北京の夜の新しい盛り場・什刹海(9月26日)

  中国人の変わり身の早さ、商売に対する嗅覚と言うのは凄いでね。これが商売になると判断すると、あっと言う間に現状を変えてしまいます。当局が取り締まろうと思っても、その頃には内外に有名になってしまって、取り締まることが出来ない状況になっています。什刹海(シーシャーハイ)と言うあたりですが、ここにバーがにょきにょきと出来ました。実はここでバーなどを開業するのが遺法かどうかは私は知りません。例えばの話ですが、遺法であったとしてもあっという間にバー街が出来てしまったと言うことです。想像するに、このあたりは古い北京の風情が残っている所ですから、当局としてはバーなどつくって欲しくなかったのではとも思いますが。北京には酒バー街として有名な三里屯がありますが、今の三里屯は歩道にまでテーブルを並べて営業をしています。これは多分遺法だと思いますが、三里屯の人気が出てきてしまったので、歩道に並べたテーブルを取り締まれないようです。北京の警察(本当は警察ではなくて別の組織が取り締まる)も結構評判を気にしているのかもしれません。

  北京の什刹海シーシャーハイ)をご存知の人も多いと思いますが、什刹海は前海、后海と西海を合わせて什刹海と言うようです。北京の海と言うのは飛び石のように連なっていて、地図を見ていただくのが一番いいのですが、天安門の西の方に南海があって、そこから北に、中海、北海と続き、北海のうしろにも、前海、后海とがあり、最後は西海になります。海と言っても池のような海です。これらの海の中で、南海と中海を合わせて中南海と言います。ここは中国の要人が住む所だそうです。

  今回の話は中国のお偉い人が住む中南海の話ではなくて、老北京人(古くからの北京人)が住む什刹海の話です。その前海と后海がつながるあたりが今、北京では凄いんです。SRAS終了後、たった二、三ヶ月のうちににょきにょきとバーが出来て、すっかり変わってしましました。SRAS以前にもこのあたりにはバーがありましたが、夜はひっそりとしていました。昼間はなかなか雰囲気のあるところで、岸には柳の木が植えられ、水辺の風景が見えます。散歩するにはいいところで、外人がよく散歩などしていました。すぐ側には古くからの北京の胡同(路地)が残り、普通の北京の庶民の臭いが感じられるところです。

  しかし今では、夜になると新しく出来たバー街のあたりを、外人がぞろぞろ、胡同から出てきたじいさんばあさんもぞろぞろ、中国人の観光客もぞろぞろ、北京の恋人同士もぞろぞろ。流行の服を着た、すらりと背の高い美人が、二人で手を繋ぎながら歩います。男女ではなくて女同士でです。布靴を履いたじいさんばあさんも歩いているのは、近くの胡同から出てきたのかもしれません。何しろ古めかしい胡同の隣に、きらきらのネオンが輝く、洒落た店が出来たのですから。

  什刹海の最も賑やかなところは、前海と后海との境目にある橋・銀錠槁の辺りで、そこから后海の南側に、バーがずらっと連なっています。今は賑やかになったせいか、夜もボートに乗れるようです。ボートとは別の大きい船があって、そこでは銀錠橋の袂にある有名なレストラン・焼肉季(モンゴル料理?)から料理を取り寄せて食べることも出来るそうです。

  私達は、橋の近くのバーの、外の椅子に座ってビールを飲みましたが、何しろ見物人が多いので、新しく出来た店を見物するついでに、こちらの人間の方もじろじろと見られてしました。しかし、かっこいいお姉さん達も通りますから、こちらから通る人を見ているもの面白いものです。勧められたビールは小ビンで一本30元もして高かったですが、ロシアから輸入した黒ビールだとのこで、結構美味しかったです。中国製のビールは小ビンで20元です。この辺りを訪れてバーに入る人のスタイルは、高いビールをガブガブ飲むと言うものではなくて、ビールの小ビンをちびりちびり飲んで時間を過ごすのが主流のようです。それにこの辺りのバーでは、あまり料理が無いみたいでです。

  我々はビールの小ビンでチビリチビリと言うわけにはいかないので、しかしビールは高いので、日本式に焼酎の水割りなんかないか、せめて韓国の真露でもないかと思ったのですが、あるはずもなく、しかしフィンランドの“フィンランデァ”というウオッカがあったので、これを一瓶買い込んで、水割りにしました。氷はサービス。これならば日本の焼酎に近いというものです。ちなみに“フィンランデァ”という曲があって、シベリュウスが作った愛国の歌ですが、中国の愛国の歌より、ずっと格調が高いと思えるのは何故なんでしょう。中国の愛国の歌は、政治的宣伝の臭いがする歌からかもしれません。什刹海の話と何の関係も無い話でした。

  アルコールが進むと、気持ちがだんだん大きくなってきて、流しのギター弾きに日本の歌は出来るかと聞くと、"昴"などを歌いだし、日本の歌の種が尽きると、ロシア民謡でどうかと言う事になり、それも歌ってもらって、こちらは歌声喫茶の年代ですので、その手の歌はお手の物ですから、一緒に歌ったりして、益々気分が高揚してしまいました。あまりに楽しかったので、後ろ髪を引かれる思いで、遠い北京の田舎にタクシーで帰りました。

  そんな事より、什刹海の紹介ですが、とにかくこの辺りは、新しい夜の盛り場になって賑やかになりましたから、皆さんも北京にお出かけの際の、夜の部には一度ここに行かれることをお勧めしまします。