子供だったらキット喜んで写真を撮らしてくれたかもしれない。オートバイを乗り回していた少年もいた。ロバ車を操るくらいだからトラクターを運転して、何が問題なのかと言う位のものなのだろう。とにかく子供も小さいころからロバ車を操り、よく働くようであった。もう一つ気が付いたことであるが、農家の門の前は土の道であるけれども、自分で掃除するようで何処でも奇麗にされていた。北京では、共同住宅の自分のドアの前でも、自分では掃除しないで散らかすだけなんだけれども。

  それで異邦人の音楽をイメージで再現する為の写真の出来栄えはどうであったか。それが残念なことにあまり良くないのである。ポプラが両側に高々と聳える道を少年が御すロバ車が走る光景、これがテーマであったのだが、ロバ車って結構速い。構図がどうかなんて考えているうちに通り過ぎてしまう。ポプラの並木道は結構暗くて、人物とロバ車が浮き出てこない。もう一度カシュガルの農村に行って、構図を決めてロバ車が現われるのを待っていれば、今度は上手い写真が撮れると思うのだけれど。でももう一度一生の内に、西域の果ての地、カシュガルまで行けるなんてことはないかもしれない。ロバ車の良い写真を撮るには、自分で行くのでなくては(ツアーに参加したのでは)、行動の自由がなくて駄目だと思う。