龍脊の
(5月23日)

  桂林から南の陽朔へ行ったが、次は反転して北の龍脊の梯田を見に行く計画であった。梯田とは棚田のことである。英語ではライステラスと言う。少数数民族のいるところなので、言葉が通じないのではないかとか、道が悪いのではないかとかの心配もあった。龍脊に行くのに途中でバスを乗り換えなければならず、その乗換えが上手くいくのかなどもチョッと心配であった。まして老妻と一緒なので、トラブルは出来るだけ避けたかった。

  旅行に行く前には出来るだけガイドブックなどで、事前の調査をして、ルートのイメージが出来ていると心配が少ない。バスの切符を買う場所、切符の買い方、泊まるホテルなど、具体的な旅行の方法が分かっていれば安心である。今回、龍脊の棚田に行くにあたって役に立った情報は、桂林に住んでいる人のホームページの情報で、龍脊の棚田に行くには、"和平"と言うところでバスを乗り換えることと、龍脊には泊まる所がある事がわかった。(ガイドブックには書いてない)

  桂林の長距離バスの発着所で、"和平"行きの切符を買ったのであるが、切符は3時間も後のキップしか買えなかった。食事を先にしたので、その間に早いキップが売れてしまったのかもしれない。どこでもキップは早めに買うべきである。これはチョッと失敗。バスに乗ってから和平で降ろして貰えるように、車掌さん頼んでから、和平にタクシーがあるかどうか聞いてみた。タクシーの方が便利であったからである。どうもタクシーは在るらしいのだが、マイクロバスのチャーターを進められたりして話が上手く通じない。そこで高校生くらいの女の子が通訳してくれて、もしタクシーが無ければ、龍勝まで行って、龍脊まで戻ればいいと教えてもらえた。通訳と言っても日本語の通訳ではなく、方言を普通語に直す中国語の通訳である。この女の子も観光の旅行者らしかった。今回の旅行は辺鄙なところかと思ったのだが、結構観光客がいて、このローカルバスにも白人の外人が何人か乗っていた。

  和平にはタクシーが二台いたので、タクシーに乗れた。タクシーはミニバンのような小さな車だった。ここからの途中の部落は、もう少数民族の部落らしかった。谷底の道から山の斜面をどんどん登ったところに自動車道の終点の駐車所と棚田の入場料の徴収所があった。その先の部落までは人と牛だけが通れる道で、そこから少し登らなければならなかった。ちょっと距離があるらしいので、荷物運びを頼んだ。10元。棚田は山の中腹にあった。高さは海抜880メートルとかで、村と棚田は谷よりは山頂の方に近かった。ここは壮族の村で平和村と言う名前だった。

  インターネットで読んだとおり山小屋みたいな宿が沢山あった。駐車場の所にいた若い女性に誘われてその人の家に行ったのだか、宿の件で妻に文句を言われてしまった。妻には一番良いホテルがいいといつも言われるが、こんな所には一つ星のホテルもないから、ここの宿は山小屋のようで、決して奇麗でないことは前もって言ってあった。その点については異論がなかったが、この宿は眺めが悪いのである。部屋の前に別の宿が建設中で騒がしかった。棚田が見える眺めのいい宿は、やはり山の上の方の宿がいい。上の方の宿が空いているかどうか聞いてみたが、改装中だったり、部屋を借り切るのは難しいかったりで、宿替えは諦めた。

  料金は一ベット25元、ベットが三つある部屋を借り切って一部屋40元。何か計算が合わないような気もするが、とにかく40元。つまり600円くらいで泊まれたのである。どうもここの宿は、基本的にはドミトリー方式で一ベット幾らと言うことらしい。ドミトリー方式でいいところはいろいろな人に会えるところがいい。この宿には外人もいたし、日本語の話せる中国人女性もいた。トイレは一応水洗式。水洗式と言っても浄化槽みたいなものは当然無い。洗濯室と一緒のようないやに広いトイレだった。この村の建物は全て木で作られてる。これは中国では珍しいことで、少数民族ならではの作り方である。やはり木の家は歩くと足の底に響く感じが違う。久しぶりに木の床の上を歩いた。宿の窓にはガラスが使われていたが、普通の農家ではガラス窓などは少なかった。木の家と言っても結構高い。宿の高さは4階くらいあった。

  棚田についてであるが、急な斜面であること、その幅が狭いことなど予想以上に凄かった。山の皺に沿って様々な形の棚田があった。この棚田を奇麗に見るのは上から見ること、そして田に水が入っていることなどが条件であろう。5月1日の頃は全ての田に水がある訳ではなく、全部の田に水が入るのは5月末から6月らしかった。山の中腹であるから水の供給量のこともあるし、田を耕しながらのことなので、かなり時間がかかるらしい。それでも田の半分に以上に水が張られていた。なんでもこの棚田の歴史は相当古く、元の時代からの歴史があるのだとか。

  棚田を上から見るためには大汗を掻いてしまった。最近は太って、山登りなど嫌いなのであるが、ここまで来て棚田を横から見て帰るわけには行かないから、見晴台まで登って上から見て来た。上に登ってみるだけの価値は確かにある。狭い棚田が様々の形で、下の方まで続いていた。田を耕す為に下に下りていく人を見ていたが、目的の田にたどり着くのに相当時間が掛かっていた。高低差は300mもあるのだとか。

  宿の窓からは棚田が見えなかったが、豚がさばかれて、肉の塊になっていくのがよく見えた。朝早くから、窓の下で豚の悲鳴が聞こえるので、何かと思ったら豚を絞めて販売用の肉の塊にしていた。豚を処理するところも、販売する所も同じく窓の下であった。5月1日であったので観光客の料理の為、急遽店開きをしたらしい。