遇龍河の小道
(5月11日)

  桂林からの漓江下りの終点である陽朔に着いた。バスから降りたとたんにガラガラ声のおばさんがうるさく付きまとってきて、あっちの方にいいホテルがあると誘ってきた。行ってみたがあまり良くないホテルなので予定通りのホテルの方に泊まった。翌朝、レストランのオープンテラスで食事をしていると、昨日のおばさんがまた声を掛けてきて、今度はガイドをするから、一緒に行かないかという誘いだった。このおばさんは声も顔も良くないが、顔で勝負していないだけに、却って真面目にいい所を案内してくれるのではと考えて、このおばさんにガイドを頼むことにした。陽朔の更に奥の、小道を観光するなら、絶対にガイドを頼むべきである。ガイド料は一日100元(1500円位)で決して高くないし、小道の地図は無いので、自分で小道を辿るのは難しい。何故小道かと言うと、オート三輪タクシーだけが通れるような小道の両側には、画に描いたような山がにょきにょきと聳えているのである。そして田植え前の水田には、その山の影が映り、小道の先には遇龍河というきれいな河が流れていた。まさに画に描いたような風景が広がっていた。

  レストランのオープンテラスで食事をしていると、と書いたが、陽朔の町は、そお言う言葉が似合う町である。ここは西洋人の客が多く、レストランでは英語で注文を取りに来る。勿論西洋料理が食べられる。例のガラガラ声のガイドのおばさんも一応は英語のガイドである。私と家内にとっては、一人前の、内容が分かる料理の注文ができるのはうれしいことであった。中国料理は量が多く過ぎて、注文の時、料理の内容が解かり難いので何時も困るのだが、陽朔の町ではそんな心配は要らない。メニューは英語で書かれていて、中国語が脇に添えたあった。ここでは朝から生野菜のサラダがバリバリ食べられる(中国料理に生野菜は殆ど無い)し、夜の町の散策、お土産屋を覗くのも楽しめて、陽朔の町はとても居心地のいい町である。特にレストランとかカフェみたいな店が西洋風でいい。陽朔の町は桂林からの漓江下りの終点の町であるが、ここに泊まる日本人は少ない様であった。

  陽朔の町の周囲にも、絵になるような山が沢山見えるが、更に奥の高田と言う辺りや、遇龍河の辺りは、もっときれいなのである。ガイドのおばさんに、見に行きたい所を伝えて、オート三輪タクシーも頼んだ。この道の探索には普通のタクシーでは道が細くて駄目なのである。サイクリングでもいいのだが、雨の心配もあるし、蒸し暑いし、家内もいるし、でオート三輪タクシーを頼んだ。四月の末は雨季の最後に当たる時期で、晴れると今度は蒸し暑つかった。オート三輪タクシーとはオートバイの横にサイドカー式に座席を付けたものである。その横の座席には二人乗れる。ガイドさんはオートバイの後ろに座って、全部で四人が乗れるオート三輪タクシーである。このタクシーの運転手も又中年のおばさんだった。

  最初に遇龍河の遇龍橋を見に行くことにした。国道から舗装されていない小道に入ると、もうそこはまるで田舎の、そして奇峰の間を縫っていくような道であった。丁度田植えの頃なので、田んぼに水が張られていた。そこにこの辺り特有の山の影が水に映っていた。この風景を見ていると、でこぼこ道の道の悪さも忘れてしまうほどである。暫く走ると遇龍河のほとりに出た。遇龍河の河の名前も、何んとなく由緒ありそうで、優雅な名前にも思える。タップリの水がゆったりと流れていた。まさに一幅の絵のような風景であった。

  おばさんガイドの説明も流暢な英語ではないので、私には適当であった。時々、"クワィアット"とガイドのおばさんの説明があったが、言われるまでもなく静かであった。オートバイを止めるとほんとに静かなる。耕運機の音も、対向車のオートバイも殆ど無い、静かな世界であった。そう言えばこの小道では、観光客に殆ど出会わなかった。このおばさんガイドは、西洋人にも少ない語彙で"クワィアット"と、この静けさを強調しているのかもしれない。"ビューテフル"という言葉は日本語で何と言うのかと聞かれたので、"きれい"だと教えてあげたが、覚えただろうか。

  このルートの最後の目的地は、遇龍河の遇龍橋で、豚と人とが一緒に歩いているような村を通り抜けると、そこにその橋があった。この橋は何百年もの歴史のある古い橋なのだとか。確かに由緒のありそうな橋である。ここからの眺めもなかかなのもので、やはり山と水がタップリ見える世界であった。ここから下流の高田と言う地区まで、竹の筏で下る船があるのだと言っていた。その距離はせいぜい10キロか15キロ位であったが、時間は3時間半も掛かるのだとか。流れの緩やかな河を、動力の無い筏で下るのだから、そのくらいはかかるのかもしれない。この静かな流れの中をきれいな山と水を見ながらゆったりと川を下るのも、魅力的なプランであったが時間が無いので止めにした。確かに竹の筏が有って、船頭らしき人はいたが、観光客はあまりここまでは来ないようであった。この川下りのコースは、漓江下りと違って殆ど観光客が利用しないコースのなので、秘境の部類に属するかもしれない。

  この辺りの観光コースには食堂など無いので、普通の農家で食事をさせるのが売りになっている。それでガイドのおばさんの親戚の家に行って、昼飯を食べることになった。三日月の形をした穴が明いている岩山があり、その山を月亮山と言う。食事の場所は、その山の麓の村の、月亮山村だという事であった。これを英語で言うと"ムーンヒル・ビレッジ"ということになる。ガイドのおばさんが盛んに"ムーンヒル・ビレッジ"というので、その村はどんな優雅な村かと、妻と二人で期待しながらその村に着いたが、牛糞の匂いのする普通の村だった。匂いは牛でなく、水牛のものだったかもしれない。このあたりでは水牛のほうが多い。しかし村の周りには、ここでもこの地方特有の形をした山があちこちに聳えていた。その村も遠くから見れば、奇峰の山すそに一塊になっていて、水墨画の一部のように見えた。

  食事の後、別の小道を回って陽朔へ戻った。このルートでも次々ときれいな風景が表れ、見飽きなかった。ここでもガイドのおばさんが"クワィアット"とこの辺りの静けさを強調していたが、実はその静けさを破るのはガラガラ声のガイドのおばさんと、オートバイの運転士のおばさんのおしゃべりだった。ガイドさんも説明することがなくなったのか、二人で猛烈な勢いでおしゃべりをしだした。全く聞き取れないので、聞いてみると、陽朔の言葉でもなく、二人が住んでいるもっと田舎の言葉だと言っていた。おばさん運転士のほうは中国語の標準語も話せないようであった。

  水のある風景は心が休まる。この辺りの風景は、癒しの風景と言ってもいいかもしれない。しかし水と山と言っても、濁った水と禿山では、癒しにならないと思う。未だ行ったことはないが、三峡下りなどでは、こうもきれいだとは思えないのではないだろうか。この風景は今住んでいる北京あたりの乾いた光景と違って、水がたくさん在り、緑も多く空気にも水分を含んでいた。そおいう意味では日本の田舎とも似ているし、懐かしいような風景であった。