チベット旅行記-1
(2月25日)

  北京発の飛行機は、春節の二日目である2月2日に、成都を経由して、三時半ごろラサに着いた。現地ガイドに迎えられマイクロバスで一時間も掛ってラサのホテルに着く。飛行場からラサまでかなり遠い。この日は休息した方がいいとガイドに言われて、食後はホテルの部屋に入って休む。酒類も3日間くらいは飲まない方がいいといわれたので、ビールも飲まなかった。酒を一適も飲まないなんて何年かぶりのことかもしれない。高山病にいいと言われたチベットの薬"紅景天"と言われる薬を飲んで寝た。これは有名な高山病に効くといわれる薬で、飛行機の中から飲んでいた。ホテルのパンフレットを読んでみたら、高山病は7、8時間後位に症状が現われると書いてあった。その通りで、着いた日は何事も無かったが、夜中から頭が重くなり、翌日の朝は明らかに頭痛がして、高山病の症状が出た。

  高山病の頭痛には頭痛薬が効くことを、インターネットで調べてあったので、日本のバッファリンとかノーシンを持って来ていた。胃を悪くしてはいけないので、食事を食べてからこれを飲んだ。これはやはり効いて、30分後には頭痛が取れた。"紅景天"という薬は、中国人の殆どが知っている有名な高山病の薬である。私も進められて、買って持ってきたが、効かなかった。

  二日目の午前中はポタラ宮を見学して、午後は大昭寺を見学した。午前中といってもこの地の冬は、8時半位からようやく空が明るくなり、9時ごろやっと朝になるのである。9時に起床して9時半に食事であったので、出発は10時ごろになった。北京時間と同じ時間を使用しているから、ラサまで来るとこうなるのは当たり前かもしれない。

  中国でもラサまで来ると、中国の中の異国と言った感じになる。何と言ってもチベット族の人が多くて、それが独特の雰囲気を感じさせる。その特異な服装と共に、埃だらけ、いや汚い人も居ることも書かないわけにはいかない。顔がここまで黒くなれるものだろうかと思う位黒い顔の人もいる。やはり貧しいところなのだろう。旅行に行く者としては、この貧しさ、汚さを見に行くが本来の目的ではないが、こう言った雰囲気が異国的雰囲気を感じさせる要素の一つでもある。チベットの人を見ると、チベットに来たという感じになった。

  同行のツアーの中国人はここには汚染がないと言って、盛んに感動していた。確かに空は青く、この空の青さは北京辺りでは見られないものである。遠くに雪山が見える。山の稜線と空の青さがクッキリと対比して見える。遠くの山は霞んで見えるのではなくて、ハッキリと見えるのである。この空の青さを見るのも、チベット旅行の魅力の一つではなかろうか。空は確かに澄んででいたが、ゴミの処理は上手くいっていないようであった。特に周辺の村に行くと、村の周りに、ビニールが無造作に捨てられいて、処理できないままヒラヒラと散らかっていた。

  中国の街は燃料の臭いがするところが多い。燃料と言えば普通は石炭の臭いがするのだが、ラサでは木を燃やす臭いがした。ここには石炭があまり無いように見えた。燃料に薪を使っているのだろうか。ここには工場が殆ど無かったが、中国の田舎でも見られるセメント工場だけはあった。

  ポタラ宮と大昭寺はチベット式仏像と壁画だらけ。写真に撮れないので残念。ガイドの説明は、ダライラマ5世がとか、仏様の名前が、まだら模様に分かるが、全体としては意味がわからない。これも残念なことである。ツアー一向は14人で外人は私だけ。皆小銭を供えて、熱心に拝んでいる。中国人も日本人と同じく、神様にこだわりが無いのかもしれない。ご利益の有りそうな仏様には、取りあえず全部ご機嫌を取っておくといった感じで、小銭が要って大変だと言いながらも、あちこちでお賽銭を上げていた。私から見ると、仏教であってもチベット仏教は、北京あたりのと仏教と雰囲気も教義的にも、随分違うものではないかと思うのだが。中国人にとって道教でもチベット仏教でも、どちらでもいいのかもしれない。もっとも、中国人といっても回族(回教徒)にとっては、どの仏様、神様でもいいというわけにはいかないようである。

  ガイドの説明の途中で、ダライラマ14世の話になったが、中国の人はダライラマ14世が亡命していることを知らないらしく、初めて聞かされたようであった。またチベット族の割合に付いて質問が出たが、その答はチベット全体では95%だと答えていた。しかしラサには漢族がとても多いように思えた。この答えは正しいのか、それてもラサでの割合についての答えをわざと避けたのかななどと考えた。チベットは中国の中で微妙な位置にあるのは確かなようである。

  チベット仏教の仏様、壁画、タンカ(輪廻を図に示した画)などは独特のものである。お寺そのものの建て方や彩色方法も同様で、色彩が豊かで、異国情緒タップリであった。中国のお寺なども色彩が豊かと言うか、豊か過ぎるが、やはり色の使い方が違う。中国の色は圧倒的に赤が多く、薄い黄色や緑も使われていて、この三原色の組合せ、あまり感じがいいものではない。チベットの方の色は、タルチョの旗の色に濃いブルーの色なども混ざっていた。家の壁や窓には白も黒もわれていて、私にはチベットの色彩感覚の方がいいように思えた。(チベットは中国の一部であるが)

三日目も相変わらず頭が痛かった。この日はマイクロバスで、バスでシガツェに向かった。距離は300キロ、途中でヤムドク湖が見えるカムバ峠の上で写真を撮る。写真を撮る為に少し坂道を昇ると息が切れた。湖もブルーの色がきれいで、空もまた青かった。峠には、チベット族が旅の無事を祈ると言うタルチョがあった。

  湖の傍をひたすら走りナンカルツェに着いて、ここで昼食。小さな部落である。ここからまた登りになり最高地点の5,035メートルのカロー峠を越える。この峠の近くに行くと、そこよりもっと高い雪山が見えた。ガイドは"氷山"だと言ったが、あまりに簡単な名前過ぎる。確かに山の裏側には氷が張り付いていたが、本当はちゃんとしたチベット語の名前があるのかもしれない。

  峠を降りて、暫く行くとギャンツェに着く。チベットで三番目に大きい街だそうだが、かなり小さい。ここで白居寺を見る。 チベットで一番大きい仏塔があるお寺なのだとか。近くの山の上には白いお城の廃墟が見える。その後平野を走って、今日の宿泊の地、シガツェ市に着く。ホテルは山東賓館と言う名前だったか思う。とにかく山東省の援助で作られたホテルらしい。チベットには各省の援助で作られた"箱物"が多かった。チベットへの援助は各省に割り当てられた義務なのだろうか。徳川幕府が各藩に割り当てた賦役のようなものかもしれない。シガツェは標高3900mで、富士山より高い所にある。チベットで二番目に大きい街だとか。山東賓館は中国で一番高い所にあるホテルだそうである。
(続く)