黄村鎮の由来
(7月6日)

  私が住んでいる黄村鎮の名前は、黄色い埃が多いので、この名前が付いたのだとか。どおりで埃が多いわけである。それにしても適切な名前を付けたものである。確かに砂埃の多いところである。木が少なくて剥き出しの土が多い。そして何時も乾いている。しかし、この乾いた砂地の土地のお蔭で、ここはスイカが名産である。乾いているので甘いスイカが取れるのだとか。

  どれくらい埃が凄いかとうと、五階の部屋でも窓を明けておくと、一陣の風がサット吹いてきて、あっという間に部屋が土埃だらけになってしまう。部屋を全部綺麗にして、一休みしていると、部屋が埃だらけになてしまうので、これには頭に来くる。強い風でなくても、そよ風の中にもかなりの埃りを含んでいるようである。だから窓を明けておくと、床やテーブルの上がすぐ埃りだらけになる。

  新聞には北京の空気の汚染が、かなり改善されてと書かれていたが、それは確かなことかもしれない。しかし以前はもっと酷かったというだけの話で、今でもいたるところに乾いた土が剥き出しのままである。だから埃が多い。

  それにゴミも多い。やたらにゴミを捨てている感じである。先日は、上の6階からゴミがどさっと落ちてきて、窓はゴミだらけ。部屋の中にも入ってきた。上の6階で工事中があったので、工事人が捨てたのかもしれない。しかしそうではないのかもしれない。家の者が捨てるのかもしれない。とにかくこちらでは勝って気ままにゴミを捨てるようである。6階の子供にしても、階段を登り降りしながら、お菓子の袋を破きながら捨てて行く。多分学校でも家庭でもゴミを捨てない様には教育していない様である。もっともゴミを捨てるのは親も同じであるが。

  6階の子供も窓からゴミを捨てているのかもしれない。時々おまけのカードのような物が私の部屋の窓に乗っている。頭に来て(よく頭に来るのであるが)これを払いのけるが、よそから見ると、私が窓からゴミを捨てている様に見えるかもしれない。チョット気になるが、このゴミを、家の中に取り込んでから捨てるなんてことは、したくない心境である。

  工事も凄い。1階の家で、窓を新しくしたのであるが、古い硝子窓は硝子を叩き割ってそのままである。家の内側から叩き割るわけであるから、窓の外に硝子が捨てられたことになる。大量の硝子は窓の下に放置されたままの状態である。ガチャンガチャチャンと大きな音がしたので、何かと思って窓から覗いて見たら、裏窓に大量のガラスが放置されていた。

  工事の際にも、コンクリート片などをあまり片付けない。だから土の中にコンクリート片が混ざってしまう。そこに木などを植えるのだから、とても気になってしまう。あまり酷い時は篩で土を振り分けるている。しかしそれでまた土埃が立ち登る。もっと後のことを考えれば良いのにと思うのだが。ここは乾いたところである。

  しかしどこでもゴミだらけと言うわけではない。肝心な所は掃除人がいて掃除している。だから掃除する人が大勢いる。北京の長安街などはとてもきれいになっている。何しろオリンピックの開催候補地であるから。中国では、掃除人と警備員がとても目立つ。

  ところで今の中国では"緑色"という言葉が流行している。何でも"緑色"である。"緑色"とは環境に優しいとか、自然食品、健康食品とかの意味で使われている。政府は環境保護を盛んに宣伝しているが、その掛け声に応じて(便乗して)、沢山の商品に"緑色"が付くようになった。つまり環境を考慮した商品には"緑色"と名前を付ければ、流行の商品になるらしい。

  それでやたらに"緑色"である。新しく建設された団地のキャッチコピーも"緑色"の新天地だそうである。商品の包装の色を緑色に変えて(変えただけ?)、政府の宣伝に協賛しているのもある。怪しげな漢方薬も自然商品の仲間入りである。当然漢方薬は天然の物ですから、"緑色"に参加できるというわけである。

  どうも、"緑色"の名前の方が先行しているようで、放置されたガラスの破片は依然としてそのままである。