湘西の旅で見たこと
(10月31日)

旅行した場所の地図

  河北省の大平原と湖北省の水牛

湖南省の西に方に行くのに、昼の一時に汽車で出発して、その日の昼間は、一日中河北省を走った。この辺りは大平原で、果てしなく続くトウモロコシ畑であった。行けども行けどもトウモロコシ畑で他の作物はほとんど無かった。家はあまり見えない。どこかに固まっているようである。この辺りの家はレンガ造りで、一階建てで屋根が平らである。その平らな屋根の上にトウモロコシが干してあったりする。川はあまり見えない。あっても干上がったような川だった。この辺りはほんとに広い大平原であった。乾いていて、いかにも中国の大地と言ったような風景だった。

  一夜明けると風景はがらりと変わり、稲作地帯に入っていた。打って変わってこの辺りの作物は米ばかりである。河南省を通り越して、湖北省に入ったのかもしれない。家の形も屋根が平らでなく、傾斜があって瓦を持つ屋根が多くなった。家の壁は白く二階建てが多い。家がある位置も固まっていなくてバラバラに散在していた。湖北省の家が固まっていないのは、河北省より、昔から治安が良かったせいなのかなどと考えた。だんだん起伏も多くなり川も見えるようになった、今まで見えなかった水牛の姿も見えるようになった。稲を刈り取った後の田んぼの黄色っぽい風景は、何か見慣れたような風景であった。水牛が見えるようになるのは、湖北省からだったと思うが、湖南省からだったかもしれない。


  小さい人の村があった事


  湘西に吉首と言う少し大きな街がある。そこから、観光化された苗族の部落を見に行った。目的地の部落に着く前に別の部落があって、そこで偶然にも市が開かれていた。売っているものは野菜や、靴や衣類をチョッと並べただけの市で、住民相手の市で、観光客の向けのものではない。そこをタクシーで通ったのだが、市で売っている人も、買い物する人も、皆、背が小さいのである。150センチ以下だったろうか。着ているものから少数民族と分かるが、苗族であったかもしれない。地名を見ると矮寨と書かれていた。この言葉は小さい人の村と言う意味らしい。目的地の観光化されたの村の方の人は、普通の背の高さであった。矮寨の村の人だけが背が低いらしい。顔も他の部落の人と違って、ちょっと違った顔つきをしているようでもあった。その市場の光景を観光の帰りに写真に撮ろうと思っていたら、帰りにはもう市がなくなっていて、人影の無い一本の道があるだけだった。何だか行きに見た光景が、幻のように思えた。しかし矮寨という村は地図にも載っていて、幻の村ではない。通過しただけの村であったが、不思議な村だった。吉首市から北西に行ったところに、小人の村は「矮寨鎮」として地図に正式に載っているのである。


  汽車の中で子供に小便をさせるのを見た事

  吉首から猛洞河という駅まで、ローカル列車に乗った。ここは単線らしく、すれ違う列車をやり過ごすために、のんびりと汽車が止まるような、そんな列車であった。乗っている人もあまり多くなく、この地方の人だけが利用するような列車だった。私は4人分の席を一人で占有して座っていたが、通路をはさんで反対側に、若い子供ずれの女性が乗ってきた。子供は一歳位の女の子だった。子供がむずかりだすとおっぱいを飲ませていたが、おっぱいを飲ませてから暫くすると、汽車の通路で、オシッコをさせるのである。その小便が私の方に流れて来やしないかと心配であった。お母さんはうまい具合に子供を足の間にはさんで、オシッコをさせていた。女の子は可愛い子であったので、写真でも撮って送ってあげようかとも思ったのだが、この光景を二回も見てしまったので、写真を撮る気も無くなってしまった。

子供にオムツを着けないのは、何もこの地方のことだけではなくて、北京でも同じである。バスの座席が時々湿っていたりするのも、そのせいかも知れない。しかし普通は、オシッコをさせるのにタイミングがあるのか、予兆があるのか、オムツをしていないのにも関わらず、小便をもらしてしまうことはあまり無い。この汽車の中でもお母さんが、ねずみの鳴き声のような声を出すと、タイミングよくオシッコが出てきた。

  汽車の中で写真を撮ってあげたのは、北京から吉首までの汽車の中のことで、26時間もの長旅の時であったから、暇つぶしのためにも、汽車の中で知り合った二つの家族の写真を撮って、写真を送ってあげた。

  外でしゃがみ込んで食事をする人々

  鳳凰の町を歩いていてよく目に付いたことは、食事をするのに、家の入り口とか、外で立ったままで食事したり、入り口の敷居に腰掛けたり、しゃがんでご飯を食べている人が多かったことである。茶碗一つだけと箸を持って食べていた。茶碗の中にはご飯に一種類だけのおかずが載せてあるのだと思う。私が朝早く町に出たり、裏の道まで行ったせいで目に付いたのかもしれないが、道に出て歩きながら食べている人も多かった。

  このような状態で食事するということは、目の前にテーブルが無いということだから、いろいろなおかずが食べられないし、家族で一緒に食事するということも出来ないのではなかろうか。それに食事は一人で食事しているようで、家族がばらばらに、気が向いたときに、ご飯を茶碗に盛って外に出てくるような感じであった。食事の時間も決まっていないような様子であった。この辺りでは、食事のテーブルは無いのだろうか。

  どうもテーブルも無さそうである。そう言えば、イスは有ってもほんとに小さかった。イスがとても小さいのは、中国の南の方ではどこでも見られることである。イスの高さは、背もたれを入れても膝位の高さしかない。我々の常識からすると、おもちゃのようなイスは使いづらいし、道端まで出てご飯を食べたのでは落ち着かないのではと思うのだが。しかしここの人たちは、食事に対する考え方が何か我々と違いがあるのかもしれない。


  鳳凰の町は古くから文化人などが出ている町で、そういった人たちの故居には、立派な木(紅樹と言う木で造られている)のイスと机があった。文化人が出た家と、道でご飯を食べながら歩いている人とは別の階級ででもあるのだろうか。食事の仕方を見ていて、不思議な感じがした。しかし屋外で茶碗を持って、しゃがみこんで食事している人は、他の地方でも見たことがある。

  野外の広告

   汽車での湖南省までの旅行は、時間がタップリあったので、窓から外を眺めていた。家の壁に商品の広告が書かれていた。野外の広告と言ってもほとんどが、家の壁とか塀を利用したものが多かった。以前の中国では、その家の壁に政治的スローガンが多くて、商品の宣伝などは無かったのだから、これを見ても中国の変化が良く分かる。そして、商品の広告であるから、以前よりは多少きれいに書かれるようになった。以前の政治的スローガンは汚かった。

  しかし湖南省の山の中まで来ると、商品の広告が少なくなって、教育的、啓蒙的な広告が多くなる。例えば、電話会社の広告で、“光ファイバー線には銅もアルミも無い! 盗むと牢屋に座ることになる!”と言った広告がとても多かった。以前の電線は銅で出来ていたから盗む人が多かったのかもしれない。いや今でも全てが光ファイバーになったわけでも無いだろうから、きっと電線を盗む盗人がいるに違いない。そのための啓蒙的広告だろう。この辺りで見られる“子供は少なく生んで、優秀に育てよう”なんて広告は、中国的ならではの広告である。


   電線や通信関係の設備を盗むのは何も田舎のことばかりではないようで、北京のテレビでも有線放送の分配器を盗むなと言うキャンペーンをやっていた。