頭の良くなる薬が売れる季節がやってきた
(6月25日)


  教育の話しあれこれである。今は6月。中国の大学の入学試験は7月7日からであるから、受験勉強の追い込みの時期である。それでまた頭の良くなる薬が売れる季節がめぐって来た。こういった薬は明らかに季節性があるらしく、春先から売れ出すのだとか。受験生の為である。頭の良くなる"薬"と言っては正確ではないかもしれない。正確には保健薬と言うものらしい。しかし薬屋で普通の薬の様に売っている。効果は、記憶力を高めるのは勿論のこと、頭の疲労を取るとか、頭をすっきりさせるとか、よく眠れるとかである。この薬を買って飲ませるのは、どうも受験生の親が飲ませるらしい。一人っ子をいい大学に入学させる為には、親も必死のようである。そしてこう言った薬は補薬とも言われるが、補薬の補は補うと言う意味のはずである。何か足らない物がある人には確かに効くかもしれない。しかし誰にでも効く薬って有るのだろうか。中国では誰にでも効く薬があると信じられている。その証拠に中国では保健薬のようなものをプレゼントしたりされたりする。そうでなければ、やたらに保健薬などプレゼントするはずがない。日本人なら朝鮮人参入りの薬をプレゼントされても、喜ぶ人はそう多くないと思うのであるが。とにかく親は、誰にでも効くと信じている頭の良くなる薬を飲ませてでも、子供をいい大学に入れたいと言うことであろう。

  今北京では、あちこちで公共事業や、大きなビルの工事が盛んである。夜も工事をやる所もあるので、近くの住民にとっては煩くて悩みの種らしい。この騒音の苦情が春から夏にかけて多くなる。これは窓を開ける季節と関係があるかもしれないが、それだけではない。受験勉強が出来ないと言うことで、苦情が多くなるらしい。新聞には"工事の騒音で受験生が勉強できない"という見出しがよく使われる。どうも"受験生が"と言う言い方は、"病人が"とか"妊婦が"と言う言葉より、世間に訴える力が強い言葉の様に思える。工事の騒音をやめさせる為には、効き目がある言葉なのかもしれない。一方親の方も子供が受験勉強ができないともなると、居ても立っても居られない気持ちになるのだろう。

  中国にも浪人生が居る。いや浪人とは言わないで、高校生と言うらしい。なぜなら高校を出ても、希望の大学に入れなかった人は、また高校に戻って勉強するからである。中国には予備校が無いから、予備校生とは言わない。高校生なら何年生かと聞いてみたら、復習生とか言っていた。北京あたりでは浪人から大学に入る人は、2,30%もいるらしい。それだけ経済的にも余裕があると言うことだろう。しかしこれはあくまで都市部の話であって、農村部では別である。復習生として高校に戻って勉強を続けるためには、かなりのお金を取られるらしい。

  一時新聞で、小学校の乱收費が問題になった。乱收費とはみだりに費用を徴収すると言うことであるが、小学校でも様々な名目を付けて費用を徴収するらしく、それが新聞で問題になった。その後の通達などで乱收費が無くなったかと言うと、そうではないらしい。今年の9月(中国では9月が新学期)に小学校に入る子供を持っている人の話では、ある小学校に入れる為に、24,000元(36万円位)も金を払ったのだとか。どうもこれは入学金ではなくて、6年間の学費の前払いらしい。そしておかしな事には、36万円もの6年間の学費の前払いをしたことは、絶対に秘密にするように契約をしたのだとか。この小学校はある大学の付属の学校であるから、普通の小学校と管轄も違うようである。しかし同じ公立の学校だからやはり乱收費が問題になるのだろう。それで秘密の契約となるらしい。そのお金は、乱れたお金なのだろうか、裏金なのだろうか。やはりは怪しいお金の様に思える。いい学校に入れたいと考えている親の弱みに付けこんで、お金を取っているのではとも思える。24,000元ともなると、平均給与の一年分にもなる。もっとも中国では平均給与と言っても貧富の差が激しいからあまり意味は無いけれども。

  一方、最近は高いお金が必要な私立の学校も出来てきた。これは俗称で貴族学校とも呼ばれている。普通全寮制である。これは中学校かららしい。私の家の近く(かなり郊外)にも豪華な建物の貴族学校がある。ここには運動場があるが、あまり運動をしているのを見たことがない。はっきりは分からないけれど、一般に小中学校、高校でのスポーツの教育は、見たところあまり盛んではないようである。大学でもクラブでのスポーツは日本ほど盛んではないらしい。やはりスポーツの教育までの余裕が無いと言うことであろうか。

  これとは対照的に、地方にはとても貧しいが学校がたくさんある。テレビのドキュメンタリーでやっていたが、貴州省の農村の小学校の話であった。貴州省は貧しいので有名な省である。200名が勉強している小学校で、この地区では6年生までがそろっている唯一の学校だとか。そこで幼い子がぎゅうぎゅう詰めで勉強している。そこの建物は古くて危険な個所もあるのだとか。一部の教室には電気もない。驚くとことに先生のまともな住宅も無い。学校の脇の狭い部屋に住んでいるのだとか。なぜか学校の隅に小学生も数人で住み着いる。何にも無く、ただ雨風が防げるというだけの部屋である。この様子だと中学校などは無いらしい。

  一昨年、日本で封切られた中国の映画であるが「あの子を捜して」と「初恋の来た道」というのがあった。いずれも農村の小学校を舞台にした映画であったが、あの映画を見ていただけると分かると思うが、あのとおりの貧しい小学校が今でもである。「初恋の来た道」の映画では、文化大革命頃に作られてた小学校が、最後に建て替えられると言うエピソードがあったが、今回見たドキュメンタリーでは、未だに古い危険な校舎を使っていると言うものであった。

  話は変わるが「初恋の来た道」は、情緒的な映画で画像も綺麗である。最後には涙が出てしまうような映画でもある。しかし本当は中国の教育制度の貧しさや、文化大革命の時の矛盾も、訴えた映画でもあるように思える。

  ドキュメンタリーの中では、司会者が可愛いくて利発そうな小さい女の子に、インタービューをしていた。あなたは、ほかの子供が持っている色鉛筆をどうして持っていないのと聞く。欲しくないのかとも直裁に聞く。子供は欲しいが家が貧しいからと答える。司会者は、親に買って欲しいと言えないのかと追い討ちをかける。司会者は教育の現状が貧しいことを強調するために、分かっていることをわざと言わせる。子供に、安くても買えない色鉛筆の値段を言わせていた。そして最後には涙を見せるパターン。テレビの司会者は、改革開放されてから20年経っても、まだこのような所があるとか、教育を受ける権利があるはずであると言っていた。しかしこのテレビの主旨は、政府や行政を追求すると言うより、助け合わなければならないとことであるらしかった。

  6月1日は中国の子供の日だった。テレビでいろいろな行事が放映されたが、都会の子供が、貧しい農村や少数民族の子供達に、お金を寄付するという映像が沢山あった。中国にはお金を恵む子供もいるし、恵まれる子供もいると言うことだろう。とにかく教育の格差は凄いの一語に尽きる。この問題を解決するには政府の予算と言うよりは助け合い制度というとことらしい。助け合いの為には情緒に訴える画像が必要であって、涙が欠かせない。助けられて涙を流す場面がどうしても必要なようである。

  中国の憲法の中に、教育の機会均等という言葉は有るのだろうか。多分無いのだろう。一方では頭の良くなる薬を飲んで、受験勉強をしている子供もいるし、色鉛筆意一本も買えない子供が、大勢いるのも中国の現状である。