住んでいる所・大興黄村鎮
(3月11日)

  住んでいる所は、大興といって、北京の中心部から20k位の所である。私は大興市であると聞いたように思っていたが、市ではなくて只の大興であるらしい。大興は大興県の意味と、只の大興と言う狭い意味の地名がある。千葉県の千葉市という言い方と同じである。ところが千葉市に相当する部分は、本当は黄村鎮と言うのが正しいらしい。つまり私の住んでいるところは大興県黄村鎮である。かなり農村のような名前である。大興県の中には、14の鎮があり、その1つである黄村鎮が県の県庁所在地であるので、黄村鎮が大興と呼ばれている所以であるらしい。県と言っても日本の県と比べると、面積も人口もずっと少ない、人口は55万人位。

  大興県は田舎であって大部分は農村である。しかし地名の上では北京市大興県黄村鎮となっていて、北京市の管轄である。農村部ではあるが、県の中心部である黄村鎮には開発区もあり、北京に勤める人のベットタウンのような役割を持つ場所になってきた。開発区や北京に勤める人のための住宅が次々と造られている。その大部分が6階建て(エレベーターを設置しなくてもよい、最高の高さ)で一区画が20、30棟の団地があちこちに造られている。日本と違うのはその団地が完全に塀で囲われていることである。入り口は一つ又は二つしかない。そして入り口に、守衛さんみたいな警官みたいな人物がいる。何故居るのかも良く分からない。出入りは自由でチェックがある訳ではない。

  その脇には、以前からの平屋の部落みたいな住宅が固まって建っている。その建て方は中国の古くからの建て方と同じで、四方を完全に塀で囲って住んでいる。入り口は一つでだけで、中の様子は分からないようになっている。塀といっても日本の塀と違って、一部は建物の壁が塀になっている。そして隣の壁に密着して建物を建てるので、どこまでが一軒の家なのか定かではない。自分の家の隣に家があれば、その壁を自分の家の塀として利用しているらしい。その為、隣の人との境の壁には窓を造らないらしい。窓は中庭だけに向かって開いている。典型的な閉鎖的中国式建物である。

  中庭を持つ一つの囲いの中には、一つの家族だけが住んでいるのか、または数家族が共同で住んでいるのかは、定かではない。表に面した長屋門に相当する部分には、別の人が住んでいて商売などをしている場合もあった。別の家では一家族だけが住んでいるように見えた所もあった。トイレは外にある共同トイレである。本当はこのあたりに住んでいる人と仲良くなって、中庭の中がどうなっているのか見せてもらいたいのだが、難しいかもしれない。

  北京の四合院の建て方と似ているが、北京の四合院では、その中に数家族が住みつき、中庭には雑多な建物が建て増しされていて、中庭など無くなっていた。北京でも同じように、トイレは外の共同トイレであった。

  大興県の大部分は農村であって、大部分は農民が住んでいるところである。黄村鎮は又は大興は、北京市大興県黄村鎮となっていて、北京市の一部ではある。しかし戸籍の面からは、多くの人が憧れる北京の都市戸籍ではなくて、多分農村戸籍であると思う。中国では戸籍の移動は殆ど不可能なので、北京市の都市戸籍は貴重な価値がある。戸籍の移動が難しいと言っても、金を払えば何とかなる人も居るらしい。この話しは又別の機会に。