厦門・コロンス島
(1月22日)

 正月の休みを利用して、厦門(アモイ)に行ってきた。厦門は福建省の街で、台湾にも近くて、南の海辺の町だけに相当暖かい。一月であるにも関わらず、最高気温は19度とかで、コートは要らない。夜散歩していても風が心地よかった。寒い北京から来た身には、冬はこんな処に住んでみたと思わせるような、暖かさである。

 厦門は一つの島であるが、そこから離れて更に小さな島がある。それがコロンス島と言われている島で、漢字では鼓浪嶼と書き"グランユイ"と読む。コロンスはこの地方の方言だそうである。以前は外国の租界となっていたところで、今でも外国風(コロニアル風?)の建物が沢山残っている。この島では、自動車やバイクの使用が許されていない。自転車でさえも駄目らしい。馬車の類も無い。わずかに観光客用に、電気自動車(カート?)の使用が許されているのみである。

 コンロス島は中央に日光岩と言われる岩山があり、その岩山が一番高くて100m位の高さである。人口は14,000人位だとか。結構人口が多い。その山の麓まで、町が広がっていて坂が多い。荷物を運ぶための道具として許されているのは、どうも手押し車だけらしい。表示によれば、その手押し車の通行時間も制限がある様である。買物も大変そうである。観光用の為の島であるせいか、町はきれいであった。きれいと言う意味は、清潔と言う意味でもある。道路にゴミが殆ど見当たらなかった。どうしても他の中国の町と比較してしまうが、中国の町の清潔さは、掃除人によって保たれているのである。もし掃除人が居なくなったら、たちまちゴミだらけになってしまう。しかしここには掃除人も見当たらない様で、それでも、路地裏の小道も清潔に保たれていた。

 コロンス島には西洋風の、大きい屋敷が沢山残っている。これを数世帯で分け合って住んでいる様子である。以前北京で四合院式の内部を見たことがある。その中庭が有る建物に、以前は一家族だけが住んでいたのだが、中国の様々な混乱の中で、いつ間にか数家族が住み付くようになってしまった。そして中庭にも乱雑な建物が建てられて、中庭が無くなってしまっていた。コロンス島の植民地風の建物を見ていて、ふと思ったのだが、個人の持ち物や共有地に、数家族が入り込んでいく過程には興味深い歴史があったのかもしれない。

 かっては優雅な建物だったと思われるところが、中国風に乱雑になっている家もあった。誰も住んでいなくて、お化け屋敷の様になっているところもあった。これらの建物をもっと観光資源として利用すればいいのにと思った。古い建物の中を公開している処はコロンス島には一つもないようであった。

 コロンス島には冬でも花が多い。海風が絶えず吹いていて、坂を登って汗ばんでも、風が心地良かった。この島には大きな木が沢山残っている。樹木の様相はいかにもも南方の木と言ったふうで、気根が垂れ下がった木が多かった。大きな樹木が残されているのは、ここがかって租界であったお蔭であろうか。他の中国の各地には巨木が少ないような気がする。この島の大木は、夏には木陰を作って、きっと涼しいに違いない。

 コロンス島に行ったのは、厦門に着いた夕方に一度と、翌日もう一度出かけた。二度目は、ガイド料がたった4元というツアーがあったのでそれに参加した。ガイド料はほんとに4元だけで、別の料金は取られなかった。しかしコロンス島に行く前に、船に乗って台湾の小島を見に行く遊覧船があり、それに乗った。二時間位で98元であった。またコロンス島では、海鮮料理が名物とかで、そこに連れて行かれて料理を食べたら、値段が何と450元もした。一人分の海鮮料理の値段としては、日本の値段と何ら変わりない。次に無料の中国茶道の実演があるところへ連れて行かれて、実演の最後になるとやはり、高いお茶を買わないかという、話になってきた。

 お茶屋に行く頃には、観光船からも海鮮料理の店からも、ツアーのガイドさんへのバックリベートがあるのではないかと気が付いた。だからお茶は買わないで出て来た。このような高いところで、しかも旅の途中でお茶を買う必要はなかったからでもある。こういうところでは、気合を入れて断わる様にしないと、なかなか断わりにくい。最初は日本人の為に日本語ができる実演者を探してくると言っていたが、もしそんなことにでもなったら、ますます断わりにくくなったかもしれない。幸いなことに日本語が話せる人が見つからないので、中国人の組と一緒に中国茶道の実演を見ることになった。その中国人も、実演者があれこれ引き止めるのを断わって、お茶を買わなかった。無料の実演といっても、お茶が売れなかった実演者はとても残念そうであった。

 一方バックリベートが入るはずのガイドさんは、残念そうな気配は少しも見せなかった。しかし海鮮料理の店では、私が一人で食べるのは面倒だから別の店で麺でも食べると言ったら、お相伴してくれると言うので一緒に、海鮮料理を食べることになった。中国料理には一人分と言う分量が無く、一人旅で本格中国料理を食べるのはほんとに難しいのである。若いガイドさんが、私が一人旅で寂しそうにしているので、一緒にお相伴してくれたのでだろうか。やはりそん事はなさそうである。バックリベートの為だったかもしれない。

 厦門の島の方にも幾つか観光地が有り、南普陀寺では精進料理が有名らしく、ここでは珍しく一人分の料理があった。ビーフン料理と豆腐料理、鶏肉に似せた味のスープとがセットで30元であった。他には厦門大学もきれいで、集美学村と言う学園村もきれいだった。胡里山炮(砲)台も海のそばに在りきれいであった。

 厦門では北京あたりの建物と違って、ベランダを封鎖して部屋の様にしてしまっているところが少ない。だから洗濯物がよく見える。北京では洗濯物が殆ど見えない。ベランダを改造して部屋にしてしまっているからである。それにしても厦門大学の風格のある建物の寮の洗濯物は凄かった。他にも厦門では屋上に登れる(使用できる)様になっている建物が多かった。やはりここにも洗濯物が干してあった。古い通りには、通りに面した家の庇が張り出して、回廊になっているところがあった。庇と言うより庇の上が、二階になっていて人が住めるようになっていた。公共の場所である歩道の上に人が住めるなんて、日本人の感覚からすると不思議な利用法である。

 厦門は冬でも暖かく、風が心地良く、花が咲いていて、ゴミも少ないそうで(何時も中国ではこれが気になる)、住み易そうなところであった。