潘家園の骨董市場
(9月24日)


  北京の西の方に、潘家園と言う大きな骨董市場がある。ここまで行くのに、北京郊外の私の家からは、バスを二本も乗りついで行くので、二時間近くかかる。しかし、土曜日、日曜日は暇なものだから、最近はよくここへ行く。最近家にあるノートパソコンが壊れてしまって、暇を持て余してしまったことも出かける理由の一つであったが、私はこういうものを見るのが好きだし、買うことも好きだからである。
  
  
ここは相当大きな市場で、隅から隅まで丹念に見ていくと半日以上かかる。古い陶器、民具、植民地があった時代のポスターとか、古文書チベットの文物、古い家具、画、字が書かれた掛け軸古いお金、中国人が好きな玉で出来た玉器、仏像、少数民族の衣装。そして墓から掘り出してきたばかりのように土がこびり付いている土偶、おどろおどろしいのは、チベットのもので、人の頭骨で作った仏具のようなものも有る。歓喜仏(男女の仏が交接している仏像)なんてのもある。チベットの小さい仏像でちぎれて首だけのものも売っていた。これは結構高かったが、文化大革命の時の大破壊にあった時の物だろうか。文化大革命と言えば、毛沢東バッチもある。そして何に使うかも分からないようなガラクタの数々

ここは、雑多な物が並んでだけの市場ではなくて、れっきとした観光地なのである。ここが観光地であることは、外国人が多いことでも分かる。外人と言っても日本人は少ない。どうも白人系の国のガイドブックにはよく紹介されているが、日本のガイドブックでは、あまり大きく取り上げられていないせいかもしれない。そして意外に外国語でも、英語の割合が少ないような気もする。売り子には英語を話す人もいる。もっとも道端にガラクタを並べている売り手は、とても外国語を話すようには見えない。外国語が出来なくても電卓をたたいて値段のやり取りをしている。

買うときは必ず言い値の半分以下で買うようにしなければ損をするが、そうは言っても、中には初めから値引きしない、安い値段を言うところも有る。欲しい物がある時は、数箇所で値段を聞いて予備知識を得ておく必要がある。しかし値段を聞くと、売り手の方は幾らなら買うかなどとしつっこい。それで、値段を交渉している脇で、値段の落ち着くところを、聞き耳を立て聞いてみたり、外人と交渉している時は、使っている電卓を覗いたりして、値段の見当を付ける。

ある時、外人の夫婦が例によって電卓で、欄間の透かし彫りのような物の値段の交渉をしていたが、その外人が言う値段までにはならなかったので、結局買わなかった。私はそれを見ていて、値引きの限度がよく分ったので、売値の最低限と思われる値段で、それを買うことができた。これを見ていた外人の奥さんの方は、うまい買い物をしたわねとでも言うように、私の方を見てニッコリした。こお言う場合外人は愛想がいい。どこの国の外人も愛想が良い訳ではないと思うが、うまい買い物をしたわねと言うようにニッコリされた経験は、もう一度あった。その奥さんは、旦那の方の値引き交渉にうんざりした様子であったが、私が適当と思われる値段であっさりと買ってしまったので、旦那の方の交渉の仕方と比べて、賢明な買い方だと言う意味でニッコリとしたのかもしれない。

私がよく買う物は、この、欄間からはずしてきたような透かし彫りの彫り物や、古い皿、皮で覆った小さい箱などである。小さい皮の箱はきれいな絵が画かれていて、昔の深窓の令嬢が使った小物入れらしい。皿は、古くて大きくて、飾りになるような物を今までに二枚買った。一つは宋代の物と言う皿で、300元と言うのを80元にして買った。一体、宋代の古い皿が80元(1、400円位)で買える物なのかどうか分からないが、本当は偽物かもしれない。もう一つもっと大きな皿で、藍と黄色で画が描かれていて、端が少し欠けている皿を50元(750円位)で買った。これを飾ってみると結構見栄えがした。何時の時代の物か聞かなかったが、聞けば清代と答えたかもしれない。とにかく偽物であってもデザインが気にいった物ならば、騙されたとしても気にならない。

しかし、偽物なのか、ほんとに墓から掘り出してきた本物の皿なのか、分からないような物はたくさんある。いかにも古い遺跡から掘り出してきたとでも言うように、脇に陶器の破片を並べているところもある。中国では古い墓の盗掘事件が時々新聞に載ることがあるので、本物の掘り出し物もあるような気がする。唐三彩の小さな土偶は、表面の彩色が風化によって少し剥げかかっていた。偽物だとすると、剥げ具合をここまで精巧に真似られるものだろうか、それとも間違いのない唐三彩の土偶なのだろうか。

もっとも怪しげなのは、陶器を見ていると、後ろから擦り寄ってきて、囁きかかける売人である。小さい声で秘密めかして言うには、○○時代の××の物があるのだが見にこないかとか、持ってくるが買わないと言う。本当に良い物を買うつもりならば、○○時代の××位は知っておかなければならない。××は有名な官営の青磁の窯元なんだそうである。本当は見てみてみたいのだが、見た後に買わないで逃れるのが大変だから見ない事にしている。この手の人物が擦り寄ってくる度合いは、服装によって違う様に思う。真夏の暑いときの私の服装は、出っ張った腹に半ズボンを履いて出かけたので、山下清画伯状態であった。この服装ではあまり擦り寄ってこなかったが、白いズボンを履いて行った時は、金持ちに見えたせいか、何人もが寄って来た。

  人の心を見透かしたように、言葉巧みに売りつける売り子もいる。欄間に使った古い透かし彫りのような物を見ていたら、旦那はさすがにお目が高い、これは彫りが深くて良い物なんですよと言う。私も確かに厚い木が使ってあって、彫りが深いと思っていたところであったのである。次に行った時も、老爺、これは紅木を使ってあって、技術が精巧なんですよと言う。そのときも、それが一番彫りが精巧で、良い木が使ってあるなと思っていたところなので、私の目の付け所も満更でもないな、と思わされて買わされることになる。しかし値段の交渉では、言い値で買わされない様にしなければならない。落しどころと見当を付けた値段を言い、その値段にしなければ買わないと言いつつ、そこを立ち去る。そうすると売り手は仕方ないと言う風に、その値段で売ると言って追ってくる。そこでその値段で買うことにする。

  交渉の仕方はこの通りであるが、中国語がこれほどすらすらと分かるわけではない。しかし多分このように言っているのだと思う。“老爺”と呼びかけられたが、日本ではお爺さんと言われると気を悪くする人がいるかもしれないが、こちらでは尊称である。本当は“老爺”と呼ばれる歳ではないと思っているのであるが。 買ってきた欄間の透かし彫りのような物は拭くと綺麗になって、飾ってみると結構見栄えがする。しかし売っているときは埃まみれである。日本ならばこれを売るとき、綺麗にしてから売るのではないかと思うが、中国では埃だらけのままで売っている。これを丹念に拭いて綺麗にして、額のような物に入れて飾ったらきっと綺麗な飾り物になるに違いない。しかしその額を日本で買うとすると、額の方がずっと高くなってしまう。潘家園の骨董市場で買った透かし彫りの彫り物は、一枚、1000円くらいの物なのである。しかし安いからと言って買いすぎると、家が古道具屋のようになってしまうから、気を付けなけなければならない。