中国人民と仲良くなる為に写真を撮る(8月14日)

  もう二年前半も前の事であるが、北京で働くことが決ってから、せっかく中国に行くのだから、中国の人民と仲良くなり、親しく庶民の生活に触れるこができればいいなぁーと思ったことがあった。そんなことはすっかり忘れてしまったのだが、最近、その事を思い出して、写真をとって、友好関係が築けないかと思ってカメラを持って出かけた。

  この方法で、中国人と仲良くなった日本人を思い出したからである。この人は日本語の先生で、中国語もろくに話せない老人であったが、ニコニコ顔で、肉売り場のおねいさん、踏み切り番のおじさん、米屋の夫婦に近づき、写真を撮って、その写真をあげて友好的な関係になるのに成功していた。

  真似してやってみたのであるが、これが意外と難しい。それに、このあたりの中国人は愛想があまり良くない。例えば、隣に住む人などに対しては、日本人なら、軽く挨拶程度の事はするが、ここでは隣であっても、隣だと言う理由だけでは、挨拶もしないし顔も合わせない。最近日本でも、おかしな事件がよく起きて、犯人が分ったとき、周囲の人にその犯人の印象を聞いたりするが、そこで挨拶もしない人であったりすると、やっぱりあいつが犯人であったかとということになりがちである。その感覚的判断から言うと、この周りの人は怪しげな犯人が多いと言う事になる。しかし中国人は、一旦知り合いになると、急に親しくなるようで、団地の窓の下には親しくなったじいさんばあさん同士が何時もたむろしている。

  一方、中国人のことばかり言えるわけではなくて、私の方も、あまり愛想は良くないのである。更にあの外国人は金を持っているかも知れないなんて思われて、金やカメラを狙われてはと思って、一応、外国人とは悟られないように暮らしている。

  しかしよく行く八百屋(ビールを配達してもらう)、団地にたむろしている白タクの運転手、洗濯屋、水売り屋には外国人であることが、もちろんばればれである。水売り屋に下手な中国語で水の配達を頼むと、ああ、日本人のところかなどと言われてしまう。

  写真を撮る話に戻すと、先ず顔見知りの八百屋や洗濯屋に行って写真を撮ってあげた。ここの人達は以前から知り合いなので、問題なく写真を撮れた。八百屋のおじさんは気取ったポーズを取って写真に収まった。腕に刺青のあるおばさんは、始め照れていたが、結局旦那と一緒に写真に収まった。洗濯屋の女の子に写真を撮ってあげると言うと、ニコニコ顔ではあったが、何で私の写真を撮るのと聞かれてしまった。日中友好のためとも言えず、いい答えを用意していなかったので、笑って誤魔化してしまった。この女の子は偶然にも二三日したら、故郷に2ヶ月くらい帰ると言う事であったので、急いで写真を焼付けて、あげたら喜んでいた。やはり滅多に写真を撮って貰ったことのない人は喜ぶようである。

  しかし、やっぱり知らない人の写真を撮るのは難しい。知らない人の写真を撮る事に成功したのは、整髪の時に撮った床屋の従業員一同だけであった。しかし写真を撮ってあげても親しくなると言うところまでは行かなかった。こう言うことが巧く出来るのも性格によるようである。

  汽車の中で知り合った人の写真を撮ってあげるのは、比較的撮りやすい。中国の汽車は長時間乗ることになるから、話すチャンスも多い。約一年前の事であるが、汽車に乗り合わせた老夫婦の写真を撮ってあげた。その写真を送ったら返事が来て、その奥さんの方は旅行から一ヵ月後にガンで亡くなったとのことであった。写真がよく撮れていて、最後の写真でもあるので、皆に配るから、焼き増ししたものかフイルムを送ってくれと返事がきた。写真を撮った時には、元気そうで病気のようには見えなかったが、とにかくフイルムをおくってあげた。

  このようなことで写真が役立ったこともあるが、たいていは写真を送ってあげても返事は来ない。チベットのあるお寺で撮ってあげた親子の写真の宛て先は、チベット語で書かれていたので、こちらから送るときにはチベット語をコピーして貼り付けて送ったから、写真は届いたと思う。またラサの大昭寺で撮ってあげた、こまっしゃくれた女の子の住所は、ラサ市大昭寺というだけであった。学校も行っていないみたいで、住んでいるところは、観光客が覗く仏像の脇らしかった。この人たちは多分中国語が書けないのだろうから返事が来ないのは仕方がないことである。

  そんな訳で、いいカメラとデジカメも持って来ているのだが、写真で中国人民と仲良くなることがなかなかできない。慣れない事は思い付きでやっても駄目なようである。