靴が盗まれた訳
(7月17日)


  古い靴を盗まれてしまった。何故靴を盗られたのか説明が必要だろう。古い靴が盗まれるなど、あまり日本では起こりえな事なのだから。

  盗られたのは私の靴ではなく会社の若者の靴であった。靴を私の部屋のドアの外に置いておいたのである。もともと中国の家には玄関が無い。靴を脱ぐ場所が無い。ドアを開けるといきなり部屋になる。そして普通は土足のままで家に入る。床が木で出来ている家などでは、入り口で靴を脱いで、部屋の中に靴を持ち込む。私の住んでいる家では日本式に、土足厳禁なので靴を脱がせる事にしている。この日は会社の若者が、何回か家を出たり入ったりしていて、靴を家の中に取り込まなかった。

  それにしても、履き古した靴など誰が盗っていったのだろうか。しかも私の部屋は6階建ての5階で、階段の入り口は1階に一つしか無いのである。わざわざ狭い階段を登って盗みに来たのだろうか。それとも通りがかりに盗んで行ったのだろうか。通りがかりと言っても、上には6階の住人が居るだけだし、ここまで登ってくる外部の人などは殆ど居ないはずである。この日は水運びの人が来るには来たのだが。

  何故会社の若者が私の家に来たか、何故水運びの人が来たのか、に付いても説明が必要であろう。会社の若者に来て貰った理由は、飲料水の装置の買物を手伝って貰って、電気工事の手伝いもしてもらったからである。最初に何故飲料水の装置が必要であるかに付いて説明を始めよう。中国では飲み水が相当に悪い。

  私の住んでいる所の水は、勿論生水は飲めないから沸かして飲む。しかし湧かして飲むともっと気持ちが悪い。水を沸かして冷ますと、何かもやもやしたものが下に沈殿する。煮物をする時もこの水を使うから、このもやもやしたものが、口に入るかと思うと気持ちが悪い。この水は石鹸で手を洗った後でも、手に皮膜が出来るような感じで、手がさらっとしない。それにここではお湯を沸かすのも不便なのである。ベランダにガスコンロがあるから、お湯を湧かすのにもドアを一枚明けなければならない。何故こうなるかと言うと、台所が狭くておまけにガスの排気口が無いから、台所にガスコンロを置けない。それでベランダにガスコンロを置くことになる。多くの家がこのような構造で、ベランダを部屋の様に改造してしまう。これによってアパートの外観はかなり酷いことになっている。そんな状態なので、お湯を湧かすのも面倒なのである。日本の同じような広さの家と比べてるとかなり使い難い。

  中国の水の話であるが、中国では水が悪いから、生で飲める水の販売が繁盛している。水をボトルで売るのであるが、ボトルと言っても19リットル入りの大きいものである。ボトルが大きいから水を取り出すには、特別の装置が必要である。そしてその装置は、加熱が出来て、お湯が飲めるようになっている。これがあればきっと便利だろうと思って、給水器みたいなものを買う気になった。

  給水器には電源が必要なのであるが、普通、電源とはコンセントに差し込めばいいはずである。ところが中国のコンセントと言うのが又問題であって、世界各国のコンセントが全部揃っていると言ってもいいほど入り乱れている。給水器を買っても、壁にあるコンセントに合わない事は分かっていたから、電気工事屋を頼むことにした。そしてその工事屋なのであるが、これが専門の工事屋ではなく、工事の途中で、工具が足らないとか材料が足らないなんて必ず言い出すに決まっているから、会社の若者には、工事の助士としても来て貰った。この辺りでは、正規の電気工事屋なんて居ない。もっともこの若者には、給水器を運んで貰ったり、通訳もして貰った。スーパーでは給水器を買っても運んでくれない。そして私の中国語は、通訳が居た方が、すっと安心できる程度のものである。

  本物ではない電気工事屋には、ついでに他の壊れている所を直してもらったが、案の定硬いコンクリートに、スイッチを固定できなくて、ビニールテープでべたべた張って固定していた。もともと中国のレンガやコンクリートの壁の工事には、特別の工具が必要であって、それが無くては絵も掛けられないのである。

  どうにか電源の工事も済んで、早速水売り屋に水を届けてもらった。これでコーヒーもお茶も手軽に安心して飲めるようになった。水の値段は届けて貰って19リットル150円位でとても安い。水は5階まで届けて貰うのでなければ、とても水を買う気になどならない。エレベーターが無いから、今の真夏では五階の自分の部屋まで、たどり着くだけで汗ビッショリになる。

  このようにして随分便利になったのだが、さて工事が終わってドアを開けてみると、履き古した靴が無くなっていた。一方工事のおじさんの中国式布靴の方は盗られていなかった。まさか水を運んできた若者ではないと思うが、誰に盗られたのか分からないのは、何だか気持ちが悪い。靴を盗っていってどうするつもりなんだろう。自分で履くのだろうか。その場合自分の足のサイズに合わせてみたのだろうか。それともどこかで売るのだろうか。売るところがあるのだろうか。そうではなくて、盗れる物ならとりあえず盗っていくのが中国の日常なんだろうか。やはり中国はうっかりしてはいられない所のようである。

  安心できないと言えば、これから買うことにした水についても全面的には安心できない。中国は偽物が多い世界であるから、簡単な装置で製造できる飲料水など、最も偽物を造り易い。実際に水道水を詰めただけのミネラルウォーターの話は、テレビのニュースで見たことがある。だからと言って、買おうとしている水が本物かどうかを確認するすべはない。多分本物だと思って飲んでいる。