画のような水郷の風景
(10月21日)

  10月1日つまり中国の国慶節の休みを利用して、妻と江南の水郷地帯を旅行してきた。このあたりには画になるような所が沢山有ってとても綺麗であった。蘇州に行くと、このあたりの水郷の様子を版画にしたり、水彩画にして売っているが、まさにその画のような様な水郷の風景を見ることが出来た。

  江南とは多分上海の東の方の、長江の南側を指すのではないかと思うが、その中でも江蘇省と浙江省の境辺りの、太湖の東、又は南東には広大な水郷地帯が広がっている。江蘇省側の、江南水郷の三明珠として知られている古い町は、周庄、同里、そして用直(ほんとの用の字は、上に"向"の字のような一本の角が生えている)である。周庄は世界遺産にも指定されて特に有名である。これに対して浙江省側にも古い三つの水郷の町つまり古鎮がある。それは西塘、烏鎮、あと一つは多分朱家角ではないかと思う。

  これらの古鎮のうち、西塘、同里周庄そして最後に蘇州を回ってきた。特に良かったのは西塘と、同里から周庄までの船の旅であった。

  西塘の町はあまり人に知られていないせいか、観光客が少なく、素朴な水辺の生活がそのまま見える古い町であった。ホテルも西塘賓館という立派な名前であったが、安ホテルであって、国慶節の1日前の9月30日であったにもかかわらず、泊まり客は私達だけであった。二人で2000円もしなかった。別のホテルも同じようなものであった。

  西塘の町には水路が縦横に走っていて、その水辺に家が並んでいる。水辺の家は、軒を水路の側に張りだして作ってあり、各家の軒が連なって、その下が通路になっていた。これを"走廊"と言うらしいが、水辺の回廊である。回廊はせいぜいバイクが通れるくらいで、自動車などは通れない。通路から水辺に降りて、洗い物をしたり、船に乗れるようになっていて、生活感の溢れ回廊であった。

  夕方になってこの辺りを散歩していたら、時あたかも中秋の月が、古鎮の町の上に登るのが見えた。本当は中秋の名月の1日前(9月30日)の月であったが、月は丸かった。水路の上には所々に石で出来た太鼓橋が掛かっていた。そしてその下を通る船。この辺りの人の夕食は早いようである。

夜になってから人力車の運転手に、西塘で一番美味しい店につれて行ってくれと頼んだら、人力車がやっと通れる細く薄暗い路地を進んで、水上のレストランに連れて行ってくれた。船の上の水上レストランは丸い石の太鼓橋の向こうにあるので、人力車は進めない。西塘はそんな古いままの町である。立派なレストランなどはここには1軒もないようである。この船のレストランも客は私達だけで、船の中で近所の人達がのんびりとトランプをしていた。レストランと言う言葉がふさわしくない船の上であったが、夜の水辺の雰囲気はなかなかのものであった。夜になると観光客は殆どいなくなっていた。

  料理はいずれもこの地方の料理だと言うものを頼んだ。里芋と百合根を混ぜたような味の、この地方の水の中で採れるという、何かの根のような物を使った煮物は美味しかった。甘からく煮てあって、日本の里芋の煮物にも似た味であった。名前は「凌角」(リンジャオ)と言うらしく、角が尖っていて菱形をした芋のようなものである。他にここは水郷地帯であるから、ここで採れる川えびや蟹が名物であった。この辺りで採れる蟹は、どうも上海蟹と同じ物らしく、その産地でもあるらしかった。

  この地方のもう一つの名物は、"粉蒸肉"と言う食べ物で、これも美味しかった。小米(粟)に豚肉を混ぜて、その上を湯葉か豆腐皮のようなもので丸く包み、更に蓮の葉で包んだ食べ物である。これを蒸したての熱いうちに食べる。肉と粟粒が交じり合って、肉はとても柔らかく、小米は焼いた"たらこ"のような食感があり、粟粒には肉の味がしみていて、ほんとに美味しかった。もう一度食べてみたい味である。一番外の蓮の葉は食べられない。

