私の履歴書



☆初校:平成20年2月9日アップ☆

## 改訂履歴 ##

− 目 次 −

1.誕生
2.幼稚園時代
3.小学時代
4.中学時代
5.高校時代
6.バンカー時代(その1)
7.出向時代
8.バンカー時代(その2)
9.浪人時代
10.再就職時代
11.現在(個人事業主)


1.誕生
昭和25年、F県A市にて、元・満鉄調査部測量技師の父T(当時30歳)と同市三寺の篤農家の三女、母S(当時20歳)との間に、長男として生を受ける。
小さい頃は、女の子のような名前のため良くからかわれたが、からかった奴は、決して放っ置かなかった。

2.幼稚園時代
当時は手の付けられない悪ガキで、良く喧嘩や悪戯をしていた。
余りに、悪さをするものだから、幼稚園では園長先生にお仕置きとして「暗い小部屋」によく閉じ込められていた。
ひょっとすると、今の私が「狭い処に恐怖を感じる」のは、この時のことがトラウマとなっているのかも知れない。
この幼稚園には2年間通った。しかし、その幼稚園は、今は無い。
幼稚園の隣のお寺(お宮?)には、大きな銀杏の木があった。
銀杏の実が落ちる季節になると、そこら中に銀杏の匂いが溢れていたのを思い出す。

3.小学時代
学校以外での勉強は殆どしなかったが、暇があると図書館で本を読みまくっていた。
図書館にある本(興味のある)は全てといって良い程、読んだ。
今、想うに、当時は欲しい本を直ぐに買ってもらえる時代ではないし、娯楽も少ない時代だった。
本を読むことが、私にとっての一番の娯楽だったのだろう。
又、二年か三年生の頃、ある女の先生が私に付けたニックネームは「雀」だった。
活発だったのは憶えているが・・ピーチク、パーチクと煩かったのだろうか?

4.中学時代
当時のH中学には、三つの小学校から入学した。
中学に上がった最初の学力テストで、342人中、確か3番か4番だったと想う。
後で考えると、これがいけなかった。
「皆、大した事ないな、俺は勉強していないに・・」と思い、その後も殆ど勉強しなかった。
中学二年の時に、初恋をした。

5.高校時代
AH高校時代は勉強など殆どやらず、野球と女(今と違って、清純な付合い)に明け暮れていた。
一年生の5月頃、中学の同級生で、この時は別の高校に通っていた初恋の女の子と付合い始める。
三年生になったばかりの4月、某都市銀行(BOM)に就職が内定する。
以後、それまで以上に勉強せずに遊びまわる。

6.バンカー時代(1)
東京のC区○の内に本店がある某都市銀行(BOM)に入行。

約2週間の新人教習を終え、熊本支店に勤務。
この頃、初恋の女性と別れる。
3年3カ月の支店勤務に別れを告げ、本部勤務となる。
新しい勤務先(事務部システム開発課)のことは、コンピュータ関係だろうと云うだけで、支店長以下誰も知らなかった。そんな時代だった。

ここから、私とコンピュータとの長い付き合いが始まる。
未だ、この時はコンピュータソフトの仕事を続けていこうとは、露ほどにも思っていなかった。
この頃、パソコンもFDも無い時代で、プログラムはカードにパンチし、カードリーダーでコンピュータに読み込ませていた。
ここでは、第2次バンキングシステム(流動性預金)の設計・開発に携わった。
主力言語は、アッセンブラだった。

7.出向時代
子会社(創立6年目に入ったばかりのリース会社)へ出向し、社長直属のシステム開発室に勤務。
流石の私も、この時ばかりは必死に勉強した。
何しろ、出向目的が「1.若手社員の育成」と「2.会社のコンピュータ化」で、2は何とか成るが、問題は1、出向先の社員に嘗められては仕事が出来ない(この時、25歳)と思い、指導できるだけの知識を修得すべく、夜学に通い、必死になってコンピュータソフトのシステム設計について勉強した。
ここでは、コンピュータ導入計画から社内事務処理のEDP化及び採算計算システムの構築等に携わった。
主力言語はコボルだった。

<この時代のトピックス>

【初の海外出張】
ニューヨーク(チェイスマンハッタン銀行、シティバンク、BOMニューヨーク支店)、ミネソタ州(IBMロチェスター工場)、アリゾナ州(ヒンキーデンキー)、カルフォルニア州(IBMサンノゼ研究所)を訪問した。

【結婚(式)】
同級生では、F県M郡太刀洗で本屋をやっているSM君(書店経営・AH校野球部同窓生代表)、親友で同県A市出身のUN君(某信託銀行勤務)、親友で同じくA市出身のGY君(某証券会社勤務)などが出席してくれた。
因みに、嫁さんは隣のU市U町の出身。
新婚旅行でハワイに行った。

【嫁さんの弟、他界す】
新婚旅行から帰って間も無く、「白血病」に倒れて東京・本郷の「T大学医学部付属病院」に入院していた嫁さんの弟が、他界(享年22歳)。
余りにも早い死だった。

【嫁さん緊急手術】
ある日の土曜日(当時は、完全週休二日制では無かった)、会社から帰って家(当時は賃貸マンションの1階に住んでいた)のインターホンを鳴らすが、中から応答が無い。
何度も鳴らしていると、ドアが開き、嫁さんが真っ青な顔を出した。
嫁さん、緊急入院、そして手術。
もう少し手術が遅ければ、命が危ないところだった。

【長男誕生】
名前は、私が名付けた(結婚する前から、最初の男子の名前は決めていた)。

【次男誕生】
名前は、嫁さんが名付けた。

【家を買う】
千葉県佐倉市に土地付き一戸建てを購入し、引越す。

8.バンカー時代(2)
【目黒支店(都内)に勤務】
コンピュータとの付き合いが、一時中断する。
ここでのことは、話したくないし、思い出したくも無い。
只、酷い職場環境であったことだけは確か。

【システム部に勤務】
酷い支店勤務を1年で終え、コンピュータ・ソフト開発部門に舞い戻る。
第2.5次バンキングシステム(商品名:CAMS)および第3次バンキングシステムの設計・開発(共通系、勘定系)に携わった。

【システム企画室に勤務】
コンピュータ・システム開発手法の「研究」・「確立」・「情宣」・「管理」、コンピュータ・セキュリティの「確立」・「管理」および「システム監査」に携わった。
途中、T銀と合併し「BTM」となる。(実態は、BOMがT銀を吸収)

【BTMを退職】
銀行を準定年退職する。
30年1ヶ月の銀行員生活だった。

9.浪人時代
略、1年間の浪人生活を送る。
一時期、東京・芝浦にある某大手電気会社のシステム部門で個人事業主として働くが、「通勤時間が長い(2時間)」ところに「約束と違う長時間残業」などがあり、体のことを考えてサッサと辞める。(残留を懇願されたが聞き入れず)

10.再就職時代
通勤時間が短いコンピュータ関係の会社(インターネット・プロバイダ)が見つかったので、約1年間の浪人生活を終え、再就職を決める。
ここで1年6ヶ月働いたが、会社が事業から撤退することになり、親会社の経理部門へ異動になったが、ルーチンワークは生に合わないので退職した。

11.現在
個人事業の金融系システムエンジニアを生業とし、元気で働いている。