北京の夜はフィーバー状態(7月29日)

  SARSが去って北京の夜はフィーバー状態になった。北京に三里屯という酒バー街がある。そこは三里屯という一本の道なのであるが、そこにバーみたいな、レストランみたいな、そしてライブをやる店などがずらりと並んでいる。中国の商売の形態として、同じような店が一箇所に固まる傾向があるが、三里屯ではバーがぎっしりと固まっている。道にイスが並べられていて、オープンカフェ形式になってもいる。食べ物は西洋のものが中心で、飲み物を飲みながらゆっくりできる。外国人が多いので異国情緒がある。それだけでなく営業の形態や食べ物、雰囲気全体が中国的でないのである。中国式レストランのように、食べ物をタップリ注文しなくてもよく、早く終わってしまうこともない。つまり食べる以外の楽しみがあるバー街である。

  そこに花の金曜日の晩、出かけみたら、夜遅くまで人、人の流れで、それは賑やかだった。そこに結構有名なジャズ・ヤと言う店があって、そこに行ってきた。一部の日本人にも結構知られている店である。その店には日本の串カツとかどんぶり物とか、スパゲッティ−とか日本人なら安心して注文できる物があるが、日本料理屋というわけではない。ジャズが流れている店で、バーみたいなレストランみたいな店である。またカクテルも売りものにしていて、キムチも、チーズケーキも焼き魚も美味しかった。ここは北京にあって北京ではないような、外国人も多い店である。

  一方、ジャズ・ヤがある三里屯北街は、夜遅くまで熱気むんむんといった感じだった、三里屯の酒バー街と言えば、ある時は当局が歩道に並べたイスを禁止してみたりして、時々嫌がらせのような取締りをすることもあるが、SARS 以前の賑わいを取り戻したかのように、大勢の外人が集まってきている現状からすれば、北京にとっては有り難くて、とても禁止などできる訳は無いといった状況である。もしかしたら、SARSの前より賑やかになったかもしれない。

  ジャズ・ヤを出て日本式に二次会へ行くつもりで、バー街を通って行くと、ライブがあるから見て行かないかと客引きに誘われた。しかし普通私は、お金があるようにも、ライブに関心があるような人種にも見えないらしく、誘われる事が少ない。しかし今日は違っていた。まず服装が会社からの退勤後であったので、スーツではないが、筋の通ったズボンを履いていたし、横に若い女子がいたからである。それも三人もいた。先日北京への復帰祝いをしてもらったから、今日はそのお返しと言うわけである。日本式に二次会へ行く事になった理由は、三人の女の子が全部日本で働いたことのある人ばかりであるからで、日本式に二次会となったのである。普通北京あたりの中国式飲み会では、二次会三次会というのは極めて少ない。

  そして二次会の朝陽公園の南口バー街へ行った。ここも12時過ぎてもますます賑やかになるばかりで、暑さも忘れるようなフィーバーぶりだった。ラテンダンスの音楽の店やブルースの店もあった。この店は外人が多かったが、朝陽公園前のバー街全体としては、あまり外人が多くない場所のようである。しかしこう言うところで遊ぶ中国人が増えてきたのも確かな事である。私が帰る頃になってもネオンはきらきら輝き、消える様子はなかった。私は1時に帰ってきたので、はっきり分らないが、この賑やかさは一体何時まで続くのだろう。

  一方、こう言った都会の歓楽街と関係ない北京のじいさんばあさん達は、どうやって夜を過ごすのだろう。例えば、私が勤めているビルは、一応ITビルといいうことで外見は立派なものである。しかしそのビルの裏側には、ずっと稼動していない国営の会社の建物が、廃墟の様に立っていて、その脇には平屋の住宅が雑然と並んでいる。夜になると、そのあたりの平屋から夜になると、じいさんばあさんが湧き出してきて、一応立派なビルの前の階段に腰掛けて、夕涼みをしている。北京あたりの庶民は夜になると、よく屋外で過ごすようである。北京の平屋(平房と書く)と言うのは、相当乱雑な感じがして、風通しも悪そうである。蒸し暑い部屋に居るより、外の方がいいのかもしれない。

  もう少しお金がありそうな若者は、最近流行りの屋外に並べられレストランのテーブルで、ビールを飲んだりしている。ここに来る目的が最近は以前と違ってきたようで、以前はこう言うところで、がんがん食べ尽くすと言った感じであったが、最近の様子は居酒屋感覚で軽く一杯飲むと言う感じになったように見える。都会的になったのかもしれない。以前中国には居酒屋がないと書いたが、こんな所が日本の居酒屋のように、軽く酒を飲んで夜を過ごす場所として定着するのだろうか。

  それは、やっぱり無理かもしれない。屋外に並べられたテーブルというのは秋になると寒くてたまらなくなる。そうすると中国式即席居酒屋はなくなってしまうことになる。日本の様に冬の夜長も、酒を飲んで過ごす居酒屋は、中国には定着しないのかもしれない。それとも、夏に外で飲んでいた人が、冬には屋内の三里屯などの酒バー街のバーでも飲むようになるんだろうか。そうなれば日本と同じように、居酒屋での酒の飲み方に近くなる。しかしそうなっても、中国のおじさんはこう言うところには来ないだろう。日本の居酒屋には、おじさんが多いのだけけれど。私のようにおじさんをも通り越した人が、三里屯のバーへ行くことは、中国人では極めて珍しいことである。