北京事情
(5月27日)

  老北京人の話しが新聞に載っていた。老北京人の楽しみは、「小鳥を飼い、将棋をやって、凧を揚げること。そしてお酒を飲んでお喋りすることだそうである。この"老"と言うのは必ずしも老人を意味していはいない様で、古くからの北京人は、小鳥の籠をブラブラと、わざとゆすって公園に出掛ける。そこで木の枝に鳥籠をぶら下げて、鳥を鳴かせている。別の人は公園で将棋をやっている。橋の上ではよく凧を揚げている人がいる。中国で凧をあげているのは子供ではなくて、大体がいい年の大人である。

  この老北京人も平房(平屋)がドンドン取り壊されているので、郊外のアパートの移らざるを得ないらしい。市内のアパートに入れても、高層アパートでは、自分でエレベーターの運転が出来ないのだとか。運転専門の人がいて、そして11時になるとエレベーターは止ってしまうらしい。もし11過ぎに20階の家に帰ろうと思ったら、大変なことになる。「お酒を飲んでお喋りすること」が楽しみだと言っても、あまり遅くなると登山の様な状態になり、心臓麻痺を起こしかねない。

  ところで何故エレベーエーを自分で操作できないのか不思議である。中国人には能力が無いのか、又は信用できないのか。エレベーターの件から見るとどうも中国人はそうらしいように思えてくる。本当はそうではないに違いないが、人間が余っているからなのであろうか。それにしても係りがいないと動かないエレベーターは、不便と思わないのかないのだろうか。

  最近の新しいマンションに入った人の話でも、エレベーターの運転は専門家(?)がするらしい。しかしここでは12時過ぎになると自分で操作出来ると言っていた。自分で運転出来れば問題は無いが。

  それでも、平屋の家に比べると、団地や高層ビルの家はずっと住みやすい様に思える。従来の平屋で有ると、トイレは外の共同トイレであるし、水道は家の中にあるが下水は室内に無いらしい。暖房は練炭である。だから冬は練炭滓が大量に捨てられていて、あまりきれいとは言えない状態になる。北京の郊外にある平屋はこの様である。

  中国の新築の家の内装は、買主が金を掛けてやるものである。だから金がある人とそうでない人の、内装は変ってくる。床には木を張ったり、ビニタイルみたいなものを張ったりしてある。しかし金が無くて内装が出来ない人は、コンクリートの打ちっぱなしのままである。中には大理石を張ってある家も見た。

  中国の家には玄関が無く、ドアを開くといきなりリビングなので、靴を脱ぐ所がない。これは日本的習慣からするととても不便である。中国では伝統的に土足で家に入っていたせいか、いまでも人が室内に土足で入って来ることがある。床が張ってあってもである。水道の工事などを頼むと、どかどかと土足で入ってきてしまう。これはも日本人からみると、気になることである。

  ほかにも水道やガスの検針の際にも土足で入ってくる。水道やガスのメーターは室内にあるからである。水道、ガス、下水、暖房の配管は、全て天井から床に付き抜けているから、メーターの部分を室外に引き出せないのである。唯一室外にメーターがあるのは電気だけである。電気の線を外に引き出すのは簡単だかららしい。

  幸いなことに、我が家には水道の検針がやってこない。電気のメーターは室外にあるが、検針はしていない様である。どうも電気も水道の費用も管理費の中に一定の額が含まれていているらしい。つまり検針をするなどの細かい管理は面倒であるらしく、おおらかなのである。と言うことは幾ら使っても費用は一定ということらしい。しかし部屋を使用していなくても水道代は取られる?  ガスの検針のことはプロパンを使っているのでよくわからないが、もしかして検針が無いのかも。

  中国では急速に資本主義化した結果、やたらに広告がべたべた張ってある。中には何だか解からない広告もあった。歩道の人が歩く部分や、バス停の行き先案内板に、名刺ニ枚分くらいの紙がベッタリと張りつけてあった。書かれている事は"収薬"という文字と、電話番号だけである。バス停の行き先が読めなくなってもお構いなしである。歩道の足元の広告はよく目立ち効果的である。団地の階段にも同じ様に足元にベタッと広告の紙が張りつけてあった。

  この"収薬"と言うのは、何の広告かと思ったら、どうも病院で貰った薬を買い取る商売らしい。病院の方も"実名制"を採用しているというところがあった。ということは"実名"ではなくて病院にかかる人がいるらしい。多分保険に入っている人の名前を騙って沢山薬を貰ってきて、売り払う人がるらしい。いろいろな商売があるものである。