久し振りの北京(7月5日)

  北京には6月30日に戻った。4月30日に北京を脱出して以来であるから、丁度二ヶ月ぶりである。脱出するときは緊張に包まれていて、空港まで団地内の八百屋のおじさんの車で、空港まで送ってもらったのであるが、そのおじさんは車が空港に近づいたら慌てて窓を閉めてSARSの侵入を防ぎ、荷物を降ろすと、そさくさと帰ってしまった。空港の屋内に入るには赤外線の検温器で一人一人チェックされて、ようやく空港に入ることが出来た。

  6月の24日に、WHOが北京への渡航延期勧告と北京の感染地域指定を解除したと発表したので北京に戻ったのだが、北京の新聞ではこれを"双解除"と呼んで喜びを表していた。北京で飛行機から降りて、エスカレータ−で下に下りて行ったら、カメラマンがずらりと並んで待ち構えていた。更に先に行くと、花束を抱えた女性もずらっと並んでいた。これは我々の写真を撮ろうとしたのではなくて、"双解除"以来はじめてのツアー客が来るので、大勢のカメラマンが待ち構えていたらしい。とにかく北京にとってはお客が来てくれることが、とてもうれしいことであるらしい。

  しかし、飛行機の中は全くガラガラで、乗客は10分の1くらい。それも中国人が主で、日本人では、女の留学生で北京戻る人がいたが、ちらほら程度。もっとも中国の飛行機だったので中国人が多かったのかもしれない。それにしても中国の航空会社のサービスは悪かった。ランチなどは最低。

  空港では行きと違って、自己申告の健康チェック票に記入して提出するだけで済んだ。街中の病院の門には、看護婦さんがいて何やらチェックの仕事をしているらしいが、殆んどフリーパスの状態らしい。団地内にタクシーで入ろうとしたら、守衛が居住証が無いかと聞いてきたが、運転手が"この人は二ヶ月振りに戻った外国人だ"だと行ったらすんなり通してくれた。何だかチェックもいい加減になってきたようである。もっと前だとややこしかったかもしれない。北京脱出時に八百屋のおじさんの車に乗った時、聞いた話だと、その日の午後2時から団地の入り口での検問が始まると言っていた。もしその後この団地に滞在していたら、外国人である私は、相当ややこしいことになったかもしれない。

  しかし今では、人が通る門のところにいる守衛は、以前のダラッとした着古した制服を着ていて、チェックは何もしていなかった。団地の門の所には、入る時、居住証が要ると書かれてはいたが、その立て看板は隅の方に追いやられていた。その他にも団地内ではちょっとした変化があった。階段に物が置かれていないようになった。北京あたりの家の周りは、なぜか汚くて、ガラクタが沢山置かれているのである。その状態は私が住んでいるところも例外ではなく、団地の階段にゴミやガラクタを放置しておくなんて、相当気になることであった。それがこのSARS騒動で、中国の衛生状態を反省して、階段を綺麗にしたのかもしれない。もう一つの変化は、階段の踊場からゴミを投げ落とす為のダスターシュートがあったが、これが塞がれて使えなくなり、代わりに三種類の分別が出来るゴミ箱が、庭に置いてあった。しかし北京のゴミの分別の仕方は、付け焼刃のようで、再生可能ゴミの箱にスイカの皮が投げ込んであった。階段にゴミを置いてはいけないなんてルールも、何時まで護られるやら。SARS流行の期間中、痰を吐くと罰金と言う罰則が出来たらしいが、相変わらずガアーという痰を吐く音が、あちこちで聞こえる。

  昨日は、会社の若い女性 (一応美女としておくが) 三人が、私の帰国を祝ってご馳走してくれると言うので、抗州料理をご馳走になった。何で祝ってくれるかのと聞いたら、私達はズーッと外食が出来なくて、私達もたまには美味しいものを食べたいからと言っていた。この理由はともかく、SARS流行の期間中は外食は恐ろしくて出来ず、昼食も弁当を持参して食べていたのだとか。若い女性がこの歳の私にご馳走してくれるなんて、大いに感謝しなければならないことであった。日本にいても娘がご馳走してくれるくらいで、絶えて久しく無いことである。ご馳走してくれた理由を、お土産をあげたからなのか、日本語を教えたからなのか、それとも日本料理屋に連れて行ってほしいからなのか、などといろいろ考えてしまうのは、私が歳だからかもしれない。北京の夜はどうやら元に戻ったらしいので、次は私が、賑やかさが戻った三里屯のレストラン街にでも連れて行ってあげようとか考えた。

  北京の夜の賑やかさは本当に元に戻ったらしい。"双解除"以前はひっそりとしていたレストランも、今では一週間も経たないうちに、店の前にもテーブルを並べて商売をするようになっていた。通路である所にテーブルを並べるなど違反ではないかと思うが、隣に習ってゲリラ的に商売を始めるのが中国的のようで、違反と取締りが交互に繰り返されるのが中国方式である。いまはSARSの解除で、当局のお見逃しの時期かもしれないが、そのうちこれは違反だと言うことで、城監(城市監察大隊)が出てきて一斉取締りとなり、テーブル没収と言うことになるかもしれない。

  北京の元の状態と言うのは、大勢の人が老いも若きも夜、外で、夕涼みをしたり、散歩したり、将棋をしたり、上に書いたようなレストランの外のテーブルで、飲んだリ食ったりする状態である。この状態は"食べたり"と表現するより"食ったり"の方が相応しい。私が住んでいる所でも夜になると、団地の家から人が湧き出してきて、賑やかになる。これが北京の暑い夏の夜の、通常の状態である。

  それにしても北京は暑い。毎日通勤で汗びっしょりになる。