張家口
(12月30日)

  寒くなる前に、今年最後の旅行のチャンスだと思って、11月の下旬に張家口に行ってきた。案の定、張家口から帰る頃は寒波が訪れて、一気に寒くなり、もう旅行どころの話ではなくなってしまった。北京から一泊で行けそうな所は、張家口と承徳であったが、張家口に行くことにした

  朝早く張家口へ行く汽車は慢車、つまり鈍行しかなく、約200kmの距離を6時間近くかかって、のんびりと走る列車であった。料金は10元(150円)位で、とても安い。中国の汽車の料金は一般に安いが、200kmで10元で済むところは、そう無いと思う。安いのはいいのだが、グリーン車みたいな座席はなく、椅子の背は直角になっていて硬い席である。このクラスの席は文字通り"硬座"という。

  安くて庶民的が利用する乗り物であるが、禁煙の表示があるにもかかわらず、乗客はタバコは吸うし、痰は吐くしで、なかなかの乗り物である。勿論ゴミも捨て放題である。しかし車両の中にゴミを捨てるのは、どこでも同じだから特別のことではない。各車両毎に、車両の端に、ゴミを掃除してくれる車掌さんが乗っている。この人の役割は、車内の秩序を保つのが役割のような感じで、車内を巡回して、タバコを吸う人がいると、吸わないようにかなり強い調子で注意する。注意はするが、その車掌は定期的に巡回するだけだから、その合間をぬって、男の乗客は、タバコを吸う。いたイタチゴッコのようなものである。この車掌さんは、ゴミを掃除したりするが、切符の検札は違う人がやる。切符を売る車掌さんも別にいたかもしれない。他にも何らかの仕事を分担した乗務員が沢山いて、列車の隅の席に座って、楽しそうに話していた。すべからく職場と言うものは、このように和気藹々として、あくせくしないのがいいのではないかと思う。秩序を保つ役割の車掌さんの他は、タバコを吸っている人に対して、注意などしないようだった。

  乗客は沿線の農民のような人が多く、今まで髭を剃ったことも無いような無精髭の人や、髪の毛は、櫛を入れたことの無いようなものや、横を向いているのや、逆立っているやら、結構大変な髪の毛の人が多かった。その人たちが、車掌の巡回の合間を縫ってタバコをプカプカ吸うのである。

  ゴミといえば、沿線に捨てられたゴミはとても多い。目を覆うばかりの酷い状態のところも有る。旅行者の目に付く処だけに、この酷い状態は何とかならないものだろうかと思ってしまう。汽車に乗ると、表からは目に付かない裏が見えてしまうと言った感じである。このゴミは既に北京の駅の近くにもあり、他の町にも町に近づくと、ゴミが現われてずっと続いていた。

  すれ違う貨車の荷は石炭が多かった。張家口は北京から石炭の産地・大同に続く鉄道の、途中の駅である。内蒙古にも近い処である。

  張家口の街は、山に挟まれた平地にあって、街の北側の谷が狭まったところに、大境門と言う名前の大きな城門と、それに続く城壁があった。荒涼とした山には長城が今も残っていて、長く伸びていた。いかにも北の守りの街と言った感じであった。

  北の街は、冬になった今は、石炭を沢山焚いていて煙が立ち上り、石炭の匂いがぷんぷんと匂う街であった。山の上から見ると、煙が街全体を覆っていた。

  やはりこの街は、都会から比べると田舎の町、北の街といった感じがする。人々は着脹れていて寒そうであった。周囲の山には木が少なくて、木の葉が落ちた今は、殆ど禿山に近かった。このあたりは春になると北京を襲う大砂塵の源の一つであるらしい。街も埃っぽかった。

  道端には石炭が山の様に積み上げてあって、大きな台秤で石炭の量り売りをしていた。近くの人が、袋に入れてもらって、20kg、30kgと買っていくようである。百貨店の入り口には、黒い毛布のようなものがぶら下がっている。これは防寒用としで、ガラス戸よりも効果があるのかもしれない。出入りする人はこの毛布のような物を掻き分けて入って行くのである。別のところの食肉市場の入り口にも、布製ドア(?)がぶら下がっていた。ここの布の手で掻き分ける部分は、既に豚の油などで黒光りがしていた。これを掻き分けるのはチョッと気持ちが悪い。

  マクドナルドは無かったが、それを真似た店が一軒だけあった。ここで、甘いコーヒーを飲んできた。この街では、コーヒーを飲むなんて人は居なさそうだった。道端では、生きた鶏やウサギを売っていた。屋台のような庶民的な店は沢山会った。果物を売る店も沢山会ったが、果物の種類は北京などよりずっと少なかった。この寒い北の街で、冬の間外で果物を売るなんて、とても大変な事の様に思えた。何となく森進一の歌の「北の街では・・・」と言うのを思い出した。

  給料も安そうであった。求人の広告を見ると、一番安い給料は、住み込みのお手伝いさんで、寝るところ、食事付きで、たった200元(3000円)であった。女性事務員でも400元か500元(7,000円位、月給)であった。

  観光地は。北に備えた大境門のほかに、水母宮がある公園とか、山の中腹にある子宝が授かると言う、道教と仏教が混ざったような廟が有るくらいである。運転手に聞いてみても夏になると、もっと奥に観光地が有るが、それほど観光客が多くは無いとのことであった。

  帰りの汽車の中では、張家口から北京に戻ると言う看護さんと話しながら、北京に戻った。やはり髯面で、髪の毛あっちこっちの男が前に居るより、清潔そうな看護婦さんが前に座っていたほうがずっと楽しかった。何だか帰りの時間の方が早く過ぎてしまったようである。解放軍309医院の看護婦さんだと言っていた。

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