この"粉蒸肉"を売っている店は、古い家が並んでいる細い路地にあり、店には"粉蒸肉"の幟があって、ガラス戸も無い古い作りのままの店である。店を開ける時は、数枚の木の戸をはずして開けるのである。これは開き戸でも引き戸でもない。石畳の細い路地と古い作りの店も、なかなか雰囲気が良かった。

  食後の散歩は、ほの暗い明かりが漏れる、水辺の回廊を通ったのであるが、こんなのんびりした生活もあったのだと思わせるような、都会の喧騒とは全く別の世界があった。それでいて中国の内陸部の、土塀で囲まれた家とは違った、精神的には豊かな生活が感じられた。回廊では家族がそこに出て、食事をしたり、友達とトランプをしたりしていた。家族や隣近所と仲良く暮し、しかし時代からは少し取り残されているような、昔の日本にもあったような、懐かしい光景であった。

  朝の西塘の町も興味深かった。路地裏には朝早くから、おじいさん連中が茶館に集まって、お喋りをしていた。茶館といっても相当年代を経た薄暗い建物であった。やはり未だガラス戸はあまり使われていない。この地方には、おじいさんだけが朝から茶館に集まってお喋りをする習慣があるらしい。またこの辺りには、船で生活している人も居るらしい。町のはずれの船溜まりの方へ行ったら、それらしい船が沢山あった。

  周庄から同里までの船の旅は最高に良かった。ここでも中国の画の様な、江南の水郷の風景があった。売っている画には、たっぷりの水とそこに映える江南特有の白壁の家、そして手こぎの舟、家の前の水辺ではアヒルが遊んでいるような画が多かったが、これとそっくりの風景の中を船で通って行ったのである。

  この地方の農家だけが使う、迷路のような曲がりくねったクリークを通って同里へ向かった。観光用の船や、砂利運搬船、モーターボートなどは一切通っていない。よほどこのクリークに慣れていないと、迷ってしまうと思えるような水路である。モーターボートが通る水路とは別のクリークであるらしい。所々に風情のある古い石の橋が掛かっていたが、大きな船はここを通れないらしい。

  北京やもっと西の方の乾いた風景と違って、水のある風景は心が落ち着く風景である。特に水路に漆喰の白壁はよく似合う。建物の周りには塀が無くて、大きな二階建ての建物で、開放的な感じもして、豊かそうな感じであった。北京辺りの家の様な、埃っぽい雑然とした感じとは全く違う。

  この水路を通る船に乗れたのは偶然であった。元々周庄から同里までは船で行く計画であったが、その船が見つからず、地元の人に聞いてもそのような船は無いとのことであったので諦めていた。しかし朝早く周庄の朝の写真を撮りに行ったら、観光名所の橋の上で、"同里"が何とかかんとか行っている人がいた。よく聞いてみると船で同里まで行かないかという誘いの話しなので、早速これに飛びついて乗ることに決めた。値段は値切らずに言い値の100元。妻と二人の貸切の、一時間の心地良い川風に吹かれながらの船旅であった。天気も良く、良い写真も撮れたので気分は最高であった。

  その船であるが、何とこの船はコンクリートの船なのである。このあたりの生活用の船は全部コンクリートで出来ている。エンジンはポンポンポンとのどかな音を立てる船である。観光用の船は木で出来ていたが、農家の船はコンクリートである。やはりこの地方では木が少ないらしい。その船で通る水路の岸辺には、柳の木が繁っていて、丸いアーチ型の橋なども沢山見えた。この水路で洗濯する人、アヒル、柳、石の橋、手漕ぎの舟、水路の直ぐ傍に建っている白い壁の農家。やはり画なる風景である。それにしても白い壁は、水郷の水に良く似合う

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