湘西はどんなところか
(10月27日)


旅行した場所の地図

今度の10月のゴールデンウイーク(中国には一年に三回もゴールデンウイークがある)に旅行したのだが、旅行した“湘西”とは どんなところか説明しなければならないだろう。ここについて知っている日本人は少いし、 北京人でも、湘西と言っても知らない人が多い。“湘”とは湖南省のことで、湘江と言う河が湖南省を貫いて洞庭湖に流れ込んでいるので、 湖南省の略称として“湘”と称された。その西の方に“湘西”がある。西と言うより、西北の方を指すようである。日本の湘南と言う言葉に 特別の響きがある様に、“湘西”にも特別の響きがある。日本には湘北が無いように、湖南省にも湘東が無い(多分無いと思う)。

  では“湘西”がどんな響きかを持つかと言うと、日本語で言うと“蝦夷地”とでも言った響きになるのではなかろうか。何故かと言うと、 このあたりは、漢族から見ると、かっては蛮族が住んでいた地だからである。このあたりには武陵源と言う山地が広がっているが、 そこに住んでいた蛮族を武陵蛮と呼んでいた。汽車の中で知り合ったこの地方出身のおじいさんの話によると、窓から見える辺りの県の名前は、 反乱を鎮圧して、安定したので安定県と名前が付いたのだとか言っていた。このあたりは地殻変動により隆起した石灰岩層が、長い時間を かけて水に侵食され、すばらしい景観を生み出している。その一つが張家界である。1992年年にユネスコの世界遺産に登録されている。

  今回行ったところは張家界より、もっと南の地方であるが、そこも辺り一帯は石灰岩の地層らしく、カルスト状の台地も見えた。 この下には多分鍾乳洞が多いのではと思えるような地形が多かった。貴州省と隣り合っているところである。 そしてこのあたりは山の中なのである。険しい山もある。山の間に清流が流れていたりする。大きな河もある。住民は少数民族が多くて、苗族、土家族が沢山住んでいる。北京からまず吉首という所までいって、 少数民族の家が点々とある山の中を、乗合ミニバスで進んでいくと、漢族が作った鳳凰という古い街があった。

  その街は何故か江南の水郷(上海の南の方)の家の作り方も似ていた。家が木で出来ているのである。少数民族の家も木で出来ているが、この鳳凰の町も多くの家が木で出来ていて、江南の水郷の古鎮もまた木の家が多かった。漢民族の家はレンガの家が多い。そして水郷の町と同じく町の周りに水があった。鳳凰の町の側を流れる河は沱江と言ってきれいな清流なのである。 江南の水郷の古鎮と違うところは、鳳凰には古い城壁と城門があることで、その中に古い町がそのまま残っていた。ここはおそらく、昔、この地方の異民族を支配するために作った古城なのだろう。

  何故鳳凰に行ったかと言うと、最近、中国のテレビで、古い城と町が残っていると言うこと紹介されたりしたからである。川底から木の脚を立てて、川辺の家を支えてる光景が名物で、これを吊脚楼と言う。そして川辺では清流での洗濯が、 毎日終日見られた。確かに透き通った清流なのである。町の中には少数民族の衣装を着たおばあさんが沢山いた。やはり辺境の地なのである。

   湖南省の西が辺境であると書くと、反論もあるかもしれないが、この地方を舞台にした、この鳳凰出身の有名な作家が書いた小説で、辺城と言う小説がある。だから辺境なのである。 この旅行では吉首で辺城賓館と言うホテルにも泊った。いずれにしろ中国の漢民族の文化圏から見れば辺境である。

  鳳凰からもっと奥にも黄絲橋古城と言う古い城壁を持つ町があった。町は完全に城壁で囲まれていた。貴州省に近いところである。入場料を払って城壁の上に上がると、 若いガイドさんが説明してくれた。分ったような顔をして聞いていたが、あまり聞き取れなかった。このあたりは方言がすごいのであるが、説明は標準語であって、 分らなかったのは私の責任である。多分、この城も少数民族の鎮圧のために設けられものであろう。そう言えば、ここに来る前に、南方長城と言うのが復元されていた。

  いわゆる長城と言うのは、北方の異民族に備えて作ったものであるが、南方の異民族に対しても、長城を作っていたのである。ここでは異民族の侵入と言うより異民族の反乱を鎮圧する為に作ったようである。 異民族とは今でもこのあたりにたくさん居る、苗族とか土家族ではなかろうか。南方長城については中国自体に記録が少なくて、最近になってその存在が明らかになり、復元されたもので、 それまではわずかに土手のようなものが残っていただけらしい。昔、このあたりで大規模な反乱があったり、匪賊のようなものが跋扈していた時代があったのだが、 それは明の時代なのか清の時代なのか。とにかくこのあたりのことに付いて書いたものは少ないらしい。 異民族の侵入は歴史物語として、書いて置きたい事かもしれないが、反乱となると書きたくないことなのかもしれない。

  他に行ったところは、苗族が住む苗寨や芙蓉鎮、時間が余ったので張家界にも行った。芙蓉鎮に付いては別の稿で書くことにする。