墓地

☆昭和52年に境内の一部を墓地として造成しました。

 勝胤寺は、千葉勝胤公によって創建されましたが、もともとご本人の修養のために
 建てられたお寺であり、その後は400年にわたり近郊の修行道場として、
 その役割を果たしてきました。
 お寺を支えていたのは初めは千葉氏宗家であり、江戸期には佐倉藩の上級士族でしたが、
 明治以後は地元の20件にも満たない農家の人々の手で、
 辛うじて維持されてきたのでした。

 戦後、20町歩以上はあったと思われる寺領も、農地解放の政策で
 6町歩に縮小されました。
 先代様の時、お寺の維持と今後の発展のため、200人の檀信徒を募る
 墓地造成に踏み切ったのでした。
 総工費 600万円。300万円は、お寺からお願いしたものではなく、
 当時の地元の檀家さんによる、自発的な寄進でした。
 工事も全て地元の農家の人々の手によるものでした。
 雨上がりの暗渠工事の時、泥まみれになって仕事をしたことを思い出します。
 この事業に携わった住職として(当時は小僧でしたが)、
 この浄行に対し今以て深く感謝いたしております。

     

 現在、造成された墓地は新しい檀家さんに恵まれ、ご利用頂いております。
 新旧の檀家さんが一つになって10年ほど前には檀信徒会館を建設して頂きました。
 新しい行事が次から次へと行われています。宗教活動が漸く芽生えて参りました。
 一面、この事業への反省もあります。

    
        三法院全景            三法院夜景
        
              三法院放光堂

 ご利用頂いている墓地には、昔、坐禅堂があり、江湖寮があり、開山堂等がありました。
 往時には、六十人もの雲水が修行していた道場の跡なのです。
 禅寺の修行道場は別名、 “選仏道場”といって、仏様を輩出する道場
 即ち今日の学校のような役割を果たしておりました。
 このことを深く肝に銘じ、更に慎重にお寺の在り方や役割を考えるべきでした。
 開山様や開基様をはじめ、ここまで当山を担ってこられた方々の期待に
 背くことがないよう、 当山の運営に当たりたいと思います。

☆旧墓地と新墓地
 【旧墓地】
  1.歴代住職の墓地  開山様より32代様まで。
  2.弟子と修行僧の墓地
  3.開基千葉勝胤公と9代の供養塔
  4.家中ラン塔  外護者佐倉藩上級武士の墓地
  5.地元檀信徒の元の墓石群(抜魂済み)

     

【新墓地】
  1.160基  新檀信徒用(新規入檀者)
  2. 30基  旧檀信徒用(旧檀信徒の代替用)

 【一代限りの墓地】
  ○30区画   現在準備中!
   墓地の後継者のいない方のため。
   夫婦一代に限り用意させて頂きました。
   大変小さな区画ですが、墓地代は無料です。
   不要になった時点で、お寺に変換して頂きます。
  ○入会手続きを参照してください。

 【合同慰霊碑(合祀墓)】
  ○本堂正面左側に建設予定。
  1.無縁の方のため。
  2.墓地相続者のない方のため。
   イ.合祀希望者の方のため・・・現在準備中。
   ロ.上記、「一代限りの墓地」を求めた方のため。

  ○合同慰霊碑には、毘盧遮那仏を予定しております。
   奈良の大仏に代表される毘盧遮那仏は“法界塔婆”と言われる
   「宇宙大の卒塔婆」を意味します。私たちの生命の根源です。
   宇宙に存在するものは全て、この毘盧遮那仏から生まれ、毘盧遮那仏へと
   還っていきます。
   禅寺の和尚が、お戒名の上に“空”という字を添える形式は
   毘盧遮那仏のお心を表したものです。
   殊に、皆様が白木の位牌に“新帰元”と書かれたお戒名に始めて合掌なされた時、
   亡き人の生命と我生命が一つであることに深く感じられたのではないでしょうか。
   
  ○死んだらおしまいではありません。死んでも死ななくても皆毘盧遮那仏のおん命です。
   その生命をはたらかせるのは今しかありません。
   毘盧遮那仏の輝きは私たち一人一人の生命の輝きです。
   私たちの生命は宇宙という運命共同体の生命です。
   仏のおん命です。私たち一人一人の行持が仏の行持です。仏行です。
   私たちが行持しなければ仏の行持は実現しません。

   ○勝胤寺では毎月、その月に亡くなられた仏様のご供養を致します。
    仏様にご縁のある方はお参り下さい。
    毘盧遮那仏のもと、ご一緒に修行致しましょう。