北京の郊外に残る川底下村(9月13日)

  古い民家が残る川底下村に行ってきた。この村の名前は何故かしらないが、何人かの人が知っていた。北京の近くにある、古建築の残っている村だからだろうか。北京と言っても、門頭溝区に属していて、市の中心部から90kはあるところでる。タクシーで行ってみると随分長く走った感じがした。ほんとの山の中である。険しい谷沿いの道を延々と走って行ったので、北京の西には険しい山があることがよく分った。何で川底下なんて名前になったのか分からなかったが、この写真のように上から見ると、確かに川の底にあるようにも見える村である。村は上下に分かれていていて、村の上の部分は石垣で覆われた崖の上にあった。

  ある民家に入れてもらうと、そこの家の主人が、この家は4、500年の古さがあると言っていた。どの部分が4、500年だろうなんて言っていたら、主人がこの踏み石は500年くらい前のものだと説明してくれた。よくみるとその石は随分磨り減っていて、そう言われてみれば、500年くらい前から使われているようにも見た。その敷石は鮮やかな紅色が混ざっていて奇麗な石だった。

  古い民家と言うのは、いわゆる四合院である。見せてもらったのは四合院が二つ繋がったような構造の四合院で、"日"の字のような配置になっていた。"日"の字の真ん中の部分にも建物があり、その前と後ろに二つの中庭があった。建物はかなり正確に左右対称になっていた。ここはかなりの田舎であるから、さすがに北京の四合院のように大きなものではなくて、こじんまりとした四合院が多いようであった。中国のガイドブックには今に残る山村の古建築の一つと書かれていたが、山村特有の四合院であるらしい。

  見せてもらった家に入ったのは、そこの主人らしき人が、この家は古い家で、家を覗いてもと言うので入ったのである。家は観光用になっていて、その家の中に泊ることもでき、食事なども作ってくれる。商売の勧誘に誘われて入ったようなものであるが、押し付けがましいわけではなく、設備が立派になっているわけでもない。そこで普通に生活している所に入って行ったのである。雑魚寝のようにして泊れるのだが、宿泊費は何とたった10元とか。一人150円である。商売熱心ではないと言っても、見るだけでは悪いと思って、ビールとキュウリの簡単な料理を注文した。ビールはその都度何処からか仕入れてきたようだったし、キュウリは畑に取りに行って、もいできた様だった。泊る所には"カン"と言うのだろうか、オンドルのような暖房設備があった。そのうちの人と話していると、韓国人かと聞かれたりしたが、何だか近所のおばさんと話していいるみたいであった。そのうち家をそのままにして、どこかに行ってしまったりして、のんびりとした田舎の村そのままであった。

  生活は今でも水を運んできて、水がめに水を溜めて使う生活のようである。燃料は練炭を使っていた。トイレは共同のトイレで、四合院内に無い。実際にここに泊るとすると、トイレが屋外の共同であることが問題であろう。多分夜は真っ暗だろうし、それに相当汚かった。トイレが共同であること、暖房が練炭であることは、北京市の四合院でも同じある。家の内外にガラクタが無いだけ、市内の四合院よりは清潔な感じがした。

  改めて中国で発行されたガイドブックを読んでみると、この村は400年以上の歴史があり、70あまりの、明・清の時代の四合院が残っているのだとか。ここに古い古建築があった理由は、ここが北京から山西や辺地へ抜ける大動脈であって、辺境から北京を守る重要な軍事基地であったかららしい。今は観光客以外は殆んど訪れる人の無い、畑も殆んど無い山の寒村である。

  ガイドブックの読めない中国語を無理して読んでみると、レンガは青レンガ、瓦は灰色、建物の配置は主と従とがハッキリしていて、彫り物が多く、レンガ、木、石を彫ったものが多く、家の門などには等級の違いが見られ、古い文化の香が・・・・・・・・ とか。しかしいくら読んでも読めないものは読めない。多分そんなことが書かれていた。他にも、村には東西に走る一本の"清幽"な小道があって、そこは鮮やかな石で葺かれていて、と書かれていた。ここまで読んで、この道は通らなかったのではと気が付いた。一生の内にもう再びここを訪れることは無いだろうと思うと、そこに行かなかったことが少し悔いられた。

  しかしガイドブックにも書かれていないことも見てきた。『初恋の来た道』と言う中国映画を見た人がいるだろうか。その映画の中で、大切な思い出がある陶器を、金属で接いで修復する場面があった。ここにも金属で接いである大きな水甕が在るのを見た。主人の話では、この技術は今では無くなったものだと言っていたが、映画の場面は3、40年くらい前の話であるから、そんない古い話ではない。それでも古い村に相応しい珍しい物を見たような気がした。それがこの写真である。

 そんな、時代に取り残されたような水甕が残っている静かな山村だった。